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東大文系VS東大理系、価値観のちょっとした違い

 筆者は何度か東大卒不幸論争や東大のコスパの悪さについて記事を執筆してきた。もともとは「東大卒の人生を考える会」さんの受け売りだったのだが、筆者としても思い当たる節が沢山存在し、興味深い議論だと思う。

 ところで、このような論争には当然反論が寄せられる。東大以外の出身者が多いが、当然東大の出身者も大勢存在した。ところで、この東大卒不幸論争に対して疑義を挟む東大卒にはある特徴がある。多くが理系出身者なのだ。

 顕著とは言えないが、東大文系と東大理系で若干の差はあると思う。東大時代も思っていたことだが、以外に人間の価値観は所属している環境で変わっていくものだった。流されて東大法学部に進んだ知人は官僚になっていったし、流されて東大経済学部に進んだ知人は外銀に行っている。両者の人間的な違いはなく、環境要因によって進路が決定されていると思う。

文系VS理系VS医系

 以前の学年上位0.1%の記事でも考察したが、基本的に日本の成績優秀者の進路は東大文系・東大理系・医学部の三択だ。医学部は理系だろうとか、理三がどうのといったツッコミがされることが多いが、議論の本質から外れるし、いちいち注釈を入れるのが面倒なので、考えないことにする。

 この中で類似点が多いのはどこだろう。東大文系と東大理系は同じ大学なので当然共通点は多い。医学部と東大理系は同じ理系選択であり、受験時に天秤にかけていた人間も多いだろうから、共通点は多い。こうなると、この3つの中で比較的共通点が少ないのは東大文系と医学部ということになる。

 優秀層の進路を文系・理系・医系に分けてみると、文系と医系の接点の少なさが思い浮かぶ。しかし、これは真実なのだろうか。いや、違う。文系と医系の共通点は存在する。例えば東大後期のデータを見てみよう。

 理三志望者層の多くは文一に流れている。これは意外な結果ではあるが、納得できる面もある。医学部志望者が東大理系に流れるのは受験科目の問題が大きく、そうした障壁を除いてしまえば、医学部がダメだったら文系に行きたいという人間は多いということになる。実際、高学歴の医者で「東大文一に行きたかった」と言っている人間を複数観測したことがある。昔の東大文一の体験記を見ても「医者になりたくなかったので弁護士を目指して文一に行った」という話が良く書いてある。

文系・医系と理系の価値観の違い

 では文系と医系に共通し、理系に存在しない要素といえば何だろうか。おもに2つある。

 1つ目は「学校歴」へのこだわりである。理系の場合、大学に入ってから勉強することが沢山存在し、修士課程を出る頃には大学受験の時の学びなどどうでも良くなっているだろう。数学も物理も大学で学ぶ内容の方がよほど高度だ。大学受験の難問は複雑怪奇な奇問にしか見えないだろう。また、理系は大学で勉強したことが就職にダイレクトに繋がることが多く、学歴ブランドがそこまで重要ではない。東北大の人が大学院で東大に移り、研究で成果を挙げていたとして、特にケチが付くことはないだろう。この段階で大学受験の順位にこだわっている人間は例えるならば中学受験の順位の自慢を大学生になってまでやっている人間に近い感覚になる。

 ところが、文系の場合はそうでもない。文系の場合は大学以降のキャリアが学業とあまり関係ないため、逆説的ではあるが学歴ブランドは有効になる。いわゆる文系就活的な能力(コミュ力・体育会系など)があまりにも学力と関係しないため、学力の証明としての学校歴が重要になってくるのだ。JTCの場合はメンバーシップ型であるため、もともと学校歴社会との相性が良いという構図もある。

 医学部の場合も同様だ。医学部の勉強は数学や物理と何も関係がないし、医師国家試験は受かれば良い試験なので、就活のシグナリングとしての機能は果たしにくい。医者になってしまえばどの大学の出身者の給料が高いといったことはない。医局で出世競争する場合は別かもしれないが、この場合も出身大学は意識されやすい。また、一部の難関大の場合は医学部というより学歴ブランド目的で入ってくる人間が多数存在する。このような人物は例えば理三に落ちて旧後期で東大に合格した場合、文一に行っていたのだろう。

