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エッセイ#41『同姓同名』

 佐藤雅彦氏の『考えの整頓』には「もう一人の佐藤雅彦」というエッセイが収録されている。自分と同姓同名に人が街にいて、それがきっかけとなり面白い勘違いが起こる、といった内容だ。
 その作中には次のような文が登場する。

そもそも、「佐藤」も「雅彦」も、珍しくない姓と名で、その組み合わせの「佐藤雅彦」も、かなりの数に上ると思われる。

佐藤雅彦『考えの整頓』より引用

 私の本名はやや特殊であり、同じ字を書く人にも同じ読み方たをする人にも出会ったことがない。それどころか下の名前に関しては、現実でもフィクションでもほぼ見掛けたことがない。「ほぼ」というのも、一度だけとあるドラマに私と同じ名前を持つ赤ちゃんが登場したのだ。その時の両親と言ったら、とにかくうるさかった。お母さん役の俳優がその名を呼ぶ度に、「お前、呼ばれてんよ。」みたいなことを言ってきた。
 勘違いされたくないのは、決してDQNネームではないということだ。ではないのだが、中々見る機会はない。それに、たとえ漢字が同じだったとしても、読み方が同じとは限らない。そのため、読み間違われることも多い。
 苗字も苗字で、珍しくはないものの意外と見掛けることはない。たまに読めない人にも出会うが、各界隈の有名人に1人ずつくらいはいるので基本的には読み間違われることはない。ただ、その昔に町内会長から苗字も名前も読み間違われたことがあるため、それなりに面倒な本名であることは自覚している。

 今後、自分と同姓同名の人物に出会うことは恐らくないが、万一出会った時、私はとにかくはしゃぐだろう。そしてその同姓同名さんも、同じタイミングではしゃいでいることだろう。
 きっとその人も、読み間違われたり書き間違われたりしているはずだ。同姓同名の人とはそれなりに境遇が似ているのかもしれない。

『考えの整頓』(佐藤雅彦 , 暮しの手帖社)


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