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<地政学>本当にネタのない国、モロッコの地政学的特徴を考察する

 これまたリクエスト記事である。モロッコの地政学について論考を書いてほしいというコメントが来たのだが、どうにも筆が進まない。というのも、モロッコは本当にネタがないのだ。1時間ほどぼんやりと考えたが、本当に浮かんでこない。確かに地政学関係の本でモロッコが取り上げられているのを見たことがない。同時に国際紛争に関する本でも取り上げられないし、世界史の本でも皆無とは言わないが、大変マイナーである。

 モロッコは地理的に孤立気味とはいえ、チョークポイントのジブラルタル海峡に面しているし、重要性が低いとは限らないはずだ。モロッコは最近でこそ忘れられているが、ヨーロッパと中東の境界地帯の国であるはずである。普通はこのような地域は必ずネタがあるはずだ。

 筆者は大抵の国の情勢には詳しいはずなのだが、なぜここまでモロッコにはネタがないのだろう。逆に謎が浮かんできたので、今回は一周回ってモロッコのネタの無さの理由を考えてみたいと思う。

モロッコってどんな国?

 モロッコはアフリカ大陸の北西部に位置する国である。人種はアラブ系とベルベル系が混在している。一部黒人の血が混ざっているものの、基本はコーカソイドと考えて問題はない。地政学を始め社会科学系の考察においてはモロッコを含む北アフリカはアフリカというよりも中東の一部として考えられることがほとんどだ。歴史的・文化的・経済的な実情を反映したものである。一般に言う「アフリカ」とはサハラ砂漠以南のブラックアフリカを指す事が多い。

 モロッコは対岸にスペインが存在する。いわばヨーロッパへの窓というわけだが、あまり影響は受けていないようだ。モロッコの経済水準は低く、フィリピンとかエジプトと同じくらいである。中進国の水準まで行かないが、最貧国にはならないという微妙な線である。筆者は以前の記事で世界の国の経済階層を先進国・中進国・途上国・貧困国・マルサス状態(ニジェールなど)に5分類したのだが、モロッコは第3グループに当たる。モロッコは人口4000万人で、そこそこの存在感のある規模だ。しかし、経済は大して成長しておらず、新興国としてモロッコが取り上げられたことは少ない。

 モロッコはアラブ系が中心の中東の国と言える。ただ、アラブ世界にありがちな政情不安は今のところ起こっていない。アルジェリアでは凄惨な内戦が起こったし、リビアやチュニジアではアラブの春が発生したが、モロッコはこれらの事件も波及しなかった。

モロッコの歴史

 モロッコはアフリカ大陸にあるものの、ユーラシア文明圏であるため、ブラックアフリカほど文明が遅れることはなかった。それでも古代のモロッコはあまり目立つ地域ではない。当初はカルタゴの支配下にあり、後にローマの支配下に移った。ローマ時代はマウレタニアという名前で呼ばれていた。今のモーニタリアの由来である。モロッコは他にもヴァンダル王国や東ローマ帝国の支配下に入ったので征服されやすい地にも思えるが、エジプトのような地域とは違う。むしろ、辺境なのでキャラの濃い国家が形成されなかったといった方が適切だ。

 7世紀になるとイスラム帝国の征服を受ける。アラビア半島の国家が数千キロの距離を経てモロッコまでやってきたのは信じがたいが、意外に簡単だったのかもしれない。モロッコは灼熱の乾燥地帯であり、中東と気候が同じだからだ。東西方向の征服は南北方向の征服よりも簡単という筆者の主張はモロッコにも当てはまるだろう。

 モロッコ辺りを根拠地とした王朝の中である程度目立っているのはムラービド朝とムワッヒド朝である。両者共にイベリア半島の南部を征服し、北方のキリスト教国家と複雑な戦争を戦った。レコンキスタが激化していた時代だ。結局イベリア半島のイスラム教勢力は衰退し、彼らはモロッコに追放されることになった。ついでにユダヤ人も迫害を受けたため、イベリア半島のユダヤ人は軒並みモロッコに逃亡した。実はモロッコはイスラム世界で最大のユダヤ人人口を抱えていた国で、現在のイスラエルではモロッコ系はロシア系に次いで人口が多い。彼らの多くは第一次中東戦争後にモロッコで居づらくなり、イスラエルに移住したものである。

