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4月29日 月曜日 ラテアートとヘタウマ

最近読んでいる本で、千葉雅也さんの『センスの哲学』という本があります。この本は本当に面白い。自分がなんとなくやってきたことを、ことごとく言語化してくれているような感じがしています。目から鱗が落ちまくりってやつです。

センスとは何か?誰しもが戸惑うこの問いに正面からぶつかっていく本です。一つ一つの言葉や考えを丁寧に引用しながら論を進めていく感じが、興奮のボルテージをだんだんと高めてくれるようで良きです。

まだ最後まで読んでいませんが、キーワードに「ヘタウマ」という言葉が出てきます。それが今私がハマっているラテアートに繋がっているなと思いました。

・センスとは、上手よりもヘタウマである。(中略)
ヘタウマとは、子供のような線の運動に戻ることです。子供は最初、自由奔放に手を動かして、大人の目から見れば抽象絵画のような、躍動する線を描いたりします。

『センスの哲学』より

センスとはヘタウマである。この後まだ論は展開されますが、ここでのセンスの定義は私にとっては非常に納得感のあるものです。ここで、先ほど書いたラテアートで説明してみます。

ラテアートとは、カフェラテのフォームミルクによって描き出される模様のことで、ハートやリーフ、スワンなど様々な模様がバリスタによって産み出されています。

私みたいな初心者でも、だんだんと練習していけば、ハートのような簡単な模様は描けるだろうと思い毎日練習しています。ただ、独学でやってもなかなかうまくいきません。理論はわかっているけど、同じように描くことができない。

このように、お手本があってそれに近づけていく方法が、いわゆるセンスに無自覚な状態です。いかにお手本に近づけるかということに意識がもってかれていて、できたものも本物に比べるとイマイチだということです。

これに対して「ヘタウマ」とは、お手本通りにはやらず、自分のオリジナリティーを出していくことです。お手本通りになることから降りて、自分のセンスで何かを生み出していく。子供の自由な感性に戻っていくとも言えます。

ちなみに、今日のnoteのトップの写真は私が昨日作ったラテアートです。なんとも言えない抽象画のような感じです。岡本太郎の作りそうな仮面のような雰囲気だったので、「岡本太郎みがある…」とインスタに投稿しました。

本当はハートを作りたかったのが、岡本太郎になってしまいました。でも、わたしはそれでいいと思っているのです。一期一会のラテアート、自分の手から生み出される芸術です。

機械のように正確に、アートをかけることもいいとは思っています。ていうか私もそこまではいってみたい。その後に、自由に自分も思いもしなかったという偶然性のアートを描いてみたい。そんなことを考えています。

そう考えていた時に、この本を読んだもんだからすごい共感したのです。私のラテアートはヘタウマではないかもしれません。ただ、千葉さんの考えているセンスの哲学は私にはとてもフィットしています。

最後に、序盤に書いてあり、非常に共感した一節で締めたいと思います。

文化資本の形成とは、多様なものに触れるときの不安を緩和し、不安を面白さに変換する回路を作ることである。

『センスの哲学』より

上記の文も、私が大切にしている「好奇心」や「面白がる力」に繋がるところがあると思いました。今後も、ヘタウマラテアートを研究していきたいと思います!

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