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#13『親戚一同』

 自分の親と他人の親を比較するようなことをしたことはないが、恐く私の親はテキトーだ。両親だけではなく、親族一同でテキトーな性格の人が集まっているような気がする。
 念の為言っておくと、この「テキトー」とは「適当」とは違う。適切に当てはめない方のテキトーだ。
 今まで私は、至って一般的な父親と母親によって育てられ、20余年を生きてきたつもりでいたが、決してそんなことはなかったようだ。遠い親戚の火葬に参列したことをきっかけに、その事実が明らかになった。
 突然の訃報が届いたのは水曜日の夜のことであった。正直、接点がなさすぎて顔もよく思い出せない上に、いったい何親等離れた親戚なのかも見当がつかなかった。父親の「ショウジさん(仮名)死んじゃったって。」という言葉からも、そんなに接点のあった人物ではないことが推測できる。かく言う私も、庄司という苗字の親戚は身に覚えがなかったので、もしかすると身内ではなく親交の深かった近所の人、くらいの間柄なのではないかと考えた。
 火葬が決行されたのは次の日曜日のことだ。私は喪服を持っていないので、黒スーツに黒ネクタイ(黒地に黒のドット模様)に身を包み父親の実家がある埼玉県某所へ向かった。
 実家に到着すると祖父母と叔父が出迎えてくれたのだが、祖母以外はまだ部屋着のままの格好で居間をうろちょろしている。あと1時間もしないうちに会場へ向かわなければならないのだが、一向に着替える気配はない。2人とも祖母の催促には耳を貸さず、「おう」とだけ返事をして立ったままテレビを見ている。この時点でも相当のテキトーな性格の持ち主であることがわかる。
 その後しばらくして祖父と叔父は着替え始めたのだが、2人のテキトーはまだまだ留まるところを知らなかった。なんと、2人揃ってネクタイを雑に結んだ状態で登場したのだ。これには祖母だけではなく、私と母までもが驚いた。一番年下であるはずの私が、一番まともに結べているではないか。

父親「何だそれ(笑」
祖父「ネクタイなんか久しく結んでないからさ。」
叔父「ワイシャツの隙間に隠しときゃバレないだろ。」
父親「俺もだいぶ結べなくなってるわ。ここんとこ会社で誰も結んでねぇもん。」

 そんな会話を経て、私の親族三親等以内の男子の実に3/4が、ネクタイをテキトーに絞めて会場に向かうことになってしまった。ちなみに祖父と叔父はジャケットすら持って行かなかった。祖父は「どうせ家族葬だろ。」と言っていたが、そう言う問題ではない気がする。

ネクタイのイメージ

 実家から会場までは車で10分程で到着した。父親が運転する車に父、母、祖母、私の4人が乗り、叔父の車に叔父と祖父が2人で乗っていた。お互いの車に3人ずつ乗るのが普通かのようにも思われるが、こうせざるを得なかったのだ。それもこれも叔父の車がツーシーターであることに原因がある。3人家族なのにツーシーターなのだ。実用性よりも趣味を優先しているのだ。

 会場に到着して真っ先に目に入ったのは、個人の名前が大きく書かれた看板である。お通夜や葬儀ではお馴染みの看板だが、そこにある文字を見て私は今まで大きな勘違いをしていたことに気が付いた。なんとそこには、庄司ではなく祖母の旧姓が書かれていたのだ。そう、私が今まで苗字だと思い込んでいた「ショウジ」というのは実は名前の方で、その彼こそが私の父方の祖母の叔父か何かに当たる人物だったのだ。つまりは六親等くらい離れた遠い親戚である。先程からずっと、「どうせ家族葬だろ。」という祖父の言葉がどうも引っ掛かっていたが、これでようやく合点がいった。
 建物内に入ると、既に何人かの親戚が座って待っていた。恐らく祖母の兄弟姉妹か従兄弟いとこではないかと思われる、茨城の親戚だ。茨城の親戚達は凄い。しっかりした礼服や着物を、まるでお手本のようにピシッと着用している。うちとは大違いだ。いくら家族葬と言えど、どう考えても茨城の親戚の方が正しい。これはもはや、隣の芝は青いとかの次元の話ではない。「うちの主人と、長男と、次男です。」という祖母の紹介の文言と共に、見っともない服装の男達がペコペコと頭を下げている様子は、身内ながら見ていられなかった。
 続々と親戚が集まってくる中、1人だけ全く身に覚えのない人物を発見した。歳の頃、3〜4歳と思われる少年である。今の今まで、私が親族の最年少だとばかり思っていたが、どうやら数年前にこの世に生を享けたらしい。私との続柄つづきがらで言うと、私の父方の祖母の妹の娘の長男、つまり再従弟はとこに当たる人物だそうだ。
 自分より年下の親戚に会うのが初めてで、少々不思議な気分ではあるが、彼のことを観察していると、まるで幼少期の私を見ているような気分になった。おりんを一定のテンポで鳴らし続けたり、棺桶の側面に沿ってドクターイエローの模型を走らせたりと、私が母親から聞いた「昔の自分像」そのものである。

 火葬、そして納骨が終了すると、一同が骨壷を囲う形で合掌をした。この時、あの少年の母親(私の又従姉またいとこ)が骨壷を指で差しながら、「おじいちゃん」と少年に対して呟いていた。きっと、たった今骨になってしまったこの人が君のお爺さんなんだよ、と息子に対して教えているのだろう。微笑ましいなぁと思うと同時に、ショウジさんが家系図のどのあたりに位置しているのかが判明し、大変スッキリした。祖母の義理の弟。私から見て「義理の大叔父」である。大変ややこしい続柄だが、これでモヤっとした気分のまま食事をしなくて済む。
次第に再従兄弟の少年も「おじいちゃん」と指を差しながら呟くようになった。親族一同が笑顔に包めれていたが、5回程「おじいちゃん」と唱えたくらいで、母親(又従姉)があることに気付く。

 「って、それはお爺ちゃんじゃないよ!!」

 そう、少年が指差す先にあったのは骨壷でも遺影でもなく、粉骨の際に使用した金属製の台車だったのだ。会場は笑いに包まれた。大人になってからは絶対に出来ないボケである。(本人は至って真剣だと思うが。)
 ここで私は考えた。きっと彼もテキトーの遺伝子の持ち主なのだろう。彼の母親(私の又従姉)が、故人が本当に好きだったかどうかもわからない、無名の演歌歌手のCDを棺桶に放り込んでいたのを見ると、彼女にもテキトーの遺伝子は組み込まれているはずだ。では、彼女の父親に当たる故人はどうだったのだろうか。今となっては確認する方法がないが、火葬場に集まった親戚の雰囲気から察するに、多かれ少なかれ皆テキトーの遺伝子を持っているように感じられた。
 考えてみれば母方の祖父だって、自身が喪主を務める祖母の葬儀で、妻の名前の表記を間違って覚えていたがために、戸籍とは異なる名前が看板に書かれてしまっていた。そんな遺伝子を受け継ぎに受け継いだ両親の一人息子が私である。


 自分では自分がテキトーの持ち主なのかどうかわからないが、今のところは親族で一番まともだと思っている。今後は自分自身の観察に精を出していこう。


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