好きと得意は違う
♪好きなんだけど~♪
と西郷輝彦さんが歌っていた歌をふと思い出した。
この冒頭の歌詞の部分に当たることを、私は何度か感じていることがある。
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まず、ダンス。
音楽が好きな私は、カッコいい音楽に合わせて華麗に踊ることのできるダンサー達をとっても素敵に思うし、あんな風に踊ってみたいと思ったこともあるし、現在もそう思っている。
“あんな風に踊ってみたいと思ったこともあるし、現在もそう思っている。”と敢えて表現したのには、一応私なりに意味がある。
昔、何度かスポーツクラブに通ったことがある。
運動嫌いなので、そういう所でも行かないと全然やらないし、当時働いていたのもあり、仕事帰りに行くと良いんじゃないかと思い、通っていた。
本当はずっと続けたかったが、当時の仕事の都合で休会、退会を繰り返したり、腰を痛めて、やむなく退会という経緯があり、現在に至っている。
現在は“専業主婦”なので、そんなにお金をかけられないということと、目の病で運動はともかく、ダンスの振付が多分見えないだろうというあたりで、今のところはスポーツクラブに行くことは諦めている。
テレビ等で踊っているのを見ていると、
「あんな風に踊ってみたいな。」
と憧れているので、そのような表現をしている。
その当時通っていたスポーツクラブには、エアロビクス、ストリート系ダンス、ファンク、ジャズダンス、フラダンス等色々あった。
レッスンの時間帯により、さほど経験できないものもあったが、多かれ少なかれ一通りはやってきたと記憶している。
初めてエアロビクスをやった時は散々たるものであった。
とにかく不器用なので、“パッと見てサッとやる”が全くできず、ましてや覚えるのが大の不得意なので、ほんの数小節程度の振り付けが覚えられない。
ずっと通っていると、先生のパターンを掴んで、段々慣れてきて踊りやすくなるが、最初からそれは私にはとても難しかった。
ちょっと教えてもらっただけで早速踊るのだが、全然ついていけない。
後ろを皆に向かれて、慌てて後ろを向くと、もう皆は前を向いているので、常に顔を合わせる状態となり、ものすごい恥ずかしい思いをした。
「これはアカン!!」
と思い、家で練習したいのだが、振り付けを全部忘れてしまい、練習のやりようもない。
自分の不器用さには、ホトホト呆れる。
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またある時は、ストリート系やジャズダンスもやってみたが、なかなか習得できなかった。
どうしてもできるようになりたくて、鏡が映るレッスン室で空きの時間隅っこで練習したりしていた。
でも、“何か”違うのだ。
音楽をやっていただけあって、リズムの取り方や裏拍の取り方もわかるし、皆と同じように手足を上げたり、体を動かしているのだが、“何か”違うのである。
遂に、ジャズダンスの先生に
「リズム感はとても良いんですがねぇ~、動きも同じようにされてるんですが、何か違うんですよねぇ~。」
「……やっぱりそうよな。」
と心の中で確信したのである。
それから色々考えたが、ダンスは同じようにやってても、
ちょっとした動きや見せ方の角度等で「カッコよく」も「ダサく」も見えるのである。
何度も鏡を見ながら練習したが、自分の理想通りにはできなかった。
最初より「マシ」といったところだろうか。
母から
「アンタ、こんなんようせんやろ(こんなのできない)と思ってたけど、まぁまぁ出来るようになったやん。」
と彼女なりに褒めてくれた。
ビミョーな気持ちだが。
それから人気のない駐車場とか広い所でも、練習したりしていたが、段々あれだけ必死になって覚えた振り付けも今は覚えておらず、全く踊れなくなってしまった。
当時、ダンスウェアとダンス専用のシューズも買って、一生懸命練習し、クラブ内のイベントに“いかんともしがたい体型と踊り”で出場したのは私の中での努力の賜物である思いと共に、写真を見る度に何故か複雑な気持ちになるのであった。
ちなみにそのウェアとシューズ等スポーツクラブ一式は、繁華街に車を止めてる時に、車上狙いに遭い、取られてしまった。車の鍵も壊され、踏んだり蹴ったりなオチが付いてるのが残念すぎる。
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次に料理である。
私は料理は好きなのに、得意ではないと思う。
この件も
「何でだろう?どういうことだろう?」
と長年考え続けたが、ある人の本を読んで自分に当てはめた結果、
「私は調理家電を使った料理や工程の簡単な料理は好きだが、手間暇のかかる料理、繊細な扱いをしないといけない料理は苦手。」
という結論に至った。(要は面倒くさがりって話なのだが。)
そういえば、昔から調理家電には大変興味があり、カタログを見ているだけでワクワクする。