 レコンキスタの後もモロッコではいくつかの王朝が興っては消えたが、特に有名なものはない。700人の子供を儲けた王様がギネス世界記録に登録されているくらいか。ポルトガルが一時期この地域を攻略しようと考えたことがあるが、うまく行かずに諦めている。スペインとポルトガルはこの後衰退期に入るため、モロッコに対する脅威にはならなかった。オスマン帝国は北アフリカに勢力を伸ばしていたが、アルジェリア辺りまでで止まり、モロッコまでは至らなかった。

 近代の植民地時代に入るとモロッコはついに列強の植民地支配を受けることになる。スペインはモロッコを植民地化しようとしたが、ベルベル人の抵抗が強力で、一部しか攻略できなかった。ようやく20世紀の初頭にフランスがモロッコを併合し、この時にドイツが反対したことで「モロッコ事件」が起きた。ただ、これはモロッコ自体の地政学は重要ではなかった。

 モロッコは度々宗主国に反乱を起こしていたが、戦後になるとフランスとスペインはモロッコ支配ができなくなり、独立する。フランス領モロッコではフランス当局への大規模な反乱は起きなかった。隣国アルジェリアとは違う。スペイン領モロッコは遥かに面積が狭いにも関わらず、何度も大規模な反乱を起こしていた。スペインの統治能力や経済力の弱さが原因かもしれない。

 戦後にモロッコは独立する。国王に就任したのはそれまでも存続していた現地の王朝だ。カンボジアやラオスと同じパターンである。独立後のモロッコはアルジェリアや他のアラブ諸国のような大規模な政情不安に見舞われることはなかった。西サハラ問題を除けば紛争への関与は殆どなかった。

地政学的なネタの多い国

 地政学的なネタの多い国はどこだろうか。まずアメリカ合衆国をはじめとする世界大国は基本的にネタが多い。世界の勢力均衡を語る上で欠かせない存在だし、ここまで成長するまでには多くの物語があったはずだからだ。ヨーロッパの五大国の勢力均衡に関して論じていたら、それだけで何本も記事が書けてしまう。大国の多くは二度の世界大戦の主要参戦国であり、そこには多くのネタ(及び悲劇)が含まれている。

 現在は大国ではなくても、近代以前において活躍していたというパターンもある。以前の記事で取り上げたスペインがまさにそうだ。まだ記事は書いていないが、オランダやオーストリアと言った国もやはり近代以前のネタは多く、長大な記事書けることは間違いない。

 小国であっても書けるネタは多い。例えばスイスやモンテネグロは小国として生き残った事自体がネタとなる。他にもフィンランドやアフガニスタンなど、これらの小国は歴史おいて異彩を放っていることが多いだろう。

 他にネタの多い国はあるか。大して強くなくても近現代において紛争に巻き込まれている国の場合はそれがネタになる。紛争が生じると周辺地域が不安定であるため、そこに地政学的駆け引きの余地が生じる。アフリカの国は破綻国家が多く、国際関係を論じる状態にすら至っていないが、この場合は国内政治を見れば良い。アフリカの国は戦国時代だからだ。そこには織田信長や豊臣秀吉が現代風の衣装をまとって活躍しているのだ。

 度々取り上げる中東の国はこれらの要素の多くを満たしている。歴史が古く、地政学的に重要な抗争に巻き込まれることが多く、地域大国同士が複雑な勢力均衡を作り、しかも国内政治も不安定である。中東は地政学において世界一ネタが多い地域ではないかと思う。特にトルコのような国はあまりにもネタが多いので、いくら書いても書ききれないくらいだ。

モロッコの場合

 さて、モロッコの場合はどうだろう。まずモロッコは大国ではない。地域大国だったことも無いだろう。モロッコが何らかの勢力均衡の主体として動きを見せたという話はレコンキスタの一時期を除けばあまりない。モロッコ自身が強大な征服国家となってユーラシアに名を轟かしたという話は聞こえてこないのだ。モロッコ史上最強の王朝であるムワッヒド朝もイスラム世界において地味な存在である。

