東大卒業生の幸福度が上がりにくいこれだけの理由

今回は東大卒の幸福度が上がりにくい理由に関して考えてみたい。
東大を卒業して結構な年数が経過し、今でも多くの東大卒と業務上でもプライベート上でも関係を有している。業務上では、深い話をすることはないが、プライベートになるとやっぱりそこでは、色んな悩みを聞くことがある。
世間一般では、「東大に入ると」「東大を卒業すると」幸福で豊かな人生が待ち受けていると考えられている。
筆者自身は必ずしもそうではないと思うし、周りの東大卒と話していると複雑な気持ちになる瞬間が多い。

今回はこれまでの筆者自身の経験を基に東大卒の幸福度が上がらない要因に関して、考察してみたいと思う。

結論としては以下の要素を挙げることが出来る。

【東大卒はその肩書にふさわしい進路選択を要求される】
【勤務地が都心に限定され、可処分所得や時間が増えない】
【ギリギリ上が見えてしまう微妙なポジショニング】
【高校で医者を選択した同期との比較】
【発達障害を抱えていて、社会に適合できない】
【多くの場合、東大合格が人生のピークで後は下り坂】
【競争社会を経て、人生に疲れ切っている】

今回はこれらの要素に関して、筆者なりの考察も交えて考えていきたい。

1.     東大卒はその肩書にふさわしい進路選択を要求される

「東大入ってまで何でこの会社に来たの?」
筆者が社会人0年目つまり内定者懇親会の飲みの席で、開口一番に言われた言葉である。当時はそこまで自分の内定先が嫌いだとか、就活に失敗したという認識は持っていなかったので(持っていないほど情弱だったので)、怒りというよりも不思議な気持ちになったのを覚えている。その後社会人生活が進むにつれて、東大からその会社に入った卒業生は、その事実だけで「多分人間性に問題がある人」「何かしらの問題を抱えている人」というレッテルで最初から見られてしまうことが分かっていった。

上記はあくまで筆者の例だが、東大卒はその肩書にふさわしい進路を要求される。
具体的には、外銀、外コン、官僚、総合商社、一部日系金融専門職、インフラ、士業などでこれ以外の選択肢の場合は周囲はなかなか納得してくれない。
知り合いの中には、地方出身でその地の県庁に就職した者もいたが、それでも裏では冷やかな目で見られていた。
東大卒同士であれば、全員が花形の進路に進めるわけではないことや、就職偏差値に囚われない進路があることも重々理解しているのだが、他大学の学生と話した際には、何とも微妙な空気が流れる。
ちなみにベンチャー企業に入った場合は、なぜか上記の企業群に入っていなくても、低評価がなされることはない。この場合は、「何かやりたいことがあった人」という見方をされることの方が多い。一番微妙なのは、トップとは言い切れない金融機関やメーカーに入った場合だ。
(多くのケースで年収含めた待遇面は、ベンチャーと比較してこれらの企業の方が恵まれているにも関わらず。だ)

これは転職活動の際のネックにもなる。東大を出ているにも関わらず、初手(新卒)で微妙な選択肢を取っていると「どこかで妥協するやつ」「変な奴かも」と思われてしまうことが多い。また東大卒があまり多くない業界においては、そもそもエントリーシートで弾かれるケースもある。
筆者の体験談となってしまうが、数年前東京生活に疲れてしまって、地元関西や福岡で働けないかと模索したことがあった。数社ピックアップし、エントリーしてみたのだが、結果としては殆どのケースでお見送りであった。
他の都心の企業はエントリーシートで落ちることは殆どなかったので、「逆学歴フィルター」が働いた可能性が高い。冷やかしと思われたのかもしれないし、入ってもすぐに辞めてしまうと思われたのかもしれない。

このように東大卒にはその肩書にふさわしい進路が要求され、選択肢は広いようで実際のところは狭いというのが現実で、途中の逃げ場もない。逃げ場があったとしても次に待っているのは、世間からの嘲笑である。
これによって筆者のような「万年ベンチ要員」の東大卒の幸福度は下がってしまっている。そもそも一学年3000人もいるのだが、上は本当に天井がないため学内格差が極端に大きいことも問題だ。

2.     勤務地が都心に限定され、可処分所得や時間が増えない

これも1と関連してくる話であり、東大卒に限った話ではない。早慶や一橋卒業生にも当てはまる話である。
筆者の大学時代の友人を思い浮かべてみると、その殆どが東京駅周辺(大手町、丸の内、八重洲、日本橋)や港区周辺で勤務している。ごく一部が新宿や渋谷などである。
筆者の場合は、ずっと東京駅近辺で働いているのでよく分かるのだが、ここで働く必要があるという事実は大きくサラリーマン人生の幸福度を下げている気がする。まず昼食を含めた飲食代が高い。食堂で食べずに外で食べる場合はランチだけで1000円は超えるし、夕食は更に高い。