レシピ本もしかりで、読んでるだけでワクワクするし、それが家電製品を使った本だと、なおテンションが上ってしまう。
作っていないのに、
「作った気分、食べてる気分」
を一人で満喫している、おめでたいオツムなのである。
ただ調理家電の厄介なところは、
「メンテナンス」
が大変なものがあるということだ。(お手軽なものも勿論あるが。)
作っている時は、とーっても楽しいのだが、後片付けや掃除が苦手(これでよく専業主婦といえるものだと我ながら呆れるが)なので、そこで半泣きになりながら使ったものもある。
オーブンもたまに使うが、天板が大きいので、洗った後の置く所に苦慮している。
今のところ、他に調理器具を使うものを考えれば、天板一枚置くところはあるが、二枚使った料理をするとなると、カレーパンマンのように口が波々になってしまう状態なのは明らかなのである。
そこで私の家電パートナーの一人である“食洗機くん”(我が家でのあだ名)対応のものか、自己責任のもと“彼”に洗ってもらえるように、効率を考えながら、料理をしている。
例えば
「炊飯器を使った日は、〇〇の調理器具を使って料理をしない。」
「夫のせいで壊れていないが、ガスレンジが使えない。(←謎だと思われるだろうが今は割愛する。)フライパン料理(昔はこれ一辺倒だった)は目が離せず、病の体には堪えるゆえ面倒くさい上に、フライパンは食洗機に入らず、洗うのも面倒だし、乾かすところも場所を取るから、一旦休業」
「その代わり、魚焼きグリルに入れて調理できる道具を買ったので、徹底的に魚焼きグリルを使って料理をする。タイマーもついているから安心。中にくっつかないアルミホイルを敷けば、洗い物もかなり楽。」
(注:魚焼きグリルの中でアルミホイルを使うのは本来NGであり、自己責任でやっているので、マネや批判はご了承願いたい。)
「炊飯器(圧力でない)でご飯を炊く時、ご飯の上にクッキングシートで包んだ卵や鶏ささみ肉等を入れて同時調理する。」
「電子レンジやオーブントースターを上手に活用しながら、同時進行をこなす。」
「コレとコレを同時に使うとヒューズが飛ぶので、喧嘩しないように使う、タイマーでずらす。」
そんな所だろうか。
これは私が、病持ちなのと、夫了承のもと二人暮らしだから成り立っているが、他のご家庭には何の参考にもならないかもしれない。
家電調理をするとなると、
「置き場所問題」
「同時進行による、ヒューズ問題」
「食洗機くんに効率よく洗ってもらうには」
このあたりが重要なポイントであり、悩ましいのだが、私にとっては工程の多い料理や調味料の割合を覚えたりするより、はるかに気が楽なのである。
私の大尊敬している料理研究家の先生の本(これも9割以上集めている)によると、本来は
直火(薪等)>ガス火>電気
の順番で美味しさが違うと仰っており、それはスチャラカな私にも分かる。
しかし、病になって元気な時のように動けないが、ずっと惣菜や弁当を買っているわけにもいかず、料理のハードルが上がることで、料理をしなくなるのは本末転倒だと思い、現在は
「できるだけ家で作る。」
「産地や素材をできる限り気にする。」
ことにして、
「調味料から作るのがしんどければ、チューブ商品等でもいいじゃないか。」
とハードルを下げることで、今は惣菜がだいぶん減り、同じようなものだが、手作りのものが増えた。
味噌汁も鍋から家電製品にして作っていたが、今はネットで見たレンジで作る白菜のスープをヒントに、耐熱容器で味噌汁を作るようにしている。
まだまだ研究途中だが、一度出汁を増量する工程で一度止めても、だいたい15分弱でできるし、最後に味噌を入れられるのも自分的には良い。(調理家電の場合は、最初から味噌を入れる。それはそれで味に問題はなかったが。)
そして、材料と分量に気をつければ、出来上がると音で知らせてくれ、ずっと見ていなくても何とかなるというこの安心感。
「エエやないか!!」
と孤独のグルメに出てくる五郎さんのつぶやき、関西弁バージョンばりに思った。
夏はできないが、このやり方で味噌汁を作ると、残っても蓋をして冷蔵庫にいれるだけ、飲む時はレンジで温めるだけ、最後は食洗機くんに洗ってもらうので、大変楽になった。
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それゆえ私は
「スチャラカ主婦」
と名乗っているのである。
なーんの自慢にもならない話であるが、「好き」と「得意」は違うと私は思っているし、そう感じている方も多いのではないかと思う。
何でも、パッと見てサッとできる人は本当に心底うらやましい。
…しかし、この不器用のお陰で、ブログのネタになっているのかも知れない。
最近はそうやって前向きに捉えるようにして、我を慰めるらびっとなのであった。
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