 それでも歴史が深い国であればネタは宝庫のハズなのだが、モロッコはどうにも歴史ネタが無さそうだ。紀元前からこの地域は辺境で何もなかったのだろう。ユーラシアの場合はなにもない地域には必ず遊牧民がいて、ユーラシア各地で大暴れしているものだが、モロッコにはそのような存在も少なかった。バルバリア海賊が地中海沿岸を荒らしたくらいである。そのバルバリア海賊もオスマン帝国支配下のアルジェリアやチュニジアの方に重心があった。

 ポーランドのように地政学的に重要な国として大国の争奪戦になることもなかった。モロッコはこれと言って天然資源はないし、大国同士の緩衝地帯になることもなかった。

 こうした国家であっても国内紛争が起きれば地政学ネタの宝庫となる(現地人にとっては溜まったものではないが)。しかし、モロッコは運良く独立後に大きな内戦を経験することはなかった。したがってモロッコは脆弱国家ではない。最貧国にありがちな考察材料もモロッコには存在しないのだ。

モロッコの地政学

 このモロッコの地味さをどう説明すれば良いのだろう。一つはモロッコの地理が原因だ。モロッコはアラビア語で「マグリブ」と呼ばれる。「日の沈むところ」という意味だ。そう、モロッコはイスラム世界の西端なのである。イスラム世界はしばしば「モロッコからインドネシアまで」と言われるのだ。端っこにいるということは、地政学的な争奪戦に巻き込まれにくいということである。

 モロッコの南はサハラ砂漠なので、脅威になる国は存在しない。東方からの脅威は存在したはずだ。ただし、カルタゴの滅亡以来、北アフリカ地域にこれと言って強力な国家は存在していない。挙げるならファーティマ朝くらいだろうか。しかし、ファーティマ朝も関心はエジプトや更に東方にあり、モロッコでは特に何も起こらなかった。中世において交易の中心は地中海から中国に至るまでのルートであり、反対方向のモロッコを抑えても特に意味はなかった。

 モロッコのライバル国は東方よりも北方に存在した。モロッコはイベリア半島との繋がりが深く、レコンキスタの時は何度も戦争をしている。ただし、レコンキスタの終了後はイベリア半島の二カ国はそこまでモロッコに深く関与することはなかった。スペインの関心は新大陸とヨーロッパに向いており、モロッコはどうでも良い地域だったようだ。

 モロッコはこれと言って大国が起こらなかったが、かといって征服しやすいわけではなかった。アトラス山脈によって山がちな国土は支配するのが難しく、ベルベル人は勇猛果敢に抵抗した。

 地中海と言うとバルバリア海賊を思い浮かべる人も多いだろうが、こちらはアルジェリアを拠点としており、モロッコはあまり関係がなかったので、欧州諸国がモロッコを攻める道理はなかった。列強が北アフリカを支配しようとするのはもっと後の時代のことだ。おそらく北アフリカという地域は立ち遅れており、現在のソマリアのような認識だったのだろう。

 近代に入るとどうか。この時代はスペインが完全に衰退しているため、スペインが緩衝地帯になってモロッコには何も起こらなかった。モロッコに海軍力はなく、ジブラルタル海峡を守るイギリス海軍にとって空気のような存在だ。スペインですら空気だったのだから、モロッコは当然のことだ。20世紀初頭の帝国主義時代についにフランスによる植民地支配を受けるが、この時代は英仏が接近していたので、特に重要な争点になることはなかった。第二次世界大戦でも同様である。(ただしカサブランカは有名である)東西冷戦においてもモロッコは争点にならなかった。

 モロッコにネタが無い理由を考えていくと以下のようになる。

①経済的に立ち遅れていた。
②周辺にスペインを除いて大国が無く、そのスペインも近代にはいると衰退したために大国間の争奪戦にならなかった。
③世界史に名を残すような強大な帝国が生まれなかった。
④二度の世界大戦や冷戦の舞台から遠く離れていた。
⑤独立後に大きな紛争が起きなかった。

