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仕事ができない人間の幸福度が下がる理由

 幸福度が下がる要因はいくつもあるが、その中でも大きいのは「仕事ができない」という項目だ。人間の人生において仕事というのは一番多くのウェイトを占めるし、学校を卒業したら基本的には職業上の地位がその人の社会的身分ということになる。従って仕事ができないというのは大きなハンデだ。今回は仕事ができない人間の幸福度が下がる要因について述べていきたいと思う。

仕事が面白くない

 まず第一にこれが来るだろう。人間というのは小さな成功体験の積み重ねで達成感を重ねる生き物だ。運動部で試合に勝つというのは最もわかりやすいだろう。無能な人間は仕事をしても失敗ばかりなので、こうした体験がない。試合の度に毎回負け続ける運動部のようなものだ。また、無能な人間はもとから仕事が好きでなかったり、職種が合ってなかったりするという可能性もある。

 従って無能な人間は基本的に仕事が面白くないと思う。仮に好きな分野の仕事であってもやはり効用は下がる。人生の大半を面白くないものも捧げるというのはなかなか辛い。

周囲に嫌われる

 これも幸福感に致命的な打撃を当たる要素だ。職場という環境は結果を出すことが求められているため、仕事ができない人間に当たりが厳しい。仕事ができない人間のしわよせが他人に向かうこともある。こうなると、ただ仕事ができないというだけで他人に嫌われることになる。これが運動音痴とか見た目が悪いといった項目なら馬鹿にされるだけだろうが、仕事ができない人間は実害を与えてしまうので、憎悪の対象となることもままある。

 迷惑を掛けないように大人しくしているのが鉄則だが、それでも憎悪を向けられることは多い。単に存在しているだけで「周囲の士気が下がる」と言われてしまうのだ。頑張っていることのストレスを無能に向ける人もいる。無能は職場の人間関係という観点ではサンドバック状態なのである。人間の幸福感に最も壊滅的な影響を与えるのは「孤独」であることを考えると、無能な人間はかなり辛い生活を送っているだろう。

将来性がない

 人間は未来志向の生き物なので、「上がっていく展望」は大切だ。有能な社員であれば会社で出世したり独立したりというビジョンが見えるだろう。ところが無能の場合はこれ以上社会的に何かを達成する見込みがない。これが学生時代であれば将来に先送りするという選択肢があるのだが、仕事の場合は実際に今やっていることで結果が出せるかが問われるので、無能な人間が日の目を見ることはなくなってしまう。

 転職するという手もあるが、それまでの経験は生きないし、同じ職種に行く限りは同じことの繰り返しになってしまうだろう。社会人にもなると身動きが取りにくくなってしまうので、現在の職で無能を続けるという選択肢が一番合理的と考える人が多いだろう。定年退職までの我慢大会である。

共感を得られない

 世の中には「かわいそうな人」には共感すべしという風潮がある。実際、精神的に辛い時に他者の共感を得て楽になった人は多いと思う。しかし、無能に関しては事情が異なる。無能は社会的に「いけないこと」とされているので、表に出して共感を集めることは難しい。ここは病気や身内の不幸とは異なる点である。

 仕事というのは「有能であるべし」という規範が存在するので、無能な人間は反規範的な存在ともいえる。はっきり言って職場において無能は犯罪である。だから共感を求めても「お前が悪い」という反応になる。勉強ができないとか、コミュニケーションが苦手といった劣等感よりもこれは深刻だ。

 こうした事情は無能の生きづらさに繋がっているかもしれない。世の中には非正規雇用で苦しんでいる人がいると思いきや、無能社員としてそれなりの収入を得ている人がいる。無能は何の権利があって毎日安定した生活をしているのだろうか。無能はある意味で不正行為で富を得ているため、悩みを人に話しづらいだろう。無能は職場はもちろんのこと、社会的にも嫌悪の対象なのだ。

人生を楽しめない

 無能でいることのメリットは安定した収入と職場の外での社会的地位だろう。ところが、無能の場合は私生活のQOLも下がってしまうことがある。

 まず職場関係の人間関係は広がりにくい。職場という社会的所属で干されているので、こちらの人間関係は絶望的だ。社内恋愛なども無理だろう。同じ業界の中で噂が広がってしまう時もある。

 充実感を得るとすれば職場と全く関係のない社会的所属ということになる。ただ、現代の日本社会でこうしたコミュニティを見つけるのは相応の苦労が必要だ。それに職場での精神的ダメージのせいで私生活であっても積極的にはなれないかもしれない。

 不可能とは言わないが、仕事ができない人間が私生活の充実で埋め合わせるのは難しいと思う。連日強いストレスを受け続けているし、失敗体験や人に嫌われる体験を頻繁に繰り返しているので、私生活でも自信がなくなってしまうのだ。こうした精神的な「負け癖」はあらゆる分野に影響をもたらすだろう。

まとめ

 今回は仕事ができない人間が幸福になりにくい理由について考えてみた。一日の大半を人に嫌われて過ごすというのは精神的に非常にキツいものがある。しかも状況は悪くなることはあっても良くなることはない。定年退職まで苦しみ続け、人生を浪費して終わる。

 それに罪悪感も湧いてくる。アフリカの子供が飢えているのを見る度に、自分は何の権利があって家に住んでいるのだろうと自問自答してしまう。無能な人間は自分が生きる権利があるのかもわからなくなってしまうのだ。

 これを脱するには仕事ができる人間になるしかないのだが、これは結構難しい。人間、才能がないものはないのだ。それに一度無能の立場に置かれると「働き蜂の原理」によってどんどんパフォーマンスが下がってしまうので、悪循環だ。一度悪循環にはまると人間はなかなか奈落から逃れられない。

 もし職場で無能な人間を見たら、ぜひ憎悪の目を向けないで欲しい。好きで無能をやっているわけではないのだ。仮に努力不足に見えたとしても、非難しないで欲しい。それは意欲の低下や才能のなさによって余計なことにエネルギーが吸い取られた結果かもしれない。それに、どの職場にも必ず一定数そうした人は出るものだ。だから、無能な1人を切ったところで会社に無能は存在し続けるだろう。人間、順番をつければ必ずビリは存在するのである。むしろ無能が積極的に出しゃばる状況の方が危険だ。だから多くの無能は迷惑を掛けないように大人しくしている。

 この記事で無能という哀れな生き物の生態が少しでも理解されるようになれば幸いである。

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