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発達検査を受けて考えた事

発達検査を受けてきた。
「WAIS(発達及び知能検査・極めて複雑なもの)バウムテスト(人格検査・複雑なもの)」と明細書に記載されていた。
3時間箱詰めで受けてきた。
極めて複雑なものを受けてきた。

私はこの検査を受ける前と受けてからでは考え方が180度変わった。
もう受ける前の私には戻れない。

結果は4週間後になるのだが、そんなものはもはやどうでも良くなってしまった。

この検査を受けて「知能」についての考え方がガラリと変わった。

私は「頭が良い」事への憧れがハンパない。
「IQ150の天才」「メンサ会員」「東大医学部卒」など、そんなフレーズが大好きだ。
東大王とかQさまの出演者のバックグランドに惚れ惚れしていた。
出木杉くんや右京さんやエルみたいなキャラが好きだ。
面白味がなくても社会性ゼロでも変人でも「頭の良さ」がプンプン漂うキャラが好きだ。
おしりたんていなんかは破格のIQ1104だ。
頭がお尻でも良い。

それは、シンプルに自分自身の強烈な劣等感からくるものだ。
とにかく勉強が出来なかった。
正確に言うとバランス良く全く出来なかった。
英語と国語は何とかまともだったので何とかなったが、他は絶望的だった。
とりわけ理科は救いようが無かった。
最低点は2点。
返された回答用紙を見た時、膝から崩れ落ちそうなくらいショックだった。
30年後、千鳥の「イカ二貫」のネタを聞いた時フラッシュバックを起こしたぐらいだ。

理科2点
イカ二貫

ショックだった割には以降も一桁台を更新し続けた。
元来真面目なので勉強はするのだ。
努力はするのだ。
進研ゼミもしたのだ。

だが実にならない。
耳や目からたんもり入れても、脳に辿り着く頃にはもぬけの殻になっている。
謎だ。
密室殺人級の謎だ。
迷宮入りだった。

それがだ。
実際に知能を測る検査を受けたところ、「これで知能が分かるの!?」という疑問が生まれた。
しかもたった3時間で?

知能テストの詳細を語ることは心理士さんからやんわり差し控えるよう言われている。
だから小心者の私は言えないが、衝動性の私が言いたくてたまらない。

その間をとってふんわり言うと、ある一つの言葉について説明して下さいと言われる。
私は頭に思い付いた事を話す。
こういう問題は大好きだ。
次から次へと芋づる式になって出てきて物語調になる時もある。
大喜利になることもあれば、前問題でボケた内容を引っ張り出して繋げたりして「あ!あれはここで使う為のフラグやったんか!」と思わせるような秀逸な回答もした。

心理士さんは朗らかで可愛らしい女性だった。
カーリング日本女子代表にいそうな。
クリスタル美人だ。
それにしても藤沢五月さんの変貌は素晴らしかった。

心理士さんはキャッキャ笑ってくれる。
そのキャッキャの70%は仕事用だと思う。
「この患者、面倒くせーな」と思っていたとしても5回に1回くらいは本心で笑ってくれていると自信があった。

段々と出される問題が難しくなるが、もはや正解など追い求めていない。
目の前の心理士さんを笑わす事だけに心血を注いでいた。
心理士さんは本当に面白い時はクリップボードで顔を隠すようだ。
…多分。知らんけど。
その時の笑い方だけは野性味があってちょっと下品だった。
綺麗な顔が完全に破顔していた。
笑いすぎてむせた時もある。

そして、多分そのクリップボードには重要な何かが挟まれているらしかった。
開ける時に絶対私に見せまいとする。 
そんな大事な物を盾にして、且つ敵陣に無抵抗に晒してしまうくらい冷静さがないという事は、やはり心からの爆笑を勝ち得てると思う。

20問弱あったように思う。
終始「キャッキャ」、時折「へぇ〜」と10回強のクリップボード隠しがあり、まずまずの結果となった。

ただ、あんなに答えたのに心理士さんがメモをされるのは大変短いように感じた。
それは「合ってるか合ってないか」だけをチェックされているのだろうか。

13歳で結婚した時、奥さんにゾッコン性欲爆発で寝ても覚めても猿のように盛んでいたせいで父親の死に目にあえなかった…というガンジーの余談など不要なのだ。
正解ではない。

そらそうだ。

今日出された問題を知っていて正解率が高ければ「言語能力が高い」と判断されるのか。
ただそれだけの話。
おもろくてもおもろなくても一緒。

ブロックを使ったテストがあった。
最初は物珍しいし、心理士さんが出来たら誉めてくれるので楽しかった。
でも飽き性な私は3回目くらいから明らかにどっちでも良くなってきた。
出来なくても何ともない。
ただそれだけ。

そういう事なんだなぁ、と感じた。
ブロックでのテストから分かる何かがあるんだと思うが、私はどうでも良い。
出来なくても何ともない。
屁でもない。

知能指数は確実に意図的に上げられるとも感じた。
IQ130以上の標準を超えるには遺伝的な何かがいるのかもしれないが、ある程度なら努力でいける様な気がした。
随分昔に幼児教育に力を入れている幼稚園の特集を見たが、もろにIQテストを意識した教育をしていた。
 
IQが高い事はその人の長所として素晴らしいと思う。
でも私が考えていた絶対的価値観ではない。
自分にとってさほど重要でもない能力も含まれているし、自分自身で何とでもなる部分もある。

足が速い事。
焼き鳥を上手にはがせる事。
おにぎりを美味しく握られる事。
IQが高い事。
人の気持ちに寄り添える事。 
ベロが鼻の上につく事。

誰かの長所だったり、特徴だったり、特技だったり。
IQとはその中の一つだと分かった。

「IQが高い事は優れている」と考えていたという事は、「IQが低い事は劣っている」と考えていた事にもなるのか?…と自問した。
そうだ。
自分自身のアホさには辟易している。
いつも誰かと比較して自分は劣っていると感じていた。
社会の中でうまく生きられない自分。
周りの人達の様にスムーズにいかない自分。
不器用な自分。
全部私の頭が悪いからだと思っていた。
今では落ち込みもしない。
「頭が悪い劣っている自分」が当たり前になり過ぎていた。

検査を受けて考えた。
日本人の平均IQが100。
社会はIQ100人間仕様にだいたい出来ている。 
しかもIQ100で且つ、定型発達の健常者だ。
平均を下回る人や障害のある人はおのずと社会に合わなくて生き辛い。 
当たり前だ。

こういう検査を受ける事で、生き辛さの理由が分かると気持が少しでも楽になるかもしれない。 
楽になるまでいかずも糸口が見つかるかもしれない。
支援や制度を受けられるかもしれない。
自分の努力の足り無さをもう責めずに済むかもしれない。

「勝手に作り上げやがった社会の使い勝手が悪いので、どうしたら俺様がこの社会に合わせてやれるか考えてやろじゃねーかよー!」
…これがIQの持つ意味の一つではないか…と考えた。


一個人を表す数値というのは無数にある。
年齢、身長、体重、BMI、血糖値、中学の時の出席番号…。
IQもその中の一つに過ぎない。

出席番号16番の人が28番の人に優越感を抱くか?
自慢するか?
自分は優れていると言うか?
そんな奴いたら…笑ける。
ちょっと好きになるかもしれない。

そういう事だ。

この先IQや学歴を優劣の象徴の様に豪語する人が現れたら、「出席番号自慢してる奴」と思うようにしよう。




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