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人生と幸福の三要素、フロー・ストック・ポテンシャルについて

 以前、人生のピークについて語ったことがあったと思う。ピークといっても複数の要素があり、必ずしも一括で論じられるわけではない。ひとえに「全盛期」といっても色々な解釈がある。今回はフロー・ストック・ポテンシャルの三要素に着目して論じてみたいと思う。

 フロー・ストック・ポテンシャルはそれぞれ現在・過去・未来に相当する概念である。フローは現在入ってくる収入などを指す。ストックは過去の積み重ねを指す。ポテンシャルは今後期待されるものごとを指す。企業で例えると、フローは収益・ストックは資産・ポテンシャルは時価総額だ。人生のピーク論に関してはこの三要素がごちゃごちゃに混ざって論じられており、この3つのどの側面に注目するかによって結論はだいぶ違ってきてしまう。同じ事柄であってもストック的側面が強い時とフロー的側面が強い時がある。

ポテンシャルのピークは20歳ごろ

 順調に人生を進めた場合、ポテンシャルのピークは20歳ごろになる。厳密に言えば人間のポテンシャルが一番最大になるのは赤ちゃんの時ということになるが、流石にこの段階で「将来有望」とは言われないだろうから、ポテンシャルが最大化されるのはもっと後だ。だいたい中高くらいから頭のいい人やプロスポーツに行けそうな人が出てきて、大学受験あたりでピークになる。中高生が勉強を頑張る理由はひとえに「将来の可能性を広げるため」だ。20歳頃は怖いもの知らずと言われるのも、1つはポテンシャルの貯金がたくさんあるからだろう。

 ポテンシャルは20歳を過ぎると減少していく。大学進学の場合は2浪まではセーフとされるし、入ってからの転部なども考えると、20歳までは進路の幅は広がり続けると思う。ただ、20歳を過ぎるとだんだん選択肢を切る作業が求められてくる。進路の専門分化が進んでいくため、優秀な人でも他の進路に転じるのは難しくなってくるだろう。例えば大学を出てコンサルの道に進んだ人は官僚になったり物理学者になったりする未来はなくなってしまう。こうして将来の自己像は収束していく。

 20代を過ぎるとキャリアチェンジは難しくなり、30代を過ぎると転職も厳しくなってくる。40代を過ぎると出世の天井も見えてくる。このように人生を進めるということは、可能性がどんどん少なくなっていくということなのである。「何者にもなれなかった」という意識の人間が40代で鬱々とするのはポテンシャルが失われるからだ。社会的に成功した人間ですらこのような憂鬱を抱えることはあるらしい。「これで良かったのかなあ」という問題意識だ。ポテンシャルが多い状態は現状に対する不満や物足りなさは将来へと先送りできるが、40代50代になると目に見えている状態が全てとなってしまうので、憂鬱は深いだろう。

フローのピークは45歳ごろ

 フローのピークを考えるのは難しい。これは人によっても違うし、業界によっても違うからだ。基本的に「その人がもっとも収入が高い時期」や「最も能力を発揮している時期」と考えて良い。

 スポーツ選手の場合はフローのピークは30歳頃だろう。一方で大企業の社長は60代が多い。頭脳労働の多くは40代がピークであることが多いようだ。マインドスポーツや高齢の東大合格者を見ていると、脳の吸収能力は適切に訓練すれば40代までは良い状態を保てそうである。従ってフローのピークは45歳くらいと考えることができる。

 これは芸能人を見ていてもよく分かる。ドラマの主役の平均年齢もだいたいこのくらいらしい。テレビのMCで大活躍している芸能人の平均年齢を考えても45歳くらいだろう。オードリーとかハライチとかである。

ストックのピークは70歳ごろ

 ストックは過去の資産の合計だと考えるべきだ。順調に資産形成を続けていれば、資産のピークは年収のピークよりも遅くなるはずだ。沢山の資産を持っている人として思い浮かぶのは40代よりも60代だと思う。

 ストックはなにも金融資産だけではない。過去の経験だって立派な資産だ。50代になると物覚えが悪くなるし、瞬発力的な頭脳は衰えていく。しかし、知識に関しては増え続ける。増加のペースは遅くなるが、増えていくことに代わりはない。人間の知識がピークに達するのは70歳辺りと言われる。資産も同様だと考えれば、ストックのピークは70歳ごろと言えそうだ。

 もう一つ、大事なストックとして家族を挙げることができる。金を掛けて子供が育つとそれは資産になる。自分の生きたレガシーを未来に残す事ができるだろう。子孫の数は長く生きるほど増えていくから、これもストック的と言えるだろう。

