こよみだより * 冬至と二十四節気について *
明日は、二十四節気で「冬至」です。
今日は、その「冬至について」、そして「二十四節気について」、おはなししたいと思います。
よくご存知のことかもしれませんけれど、よろしければお付き合いください。
(私の中では マナーの学びや活動の意味合いも込めて綴っています。)
今日の写真は、佐賀県 伊万里市 大川内山の風景です。先月旅行した際に撮りました。
二十四節気をイメージするものかどうかはわかりませんが… 写真も併せてご覧いただけたら嬉しいです。
大川内山については、最後に少し綴ります。
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冬 至
冬至と言えば、「柚子湯」や「冬至かぼちゃ」を思い浮かべることが多いと思います。
柚子湯に入ると健康に過ごせると言われるのは、柚子の香りに邪気を払う効果があるとされたため。
かぼちゃを食べると風邪をひかないと言われるのは、夏から保存できるかぼちゃには ビタミン類がたくさん含まれているからです。
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そして、「冬至」には、別に2つの素敵な 呼び名があるのです。
ひとつは太陽の誕生日。
もうひとつは一陽来復の日。
冬至は一年で もっとも日照時間の短い日。この日を境に昼間の時間が長くなっていくことから、世界各地で「太陽の誕生日」として祝う風習があるそうです。
また、日本でも息づいてきた陰陽思想では、冬至は季節の中で「陰」の極点。冬至が過ぎると、再び「陽」に転ずることから「一陽来復」と言われます。春が巡ってくることや、おめでたいことが訪れる象徴として祝っていました。
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また冬至には、レンコンや みかんなど、「ん」のつく食べ物を食べると、「運」に恵まれるという言い伝えもあるそうですので、明日は頂きたいものがたくさんありますね。
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二十四節気
二十四節気とは、一言でいうと、昔の暦と 実際の季節感のズレを調整するためのものです。
1年を24分割したもので、それぞれに季節を表す名前がついています。
少し詳しくおはなしします。
【暦】
暦には大きく分けて、
太陽の動きをもとにした「太陽暦」、
月の満ち欠けをもとにした「太陰暦」、
太陽と月の両方を取り入れた「太陰太陽暦」
があります。
あたりまえかもしれませんが、時間の流れを知るためには、太陽や月の動きをもとにするのですね。
【新暦】
今、私たちはグレゴリオ暦という太陽暦のもとで生活をしています。
いわゆる新暦です。
地球が太陽をひと回りする周期を1年とするもので、月のめぐりとは無関係に進んでいます。
日本では、明治6年(1873年)の1月1日からグレゴリオ暦が使われるようになりました。
【旧暦】
それ以前の日本では、太陰太陽暦が使われていました。月の満ち欠けをもとに、季節をあらわす太陽の動きを加味したものです。
まず月の満ち欠けをもとに、月日がきまります。
お月さまが新月になる日を その月の1日とします。
それから日々お月さまの形が変わってゆき、次の新月の日が、次の月の 1日になります。
新月から 次の新月までの期間、つまり1ヵ月は、平均して29.5日なのだそうです。
ということは、12カ月では 約354日。
太陽暦の1年よりも11日短いので、実際の季節とズレてきてしまいます。
月日は 月の満ち欠けをもとに進んでも、季節の変化は 太陽の動きによって起こるからです。
そこで、月日と季節のズレが大きくなってひと月近くになると、太陽の動きを加味し、「閏月(うるうづき)」を入れて調整をしました。
その年には、1年が13ヶ月ありました。
これが太陰太陽暦・旧暦です。
ちなみに、太陽の動きを加味しない(閏月を設けない)のが、太陰暦です。
【二十四節気】
旧暦ではそうやって お月さまと太陽の折り合いをつけ、月日と季節のズレを調整しましたが、それでも、年によっては ひと月もズレていたわけです。
月日は、季節の目安には なりにくいものでした。
そこで、季節の指標にしていたのが二十四節気です。
二十四節気は、古代中国で、太陰暦と 季節のズレを調整するために生まれたものでした。
先ほどの「閏月」を設ける基準にもされていたそうです。
二十四節気は、太陽の動きをもとにしています。
太陽が移動する天球上の道である黄道を、24等分したものです。
具体的には、
① 黄道を 夏至と冬至(二至)で2等分し、
② さらにそれを春分と秋分(二分)で4等分にし
③ それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬(四立)を入れて八等分する。
④ それを さらに3等分したのが「二十四節気」
です。
(こちらの図は、国立天文台のホームぺージからお借りしました。)
上記①②の夏至、冬至、春分、秋分を「二至二分」、
それに③の立春、立夏、立秋、立冬を加えて「八節」といいます。
八節は、季節の移り変わりを知る目安として基準になっています。
「八節」を辞書でひくと、多くは
”1年のうちの、八つの季節の変わり目のこと。”
と記されています。
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二十四節気は、太陽の動きをもとにして 毎年同じ時期に節気がめぐってくるので、農作物を育てる目安として、とても重宝したそうです。
また、季節感を大切にする日本人にとって、季節を知り、意識するよりどころにもなっていたようです。
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日本人は古来、季節に寄り添いながら暮らしてきました。
それは素敵なことだと思っています。
季節があるからこそ情緒が生まれ、文化が醸成され、独特の美意識が根付いたのだ
と、以前ある先生からお話を伺ったことがあります。
とても納得できることでした。
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私はこれからも時々、こよみにちなんだ日に、「こよみだより」として一言アップする かも しれません。
私は思い付きで パッ!と物事をはじめては、すぐに飽きたり、挫折・頓挫したりする常習犯ですので、“かも” としておきますけれど。。
一言だけでも、そして気が向いた時だけでも、できたらいいなと思っています。
季節を感じるきっかけになりますように。と、ささやかな願いを込めて。
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今日の写真 : 秘窯(ひよう)の里・大川内山
伊万里市大川内山は、江戸時代に 鍋島藩(=佐賀藩)の藩窯が置かれた地です。まだ太陰太陽暦のもとで生活していた頃のこと。鍋島藩お抱えの優秀な陶工により、幕府へ献上するための美しいうつわがつくられていました。
※ 大川内山では 本焼きまでの行程です。
藩窯がこの険しい地形に置かれたのは、製作技法が外部に流出するのを防ぐためとのこと。秘密保持のため陶工たちの行動は制限され、入口には番所を設けるなど、厳しい管理体制がひかれていたそうです。門外不出として美しい「鍋島焼」を守ってきたのですね。
そのぶん、陶工たちの待遇は優遇され、武士と同等のあつかいを受けていたそうです。
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寒い季節です。
あたたかくしてお過ごし下さい。