交通面で考えてみても東京のサラリーマンの多くは、東京駅周辺に集まってくるので電車はどこも激混みである。
更には、東京駅周辺で働くサラリーマンの給与は基本的にその額面は高いことが多いので、東京駅に近いところの不動産はどこもかしこも億超えの領域を突破しつつある。
このため、東京では普通の一馬力サラリーマンではなかなか家が買えない状況になってきたので必然的に共働き世帯が多くなるのだが、これはこれで今度は時間的、心理的な余裕がない。また不動産を購入できたとて、そのマンションは田舎では考えられないほどに狭小である。

不動産価格を下げに行こうとすると、東京東部、神奈川、千葉、埼玉が当然選択肢に上がってくるのだが、東京東部以外は通勤の時間が長いし、東京東部を通過する路線はどこも激混みである(東西線や千代田線、総武線など)
上記を踏まえると東京駅勤務は結構辛いというのが正直なところだ。

筆者は以前あるスポーツの社会人サークルに入っていた。そこのメンバーで東大を出ているものはおらず、多くは私立大学で、当然東大卒ほどは稼いでいない。職業としても学校の教師や中小企業のサラリーマンであった。
しかし彼らの場合は、勤務地が東京駅周辺ではなく、池袋や中野などであった。この場合は、西武池袋線や西武新宿線等の選択肢を取ることが出来、これらの路線になると東京駅周辺で働くエリサラは一気に少なくなる。そのため何か断絶があるのではないかと思うほど、東京の都心部を離れると不動産価格や家賃が落ちるのだ。
1と同じ話になるが、東大卒がこれらの企業群で働くことは現実的な選択肢として挙がってくるかと言われるとこれまた色んな問題を孕むことになるのでなかなか難しい。
このため、東大卒の可処分所得は、中堅私大出身者とそこまで変わらないことになる。

東大卒の多くは他の東大卒と同期した動きを取るのだが、これが却って彼らの生活を息の詰まるものにしてしまっているのである。また多くが似たルートを辿るため、比較がしやすいというのも幸福度を下げる要因となってしまっている。

3.     ギリギリ上が見えてしまう微妙なポジショニング

「井の中の蛙」という言葉は、蔑視の表現で用いられることが多い。しかし大人になるとそうでもないことに気づく。人間はよくも悪くも社会的な動物なので自分の周辺の中での相対感で幸福を感じる生き物である。
東大を出て、都心の大企業で働いていると自分より上には上がいることに気づいてしまう。
経営者、医者、PEファンド、外銀、外コン等、東京の上は見だしたらしたらきりがない。何なら東京はグローバル市場とも接続しているので、グローバルエリートの存在もわずかに見えてしまう。
筆者は関西の郊外で生まれたのでよく分かるのだが、これらのエリートは田舎には絶対にいないし、普通に生きていれば気づくことはない。
彼らの存在と自分自身を比較すると何となく劣等感が出てきてしまうものである。
人間知らない方が幸せということは往々にしてあることだ。

2と関連する話だが、恋愛市場でも同じことが言える。東京の恋愛市場は普通のスペックであるとなかなか厳しい。女性から見るとこのような超エリートが見えてしまうので、どうしてもこちらに靡いてしまう。

いや、現在はリモートも一般なので、全国どこからでもこれらの上澄みにアクセス出来てしまうのではないかと反論されるかもしれないが、ここにはやはり物理的な距離という参入障壁が立ちはだかっている。大阪の女性と東京の男性が交際するのは難しいし、当然その逆も厳しい。また地方都市の女性はそもそもそれらのエリートの存在に気付かない。やはりここでも人間は自分の周囲数kmしか見えないものである。
東京は男女比という観点で見ると、関西や福岡とあまり変わらないどころか最近は若い女性の人口流入が止まらないので、数だけで見れば男性有利ともいえる。しかし上記の事情から、東京での恋愛は地方都市(関西や九州)と比べるとレッドオーシャンになってしまっている。


4.     高校で医者を選択した同期との比較

これは結構メンタル的にはじわじわくる。
前に東大vs医学部の記事も執筆しているので、そちらを参照にしてほしい。


東大に入学してくる学生の多くは、進学校出身であり同級生の多くは医学部に進学していることが多い。首都圏の進学校の場合は、東大の方が医学部よりも多かったりするのでそこまで感じることはないのだが、その他の地域になると医学部の方が多かったりする。全国で見ると、東海、灘、東大寺学園、甲陽、久留米大附設、ラサール辺りは東大にも進学できるポテンシャルを有するものの、学年の多くは医学部に行く進学校である。
これらの学校に所属していると、東大と医学部の選択肢はほんのわずかなその時の気まぐれで決まってしまう。
そのため東大卒の多くは、久しぶりに医学部に進んだ同期と会った際や同期の顔が浮かんだ際に「自分と彼らの差」をどうしても実感してしまう。同じように授業を受け、何科目も勉強し、大学でも大変な思いをして、就職活動も頑張って。。。。それでも見えてくるのは彼らと自分たちの間に立ちふさがる圧倒的な身分の差である。
勿論東大を出て、例えばPEファンドや経営層などの圧倒的なアッパー層に行くことが出来れば、このように引け目を感じることはないと思うのだが、ここまで行けるのは果たして何人か?
ちなみに筆者は文一・文二クラスにいたが、これらの進路に行けたと聞くのは一人だけである。割合にして東大卒でもたったの3%である。文一・文二でこれなのだからもっと割合は少ないはずだ。
しかも彼らとて、何か資格があるわけではないので、ずっとその地位を維持できるかは分からない。

