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「家は性能」が全てなのか問題

(写真は東京都新宿区にある林芙美子記念館)

用・強・美の優先順位は?


用・強・美という言葉を聞いたことがありますか?
調べたところ、古代ローマ時代の建築家ヴィトルヴィウスが提唱した建築の3大要素で、

  1. 用…機能性、使いやすさ

  2. 強…安全性、耐久性

  3. 美…意匠性、美しいデザイン

とのことです。
まぁ誰が言い出しっぺかなんてのはどうでもよくて、この3要素が建築をつくるうえではとても重要だよ、という話。

そしてよく聞くのが、その重要度。
「用(使い勝手)が最も大事で、強(安全性)がその次、余力があれば美も追求したいよね」なんていう風に語られたりする。
果たして本当にそうだろうか?
断熱性能に全振りしたような売り出し文句はむしろ潔さすら感じて、近年の構造審査基準、断熱性能基準の厳格化・見直しも追い風となり、飛ぶ鳥を落とす勢いである。

「使いやすさ」と「美しさ」の関係

京都の老舗 俵屋旅館の客室より庭を見る

図面を引いている(実務で手書き図面なんて描いたことない若造設計者が使っていい表現かは不明だが)身からすると、用(使い勝手)もつまるところ「美」なんじゃないかと思うわけです。プラン図の美しさ、明快さが使い勝手の良さに繋がるわけでしょう?きちんと整理された動線、すっと手の伸びるヒューマンスケールな距離感、本のサイズを考えてかっちり高さが決められた本棚、などなど。
優れた住宅作家さんが美しく見やすい図面を描くのは、美しい図面は施工者にその意図を正確に伝え、そのまま建物の使い勝手に繋がると信じているからで、実際、使いやすい建物ができるから。

「強さ」と「美しさ」の関係

奈良興福寺の五重塔

もっといえば、強(安全性)なんかも「美しくないと成立しない。」とまでは言わないけど、無理せずに、自然と、安全性を達成できるんじゃないか。
なんとかウォールとか、制振ダンパーとか、免震装置とか、スペシャルな部材を採用してるので安全性は抜群です!って恥ずかしげもなくいう人がいるけど、日頃使い勝手と、美しい構造計画と、端正な意匠を同時進行で考えている設計者からすると、「それって架構に無理がある(物理法則に反して美しくない)からスペシャルな部材が必要になってるだけなんじゃないの?」と突っ込みたくなる。(何も知らない、知る由もない施主はスペシャル高い金払わされるわけだが)
それから、「建物の劣化しにくさ」なんかも、たとえば外壁材は「ほぼメンテナンスフリー」なんて言われているサイディングが使われることが大半なんだけど、あれって美しくないんだよね(個人の意見です)。そもそもメンテナンスフリーな材料なんて存在しない。木でも左官でもサイディングでも、外部環境に面していれば必ず汚れる。そうそう、金属系のサイディングはまだしも、窯業系のサイディング。タイル風、とかレンガ風、とか。あれに愛着が沸くひとっているんだろうか?愛着がないものはメンテナンスなんてする気も起きないし、「30年間洗わなくても大丈夫!」って、30年間一度も外壁掃除しなかった人が、30年目で掃除すると思ってるのかな?まぁ実際、日本の多くの木造住宅は(大事に愛着もってメンテナンスしながら住めば60〜80年くらいは住めるところを)30年間くらいで建て替えられちゃうらしいから、外壁メーカーとしてはある意味これが一つのたどり着いた正解なのかもしれない。
話が脱線しすぎましたが、美しい架構計画、美しく愛着がわく材料が「強」につながると思うのです。(ちなみに美しいと思うサイディングもあるよ)

普遍的な美しさ

奈良にある十輪院(国宝)


そういう意味で、普遍的な美しさを住まいには求めたいわけです。ヒューマンスケールで、落ち着いていて、端正で、他所様に迷惑をかけない、雨をすばやく地面に流せる屋根がかかり(日本は世界平均の2倍の量の雨が降る国です)、愛着のわく自然由来なんかの材料が美しい施主の心をむしろ育ててくれるような、そんな美しくて優しい住まいを、良心に従って図面に美しく表現したいわけです。
もちろん地震にびくともしない美しい架構と、美しい家族愛を育む素晴らしい「保温力・保冷力」もね。



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