向日葵レオナ

こんにちは。 記事の内容は、フィクションもノンフィクションもどちらも含まれています!

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最近の記事

ストレス関連障害と発達障がいの関係

ストレスという二次障害 ストレス関連障害の例には、適応障害、反応性愛着障害、脱抑制社会参加障害、といったものがあるそうだ。 これについては、論文もいろいろ出ている。子供の頃からサポートを受けられればまだ対処の余地もあるかもしれないが、軽微な発達障がいだと、そのまま成人してしまいすでに二次障害が固定化されてしまっていることも考えられる、とのこと。 こういったことは、専門的な研究結果を待つまでもなく、容易に想像できることだなと感じた。 もちろん、精神疾患の二次的発症という問

    • 普通とは違う

      実は、このことに自分が気付いたのは、つい最近のことなのかもしれない。 とにかく、自分では、わからないのだ。 何故、周囲が自分を白い目で見るのか。 何故、皆に意見が通らないのか。 中学生の時、ある日、朝わたしが教室に入ると、 一斉にシーンとなった。 そして、その日から、誰も口をきいてくれなかった。 一生懸命考えたが、前日までに何があったかわからなかった。 空気が読めないくせに、自分が嫌われたことだけはよくわかる。 そういえば、その前日は、わたしは学校を休んでいた。 それ

      • ASDは、空気が読めないから、キレやすいんだね 「わからない」って、とっても怖いことだから

        • とても辛いとき

          わたしは、他人の喋っていることがしばしば解らない ここ数年はもう基本わからない 年々ひどくなってる気がする 緊張してるとますますひどい 色々と変わった人に見えるらしくて、 よくばかにされて、上から接してくる人も多い それが、とても傷つく きっと周囲の人たちは、無自覚なんだろうな 毎年この時期、職場の考課発表がある 毎年、生きていく自信がなくなる しかし視点を変えてみると、はっと気付くことがある 誰もがグラデーションなり個人差もあるだろうし、 皆が皆同じ発達段階

        ストレス関連障害と発達障がいの関係

          ASDかもしれないひとからみた世界(4)

          「普通」の素晴らしさ どんなにか、「普通」に成りたかったか。 でも、どんなに願っても、 どんなに頑張って努力しても、 それは叶わなかった 歩き方も変だと言われたし、 喋り方も変だと言われたし、 笑い方も、声の大きさも、 ダメ出しばかりされてきた 普通って、どうやるんだろう... ”一様”では無い ブラックアスペ=大切にされなかったひと ホワイトアスペ=大切にしてくれるひとが身近に居たひと ...なのかもしれない いずれにしても、多様なものだ 「かもしれない」の辛さ

          ASDかもしれないひとからみた世界(4)

          悪い時にはもうすぐ良いことがあるじゃないかと喜び、 いい時には何か気付いてないことがあるんじゃないかと慎重になる

          悪い時にはもうすぐ良いことがあるじゃないかと喜び、 いい時には何か気付いてないことがあるんじゃないかと慎重になる

          上手に生きるためには

          小さい頃、とても恥ずかしい思いをしたことがある ひどいことをして後悔したこともある 授業中、当てられて答えたのが間違っていたり 友達の好きな人とつきあってしまったり 調子にのって喋りすぎたり たくさん、たくさんある でももう何年もたっておとなになったら、もうみぃ~んな笑い話になっている もうすぐ、辛いことがやってくる ショックなことがやってくる 想像しただけで涙が出てきそうなこと 耐えられる自信がないこと 乗り越える自信がないこと こんなことも、何年かたったら、ちゃ

          上手に生きるためには

          人事担当の方は、発達障がいについてもっと知って欲しい

          人事担当の方は、発達障がいについてもっと知って欲しい

          人を評価する、ということが無くなれば、世の中はきっともっと良くなるとおもう

          人を評価する、ということが無くなれば、世の中はきっともっと良くなるとおもう

          ASDかもしれないひとからみた世界(3)

           生まれつき手足の短い人に、「あなた、それ変ね」と言えるのだろうか? ...いや、きっと言えない、分別のある大人ならば。  しかし、ASDかもしれないひとは、「あなた、それ変よ」と、数えきれないほど言われてきた。  子供の頃、まだ自分がASDという特性を持っているとは解らなかった私は、「どこがどう変なのか」「どこを、どう直せば良いのか」をずい分研究したりもした。  ある時はノートに鬼のように書きだした。自分の『フツウとは違うところ』を箇条書きにして、それを「定型発達の人」は

          ASDかもしれないひとからみた世界(3)

          ASDかもしれなひとからみた世界(2)

          「わたしは、フツウの人ではないかもしれない」 そう思うことが出来るようになったことで、少し、いや随分楽になった。 しかしそれが解る前は、とにかく納得できなくて腹の立つことばかりだった。 とにかく、話が通じない。 といっても、国語力がない、というわけではない。学校の国語の成績は、いつも一番だったし、作文で賞をとったことも何度もあった。とにかく口頭でしゃべることが苦手。 「わたしは○○だと思います」と意見を言って、受け入れられたことが無い。 専門分野のことならばあるけれど、そうで

          ASDかもしれなひとからみた世界(2)

          ASDかもしれないひとからみた世界

          ...それはどんなものでしょう。 (ただし、ほんの一例です。個人差があるからです) まず、自分が「フツウ」と思っていることと、真反対の理論が繰り広げられています。「ゼッタイおかしいダロ!」と思ったことが、「正解」とされています。 んだもんで、歳を重ねるにつれて、「正解」が解らなくなってきます。 そして段々と自分に自信が無くなってきます。 「正解」を教えて欲しくて、 幼少期には、人生で初めてにして唯一の教師である親(母親)に対して質問攻めにします。 そして親に嫌われたり、 親が

          ASDかもしれないひとからみた世界