 もう一つの要素がある。それは社会的成功へのこだわりだ。理系の場合は興味を突き詰めようという人間が多い。偏差値が高いことというよりも、純粋に数学や物理に興味があるという人間が沢山存在する。その中には天才的な才能を持つ人間も多数存在する。東大理系の出身者はこうした自分の技能を活かそうとして就職する人間が多い。エンジニアとかデータサイエンティストといったジョブ型の職業だ。地方の研究所で黙々と研究しているという人間もいる。色々進路はあるが、共通しているのはあまり社会的に目立つ方向に進路や興味が向かわないということだ。一言でいうと「地味」である。

 一方、文系はどうか。文系の場合はブランド志向がある。マッキンゼーとか三菱商事とか、そういったブランドがあって、経済的成功に繋がるような進路を選びたがる。また、文系の場合は社会に興味があるから、やはり社会的な自分の立ち位置が軸にあることが多い。ネットで何かを発信している人間も文系の方が多い気がする。これは根底に「人間」への興味があるからだろう。

 医学部の場合も同様だ。純朴な理由で医者を目指す人間も大勢いるが、社会経済上の地位が高いという理由で目指す理由も大勢いる。大半の人間は程度の差こそあれ、両者の性質を併せ持っているだろう。受験勉強のモチベが学術的興味とは全く関係がない人間も多い。別に数学や物理が好きだから勉強しているわけではないのだ。

 まとめると、文系と医系は学歴ブランド志向が強く、出身大学の偏差値の重要度が高い。理系の場合は両者ほど学部のブランドが重要ではない。文系と医系は社会経済上の立場への志向が強く、理系はあまり考えていない。こうしたところだろう。

 当ブログの読者の方も東大文系と医学部の出身者が多いようだ。やはり両者は「なるほど」と思う事が多いのだろうか。一方、理系出身者はそこまで多くない。

東大文系VS東大理系

 というわけで、東大文系と東大理系のキャリア観は若干のズレがありそうだ。明確に「ここが違う」と指摘できるわけではないが、やはり違うところがある。

 まず学校歴の重要性が違う。東大文系の場合は自分の知性の証明は18歳〜20歳の時の学部入試である。良くも悪くもこの点を基準に考えてしまう。したがって、純粋に東大の学歴にこだわっている人は文系が多い。

 進路にもまた、違いが出ている。東大理系の場合は自分の専門分野を生かしたいという人が多く、基本的にジョブ型の思考回路である。一般企業に就職する場合もやはりエンジニアや研究職など、専門性が高い。文系のように就職偏差値や一斉スタート型の社内の出世競争に興味を持っている人間はかなり少ないのではないか。一方で東大文系は自分の興味を突き詰めるという形の就職が極めて難しいので、就職の軸が全く異なってくる。ある程度好みの業界はあっても、業務内容を選べない文系総合職という縛りが付いてくる。したがって、理系よりも遥かに給料や会社名といった外発的な要素が多い。「就職偏差値」という概念は実に文系的だろう。医学部の場合は人による。傾向として、旧帝大など超難関大の出身者はブランド志向が強く、純粋に医療でやりたいことがあるタイプよりも医局の出世等の文系的要素が強い人間が多そうだ。東大医学部の場合は「純粋にやりたいこと」が医療ではなく受験関係だったりする。

 他にもマイナーな論点はある。東大文系の場合は勤務地が都心に限定されるが、理系の場合はとんでもない僻地だったりする。文系と違って閑職というわけでもない。

 大学院の進学率も大きく違うだろう。「学士は低学歴」と言っている界隈も理系である。理系の人が修士までに学んだ沢山のことを考えればそう言いたくなる気分は理解できる。ただ、文系の場合は土俵に立てないし、実感することも難しいだろう。

要するに、どこが違うのか

 色々細々とした違いはあるのだが、根本的に違いを産む要素は何かという点をはっきりさせておきたい。東大理系も東大文系も両方とも競争心が強いし、人格的にそこまで大きな違いはない。しかし、進路や環境は違うし、それに伴って価値観も異なってくる。

