東大卒不幸論争の背後に潜む、究極の要因について解明する

 前回の記事では東大と医学部を比較した時に医学部の方が実は遥かに選択肢が多いという話を述べた。給料や社会的威信もあるかもしれないが、東大卒と医学部卒の卒業後のQOLを分ける最大の点はこれだろう。

 以前、こんな記事がバズったこともあった。

 私自身、当てはまることが多く、納得である。つい数日前もMARCH卒の人物から「東大出てもお前は負け犬だ」と馬鹿にされたことがあった。人生でこれほど学歴差別をしたい気分になったことはない。筆者の大学時代は極めて幸福だったのだが、卒業後の進路選択に問題があり、苦しみの日々を送っている。

 さて、東大卒と医学部卒の大きすぎる卒業後格差、東大卒が不幸になってしまう理由、さらには東大閥の職場の抱える問題などには一つの共通する構造がある。今回はその点を論じていきたい。

 要点は4つである。

①東大卒の頭脳を活かせる場が社会に十分にない
②東大卒の社会的地位は卒業と同時に下落する。
③東大卒を含む日本人の多くはこの事実に気がついていない。
④したがって期待値とリターンに乖離があり、幸福度が下がりやすい。

①東大卒の頭脳を活かせる場が社会に十分にない

 なんだかんだ、東大卒はかなり頭が良いと思う。学力的には圧倒的だ。周囲を見ていても、その世代の頭の良い人間は軒並み東大に終結していったし、社会に出てからもやはり東大卒は思考力や教養の面で優れていると感じることが多かった。早慶旧帝はもちろん、ほとんどの国立医学部をも圧倒していると思う。

 一般に頭の良さとされている要素は一般教養や思考力であり、これらに関して東大卒は極めて優れている。世間で思われているよりも露骨だと思う。しかし、世の中の多くの仕事にはこうした頭の良さは役に立たない。やや極端かもしれないが、飲食店のバイトとか、売店の店主などを考えてみれば良い。東大の二次試験に求められる能力は学術面にあまりにも特殊化しており、社会ではオーバースペックなのだ。

 総じて、東大卒は確かに頭脳的に優れているのだが、その能力を社会で活かす場所が限られているというのが問題の根底にある。しかも、東大卒や他の日本人の多くはその事実に気が付いていない。ここが問題の根源である。

 東大卒の多くは卒業後は早慶旧帝と似たような進路を取るし、実際の労働者としての価値もそんなものだろう。おそらく早慶旧帝辺りでサラリーマンに必要な頭脳は頭打ちである。したがって、東大卒の卒業後の価値は医学部と逆転することになる。東大卒の能力は教育機関に特殊化しており、経済界においてはそこまで価値が認められていないということだろう。

②東大卒の社会的地位は卒業と同時に下落する。

 東大卒の価値は職業人生という観点においては医学部に劣後するし、おそらく早慶旧帝より少し高いくらいのレベルだと思われる。ところが世間は東大に対して遥かに高い価値を見積もっており、偏差値は恒常的なバブル状態にある。偏差値というと批判されそうだが、大学の市場価値と考えると、かなり重要な指標である。日本人は東大に医学部の何倍もの価値があると考えているのである。なぜかは分からないが、学術や教養に興味がない人間も東大だけは認めている事が多い。だから高校生の多くは医学部ではなく東大に進むし、「東大王」なんて番組が作られたりする。これが更に不幸を加速させているのではないかと思われる。

 東大卒の市場価値は卒業と同時に下落する。教育機関としての市場価値は医学部を圧倒しているが、実際のリターンは早慶に毛が生えたくらいだ。この事実がまず不幸の原因となる。

 自分の価値が下がっていくというのは精神的に辛い。下品な言い方をすれば、「自分がモテると思っている30代パパ活女」といった存在に近いものがあるだろう。引退したアスリートや一世を風靡した子役も近いかもしれない。東大合格が人生のピークで、その先は下り坂なのである。

 続いて躓くポイントになるのは就活となる。東大卒の就活は確かに強いのだが、期待ほどではなかったりする。「就職偏差値」上位の企業であっても財閥系をはじめとする多くの一流企業のメインストリームは早慶であり、東大をそこまで求めている訳では無い。

 以前の記事で擬似的に就職先の偏差値を査定できないか考察したことがある。いわゆる大手企業の難易度と社会的威信はだいたい早慶くらいという見積もりになった。ところが東大卒にとっても大手企業に入るのはそれなりに難しい。総合商社よりも東大の方が遥かに難しいはずなのだが、総合商社に内定すると間違いなく周囲から「さすが」と言われるだろう。

 そもそも「就職偏差値」という概念が勘違いの元だ。偏差値というのは「上位の学校の人間は下位の学校にも合格できる」という上位互換性が前提となっており、就職には当てはまらない。例えば財務省内定者が総合商社に全落ちするといった話は普通である。したがって「就職偏差値」の低い企業なら東大卒が簡単に内定できるとか、入社後に優位に立てるというのは間違いなのである。