 これらの理由が挙げられるだろう。要するに、モロッコは辺境すぎるのである。もちろん端っこの国だからといって重要でないわけではない。日本や南アフリカ共和国はその立地を生かして強大な勢力を築いた。しかし、モロッコはそのような大国にもならなかったので、本当に何も起こらなかったのだ。他の地域で例えるなら、アイスランドやジャワ島に近いかもしれない。それでも経済成長が盛ん等の理由があれば注目されたかもしれないが、モロッコはずっと鳴かず飛ばずである。

西サハラ問題

 モロッコが関与しているほぼ唯一の紛争といえば西サハラ問題だ。世界の紛争の中でもトップクラスに地味である。ソマリアやコンゴの国内紛争の方がまだ注目されているのではないだろうか。

 西サハラはもともとスペイン領サハラと言われていた。この地域は本当に何もなく、一面タダの砂漠である。モロッコの人口が4000万人に対し、西サハラは50万人しかいない。スペインは国力が弱すぎて「残り物」しか取れなかったのだ。「植民地を持っている」というプライドのための植民地だろう。

 スペインが1970年代に撤退すると、この地域の帰属が問題になった。モロッコはこの地域を自国領だと主張し、スペインの撤退と同時に占領した。モーニ゙タリアも西サハラの領有を主張したが、途中で諦めている。脱植民地化には「植民地時代の国境線を変えてはいけない」という暗黙のルールがあり、これに反したモロッコの主張は認められなかった。これが原因でモロッコはアフリカ連盟から追放される。

 先程モロッコはイスラム世界の西端で、インドネシアは東端であると述べたが、西サハラをめぐる問題は東ティモール問題にそっくりである。前者はスペイン、後者はポルトガルによって領有されていた、どうでもいい海外領土であり、隣国が独立と同時に併合したところ、国際社会から非難轟々だったという展開だ。それでも東ティモールの場合は住民の多くがキリスト教徒という民族的な拠り所となる実体があったが、西サハラの場合は何も無い。過疎地に遊牧民の部族が住んでいて、しばしばモロッコ軍を襲撃しているだけである。

 西サハラは世界の紛争の中でも指折りの地味さだろう。モロッコ自体の重要度が低く、しかもサハラ砂漠の過疎地である。どちらの軍が勝とうが主要な大国としてはどうでもいい話だ。西サハラ問題を熱烈に擁護する根拠は宗主国がでたらめに引いた国境線を変えてはいけないという不文律だけであり、西サハラのために頑張ろうという国は少ないだろう。ジェノサイドでも起きていれば別だが、紛争の規模は極めて小規模だ。モロッコからすればちょっとくらい併合しても良いだろうという感覚なのではないかと思われる。2020年、トランプ政権はイスラエルの承認の見返りにモロッコの西サハラ支配を承認したが、ほとんどニュースにならなかった。本当に主要国は関心がないのだろう。

 余談だが、西サハラが独立すれば東西南北の付く国がすべて揃うことになる。西サハラ・北マケドニア・東ティモール・南スーダンである。

まとめ

 モロッコは本当にネタが無い。あまりにもネタが無いので一周回ってネタが無い理由を考えてしまった。最大の理由はモロッコが「端っこ」の国であるというものだ。

 似たような「端っこ」の国を考えてみよう。日本・イギリス・オーストリア・南アフリカなどは「端っこ」ではあるが、強大な国力を持っていたのでむしろ目立っている。日本史で考えても伊達氏や島津氏のように「端っこ」にいるということは地政学的に有利な事が多かった。

 しかし、このような強大な勢力が生まれない場合、「端っこ」の国は本当に地味になってしまう。現代の世界で言えばパプアニューギニア・アイスランド・マダガスカルが該当するだろう。それでもアルゼンチンのように衰退ネタがあれば良いが、モロッコはこのような内政ネタもない。

 とは言えモロッコは最重要シーレーンのジブラルタル海峡に面しているので、地政学的抗争に巻き込まれなかったのは不思議でもある。この地域は英領ジブラルタルによってイギリスが長年制海権を取っていた。ジブラルタルは狭い領域でしかないが、スペインがこの地域を奪還することは無かった。誰も取らなかったので、争いごとも起こらなかったのだ。

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