またこれは地方出身の東大卒に当てはまるのだが(筆者含む)、彼らは上京する際に、地元の地縁(高校含む)を捨てていることが多い。東京に来て再度友人関係などを構築していく必要があるのだが、ここでうまく立ち上げが出来ず、精神の不調をきたしてしまうものも多い。地元の医学部に行っておけば、地縁は維持できるし、子供が出来た場合には実家に頼ることも出来るかもしれない。地方から東大に来るのは正直その労力とリターンが見合っているとは思えないのだ。

5.     発達障害を抱えていて社会に馴染めない、東大卒は嫌われる

これは筆者のパターンであるが、東大には発達障害を抱えているものが多い。
どれくらい多い?と聞かれると具体的な数字は出てこないが、これまでの人生で見たことがないくらい多いというのは間違いない。
発達障害の記事はこれまでの多く書いてきたのでそちらを参考にしていただきたいが、発達障害を抱えているとうまくサラリーマン生活にはなじめない。

これでいて愛嬌があったらいいのだが、周囲からすると東大卒の発達障害というのは、どうにも愛嬌も感じられず、仕事が出来ない場合はすぐさま嫌悪の対象になってしまう。
東大卒同士で結束し、学閥を作ることが出来ればいいのだが、彼らは基本的には一匹オオカミでとてもじゃないが群れるなんてことはない。
こうなるとどうしても東大卒という肩書はマイナスに働いてしまう。

6.     多くの場合、東大合格が人生のピークで後は下り坂

人生で幸福感やわくわく感を感じるのは、「人生がこれからも上がる、上がっていく感じがする」時である。逆に下り坂の場合は、たとえ自分が頂点にいたとしても幸福感は感じにくい。
筆者の場合は(帰国子女というチートカードは有していたものの)
田舎の公立小中学校→進学校→東大→日系金融と来ているので、途中までは坂を上っている実感があった。この時はどんどん自分が上がっていく感覚があり、勉強自体も全然辛くなかった。しかし多くの東大卒は卒業後は普通のサラリーマンになってしまうので、大抵のケースでは東大合格時が人生のピークになりやすい。あとは不安定なサラリーマンという身分に身を任せ、いかにして人生のレールから落ちないかを考える守りの戦いになる。
これは結構辛いし、どうしても人間は弱い生き物で過去の自分と比較してしまうので幸福感を感じにくいのだ。

7.     競争社会を経て、人生に疲れ切っている

これは筆者だけが感じていることかもしれない。それでも会社の同期に大学時代の集合写真を見せたときに言われた感想であったので、あながち間違っていないのかもしれない。
東大に入学するには、一般的なケースだと小学校四年あたり(今ではもっと早いらしいが)から熾烈な競争に勝ち続けなければならない。
イメージとしては
小学四年から大手進学塾→中学受験を経て中高一貫校に進学→中学校から鉄縁会→5教科7科目全てを高い次元で仕上げる→大学受験を経て東大→進学振り分けで東大卒と競争→進学先で好成績を修めながらインターン参加→就活戦線→卒業後は他の大学の同期との競争再開
といった感じで万年競争にさらされている。
どこかで休む場所があればいいのだが、実際にはそうもいかず、社会人になった際には既に疲れ切った東大卒も多い。
既に燃料切れのことも多いので、何か新しいことに挑戦しようという気力も起きにくい。
幸福感とは少し違った話になってしまうのかもしれないが、やはりキラキラした早慶やマーチの学生とは社会人に出た段階で搭載している燃料の量が異なるのだ。


色々とグダグダ書いたが、結局東大卒が幸福になり切れないのは、その労力とリターンが割に合っていないからというのが結論になる。
これには現代の日本社会を取り巻く様々な問題が含まれていると考えることが出来る。
あくまでコスパという観点では、地方で地元の小中学校→地元の公立進学校→地方国立医学部→医者の方がよっぽど余裕のある人生だ。
他にも京都であれば村田製作所や任天堂、大阪であれば大阪ガス等地方都市であっても一定の数、大企業は存在する。地元の大学を出て、これらの企業群に入るのも良い選択肢かもしれない。

Twitter等を見ていると、東京が至高ということになっているが、その意見に関しては、「ほんまに地方に住んだことあるんか?」と思わざるを得ない。
大学卒業時は負け組とされていた東大からの地元県庁就職組に関しても、医学部には劣後してしまうのだが、決して悪い選択肢ではないことに気づく。(むしろ都心で消耗しているよりは幸せかも)

人生、必ずしも頂点を目指して走り続けることが幸福とは限らないのだ。