 サラリーマンになってしまうと、東大卒の経済的成功度と社会的威信は大学受験で例えるとMARCHくらいにまで下落することになる。ここまで来ると、医学部とは圧倒的な差ができてしまう。医師免許は生涯有効だが、東大卒であっても就活で優位に立てるのはせいぜい第二新卒くらいまでなので、その程度の価値ということだ。

 東大卒の経済的価値が偏差値に見合っていれば、本当は平均年収が2500万くらいないとおかしいはずだ。しかし、東大卒の本当の経済的価値はもっと低いので、実際の年収は1000万円程度で、それも新卒就活に成功してレールから外れなかった場合に限られる。

③東大卒を含む日本人の多くはこの事実に気がついていない。

 ここが大変不思議なのだが、東大卒の市場価値の下落について気がついている人間は少ない。東大卒を含む日本人の殆どは分かっていないと言えるだろう。その理由は複雑極まりない。

  まず真っ先に挙げられるのが学歴信仰だろう。学歴はキャリアの手段ではなく、それ自体が目的になりうるのだ。これは日本だけではなく、外国でもあるらしい。確かに「学び」の価値は大きいし、仕事に繋がらない学びが人生において無駄とは言えない。特に高校生は学校にしか行っていないので、東大を神格化してしまうのは無理もない。

  また、卒業後の進路は複線化されているので、何を持って上とするかの定義は極めて難しい。年収面で算定することは可能だが、年収だけで職業的な強みや出世度を測るのはあまりにも短絡的すぎる。筆者は大手JTCの社会的威厳と難易度は早慶くらいと述べたが、これも推計に過ぎない。厳密な意味で論証することは不可能である。

  東大卒の価値は早慶くらいに下落するとは言え、これは世間一般からするとかなり高い水準である。学歴対数ランク表のようなもので定量的に分析しない限り、差異を認識するのは意外と難しい。これに複線化が加わるとますます理解しにくくなる。

  ④したがって期待値とリターンに乖離があり、幸福度が低下しやすい

   今までの議論をまとめよう。日本社会は東大に高い価値を見出しており、実際に東大生はかなり頭が良い。しかし、その才能を生かせる場が社会では限られているため、キャリアという観点で東大卒の価値は早慶くらいである。医学部には確実に劣後する。東大生は在学中はチヤホヤされるが、社会に出ると2ランクほど価値は下がってしまう。

  誰しも自分の価値の下落は嫌なものだが、婚活女子と違って東大卒の価値の下落は世間でほとんど認識されていないため、問題を悪化させている。東大卒は社会に出た時のキャリアに強い期待感を持ってしまうため、現実とのギャップに落胆することが多い。世間も東大卒の価値を過大に見積もり、学歴コンプの人間が東大卒に絡んだりする。これが東大卒不幸論争の最大の原因である。まるで転職先がないと嘆くJTC50代管理職のようである。

  ライターのトイアンナ氏は慶応卒元P&G社員であることを売りにしている。YouTuberの宋世羅氏は早稲田卒元野村證券社員であることを売りにしている。売り出し方を見るに、学歴とキャリアは同じような価値である。ところが東大卒の場合はキャリアよりも東大卒を押し出し、世間からも学歴の方が注目されることが多い。これらはほんの1例だが、就職先よりも東大卒の学歴の方が肩書きとして強いのである。

  したがって、東大卒と早慶卒では入社した時の期待感がまるで違う。東大卒は入社の時点でエネルギーを使い切っているという話があるが、これはむしろ下方就職に原因があるかもしれない。早慶卒がやる気満々で入社してくるのに対し、東大卒はどこか余生のような感じなのである。同期と一斉スタートで社長を目指すと意気込んでいる東大卒はあまり多くない。

  また、東大卒の価値が下落しているため、早慶に対して出世面で優位に立てる訳では無いのも挫折感を深める。自己有能感と現実のギャップは中々しんどいものがあるだろう。東大卒の多くは妙にプライドが高く見えるのは「本当はお前らとは違うんだぞ」というギャップの現れかもしれない。それでも大企業に入れればマシだ。これが博士課程卒の高学歴難民ともなると、目も当てられない。

東大閥の罠

  ここで疑問が浮かぶ人がいるだろう。東大卒出ないと入れないようなエリートコースに進めば良いのでは無いか?こうすれば東大卒は相応のリターンを保てるのでは無いか?