 東大理系の場合は「テーマ」に焦点が当てられている。物理が得意で純粋に興味があるとか、コンピューターの技能を極めてデータサイエンティストとして活躍をしたいといったものだ。価値観は徹底してジョブ型である。JTCに就職した人間は多いが、JTCのナラティブにはあまり参加していない印象だ。それよりも目の前の技能の上達や能力の追求に焦点が当てられている。理系で東大卒を鼻にかけている人間もいなくはないが、文系のそれよりも明らかに毒が強いイメージである。純粋に学校歴にこだわっていると言うよりは、理系至上主義・数学至上主義の流れを組んでいる人間も多い。この場合は理数系という明確な「テーマ」が存在するので、理系の特徴を満たしている。

 一方で東大文系の場合は「社会的評価」に焦点が当たっている。テーマそれ自体ではなく、そこから派生する社会的評価が重要なのである。学歴ブランド主義もその一環だ。東大文系が理系に比べて拝金主義というわけではないが、どうしてもそのようなコースに乗ってしまいやすい。例えるならば、東大理系は自分の頭の良さをデータサイエンティストとしての技能や論文投稿で見せつけるのに対し、東大文系は出身大学や所属組織の肩書で判断する環境にいるということだ。

 東大文系の優秀層に有名中高一貫校の出身者が多く、東大理系の出身者に公立進学校の出身者が多いのも、一つはブランド志向の強さがあるかもしれない。有名中高一貫校の東大理系は地味な理系研究者よりも「マッキンゼー」といったキラキラした就職先に飛びつきやすい可能性がある。

 医学部の場合はなんとも言えない。理系寄りの人間も多いだろうが、難関大医学部の話を聞いていると非常に文系的である。東大医学部の場合はやりたいこと(数学・物理・受験トーク)がキャリアに繋がりにくいため、結局は文系的な方向に行かざるを得ないという人間がいる。筆者の友人のA君は東大医学部卒なのだが、生命科学にはなんら興味はなく、本当は源氏物語の研究者になりたいらしい。ただそれでは食えないので、医者に「文系就職」したというわけだ。

 東大卒を売りにしている有名人も文系の方が多いのではないかと思う。林修とか、ホリエモンとか、山口真由とかだ。理系でも東大卒を売りにしている人は多いが、数としては減るし、好きなことを突き詰めていった結果有名人になったというパターンが多い。クイズノックはいい例だろう。彼らは学歴よりクイズが好きなのだろうが、文系中心のマスメディアが勝手に東大卒のブランドを過剰評価しているのである。なお、東大医学部出身の和田秀樹とか、米山隆一とか、河野玄斗とかは医系のカテゴリである。やはり学歴ブランドという点で文系的である。

まとめ

 今回は東大文系と東大理系の若干の違いについて論じた。東大理系は興味のある分野を突き詰めたい人間が多く、ジョブ型的である。その分、出身大学にはそこまでこだわらない。文系は社会的な肩書にこだわる人間が多く、メンバーシップ型との相性が良い。ただし、両者の競争心はあまり変わらない。いや、理系の方がキツイだろう。単純にこだわっている分野と競争の仕方が違っているということだ。理系は価値観が「内向的」で文系は価値観が「外向的」というのが一番簡潔な説明かもしれない。

 東大文系は社会経済上の地位への関心が強いという点で東大理系よりもむしろ医学部に近い側面がある。理数系に強い関心がある人間は医学部に進学すれば物理への愛情を押し込めることになるし、東大理系に進学すれば研究職の安月給を嘆いたり、そもそも医者に全く興味が無かったりする。一方、理数系には関心がなく、社会へ関心があるタイプは医者と三菱商事を比べていたりもする。多くは文系の人間だ。医学部はその特殊な立ち位置により、文系的な人間と理系的な人間が混在しているとも言える。

 今回は普段の記事に比べるとずいぶんキレがなくなってしまった。自分自身、完全には両者の相違点を把握できているわけではない。追加の考察があれがまたの機会に記事にしたいと思う。

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