  しかし、これは罠でもある。東大卒でないと入れない会社があったとしても、東大卒のパフォーマンスが早慶くらいという現実が変わるわけでは無い。となると、かなり無理が生じてしまう。この手の就職先は大抵が東大卒のプライドの高さを逆手に取ったやりがい搾取になることが多い。また、競争心だけはやたらと強いので、不要な無限競争社会になりがちである。

  例えば官僚がそうだ。官僚の異常な激務薄給は最近知られてきた。どう見ても普通の大手民間企業の方がリターンは多いだろう。外銀は給料が多い分マシだが、それでもとてつもなく激務であることは間違いないし、雇用が不安定であるため、JTCとは比較できない。重ねて外銀に行くようなタイプは東大でもトップクラスの人間である。

  官僚や外銀は医師免許ほどのリターンはなく、むしろ激務薄給の無限競争社会である。正直、幸福度が高そうには見えない。やはりこの点でも東大卒のリターンは見合っていないと言えるだろう。

幸福な東大卒の特徴

  東大卒の多くは在学中にチヤホヤされるのに対し、卒業後のリターンは下落する。しかもその事実があまり知られていないので、東大に匹敵する社会的威信をキャリアに求めようとして無限競争社会に突入してしまう。幸福度が低下する最大の要因はこれだろう。東大卒は構造的に挫折感を抱えやすいのだ。

  ある意味で東大卒の不幸は中年期の危機に似ているかもしれない。JTCの社員は50代になると出向で給料が下がる者とますます少なくなるポストの争奪戦に明け暮れる者とに別れる。前者は余生のような気分であり、後者は競争ですり減ってしまう。両者の構造はよく似ている。

  しかし、実際には幸福度の高そうな東大卒は結構いる。彼らの共通点を見ていると、早慶の出身者と見分けがつかない多い。この場合は期待値と実態の乖離が生じないので、幸福度は上がる。多くはJTCに入社したり、専門職等になって、早慶旧帝と余り変わらないキャリアを歩んでいるが、かなり生き生きしている。

  一方、何かしらの点で東大の要素を残している人間は幸福度が低そうだ。

  官僚など無限競争社会に突入して行ったものは本当にキツそうである。労働者としての能力の期待値が下落しているため、能力以上のパフォーマンスを無理やり引き出すからだ。

  一方、JTCにおいても東大卒としての優越意識を持っていると、プライドの高さが周囲に伝わり敬遠される。本人もギャップに苦しむだろう。このタイプはあんまり出世しないらしい。

 あまり認識されていないが、かなり予後が悪いのが「学者タイプ」だ。彼らは中央省庁や日銀などの就職先に向かった者が多いのだが、かなり離職率が高い。自殺した者もいる。彼らは東大が欲している抽象的思考力と知的好奇心に長けているが、どうにも彼らは文系総合職の仕事と相性が悪いようだ。学者タイプの東大卒は東大卒の悪いところの一面を浮き彫りにしているのかもしれない。

まとめ

 こういった実情を踏まえると、どうにも東大への進学を勧める気にはなれない。確かに東大は素晴らしい大学なのだが、その能力を活かす場が少ないため、社会に出た時に失望感を感じる割合が高いからだ。それは社会が東大卒の価値を過剰に見積もっており、キャリアへの期待値が上がってしまうかことが大きく影響している。

 特に学者タイプなど東大卒の特徴を煮詰めたようなタイプは予後が悪い。最悪は大学院博士課程だ。学問の意義を否定はしないが、キャリアという観点ではマイナスである。学者タイプの特徴を更に強めてしまうので、民間企業に適応できなくなってしまう。年齢が増してしまうのも致命的だ。

 民間企業で働く上では早慶レベルの学力があれば十分であり、それ以上頭が良いとむしろマイナスになってしまうかもしれない。筆者は東大で様々な知性溢れた人間を見てきたが、彼らはあまりキャリアへの満足度が高く無さそうだ。数年で辞めてしまうか、在職していても仕事が本当につまらなそうである。逆に俗物タイプや体育会系タイプ、勉強は好きだが知的好奇心は乏しいタイプはかなり順調なことが多い。

 確かに教育や学問は素晴らしい。しかし、人間は知性体であると同時に動物であり、糧を生産して生存するという宿命からは逃れられない。そもそも頭が良い=生物として優れている、という考えは間違いじゃないかとも思う。野山でサバイバル生活を送れば自分がゴリラやチンパンジーに比べて優れていると言える根拠は見つけられないだろう。人間が優れた文明を持っているのは頭が良いから以上に人々のアイデアを言語的に交換できるという要因が大きい。知能が発達していても集団に協調できなければ無用の長物なのである。東大卒の多くは確かに頭が良かったが、彼らはむしろ石炭紀の巨大トンボのような過剰進化してしまった個体であり、生存競争という意味ではそれほど強みにならないのではないか。

 頭が良く生まれてしまった人や、学術的好奇心に溢れた人間は医学部医学科への進学を勧めたい。学者タイプこそ医学部に行くべきである。理三である必要はない。医師免許があれば進路選択の幅が広いし、最悪でも食いっぱぐれがないので、どうにかなりやすい。バイト医になりながら大学院に通っている人もいる。医学部6年間さえ我慢してしまえばむしろフリーダムである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?