芸能人

 わかりやすい例としてまたまた芸能人を挙げたいと思う。芸能人の中にはフローで活躍している人とストックで活躍している人がいる。もちろん多くは両者が入り混じっている。

 芸能人は属人性が高いため、交換可能な部品とは成りにくい。従って、ある種の社会関係資本のようなものが積み上がる。例えば黒柳徹子はストックビジネスでテレビに出演している人物の1人だ。黒柳徹子は90歳を超えているし、トークだけならもっとうまい人は大勢いるだろう。黒柳徹子がテレビに呼んでもらえるのは70年に渡る積み重ねがあるからだ。この国で黒柳徹子を知らない人はいないだろう。こうした「知名度」は芸能人にとって強力なストックになる。

 同様の話は大御所系の芸能人全般に言える。ビートたけしやタモリも40代の頃に比べれば体力もトーク力も落ちているかもしれない。それでも今まで芸能界で積み上げた知名度や人脈といった資産があるため、未だにテレビで活躍することができる。視聴者も長年の愛着があるので、トーク力が同等の20代よりもビートたけしやタモリを選ぶだろう。

 なお、女優や女子アナといった「美女」に関してはフローのピークは早く来る。現在は30歳くらいだろうか。アイドルはさらに早く、25歳くらいだろう。彼女らの価値は「若い女」という点に依存しており、突き詰めれば生殖可能性に行き着く。要するに、「若い女」の価値は本質的に肉体労働的といえるかもしれない。グラドルの場合は頭脳労働の要素が全く無いため、ピークは20歳だ。一方で女性タレントであっても美女を売りにしていない場合はあまり関係ない。大久保佳代子のような人はピークが40代だろう。有働由美子のような「女っ気」に全く依存していない人物も同様である。

恋愛・結婚・家庭

 恋愛や結婚というものは基本的にはポテンシャル的である。ただし、男性の場合はフローの要素も加わってくるため、実際は30歳辺りが一番の適齢期だろう。女性の場合は生殖可能性という肉体労働的要素が加わってくるため、もっとピークは速い。男性にとっての交際相手の理想の年齢は20歳だそうだ。ただし、結婚などを真面目に考えるともう少し遅いと思う。

 結婚は40歳過ぎると厳しくなってくる。女性の場合は35歳辺りからヤバい。結婚が難しくなる年齢と転職が難しくなる年齢が同じくらいなのは偶然ではないだろう。35歳から40歳あたりは人間のポテンシャルが尽きてくる時期であり、この年代からは「既に積み重ねているもの」で勝負をすることが求められると思われる。

 恋愛・結婚が家庭形成に対するポテンシャルと考えると、「幸福なファミリー」という理想像はフロー的だ。これがいつの時期なのかは人によるだろうが、一般的なファミリードラマで描かれる親の年齢は40代だろう。子供がだいたい小学生くらいである。

 老境に差し掛かると子供の存在は心の支えになるが、これは完全にストック的だ。子孫繁栄はまさに家庭設計におけるゴールと言えるだろう。自分がこの世に生きた証は確実に後世に受け継がれる。定年退職して社会的な肩書を失っても、子供や孫はいなくならない。これは大きな資産である。複数の孫がいるような人は老後に完全な孤独になる事態は避けられるのではないかと思う。

JTCの場合

 JTCの場合は基本的に頭脳労働にカウントされる。ただし、フロー面のピークは45歳よりも遅く、50代になることが多い。これは子供を抱える社員への配慮とか、50代の意欲低下に対する対策と言った面が大きいだろう。JTCの場合は本来想定されるフローのカーブがやや後ろ倒しになっていると考えるべきだ。

 この後ろ倒しカーブに関しては若干ストック要素も関わっている。50代の社員は若い社員に比べて処理能力は低下しているかもしれないが、若い頃に会社に貢献したという功績や、長い間に構築された人間関係などがあるため、ストック面で優位に立っている。これは50代社員の給与水準が転職市場と大きなギャップを持つ理由でもある。50代社員のストックは会社の外に出ると喪失してしまうので、フロー面で40代に勝てないし、ポテンシャルの低さという点で30代にも劣るからだ。

 ポテンシャル面を考えてみよう。以前、JTCに就職すると「後は余生」と言った感覚を持つという記事を書いた。この原因を突き詰めてみると、JTCは年齢要件が極めてシビアで、早い段階で進路を確定することが求められるという点に行き着く。しばしばJTCの就活は結婚に例えられるが、結婚が大体35歳まで行けるのに対し、JTCは20代前半でないと厳しい。肉体労働ですらここまで厳しくはない。JTCはまだポテンシャルが十分に残っている20代の段階で将来が完全に確定してしまうので、若手社員の閉塞感の原因となっている。

 ストック面を考えてみよう。定年前後のサラリーマンの話に共通しているのが、JTCに関するストックが定年と同時に完全に消滅してしまうことだ。実のところ、定年後の仕事人間の憂鬱はほぼこの点に帰着する。手に職がないので、定年後に付ける仕事は非熟練労働がメインだし、会社関係の人間関係も掌返しになってしまう。中高年社員に対するアドバイスは決まって会社の外の世界を作れとか、家族を大切にしろという話になるが、これは会社という消えてしまう資産に大して投資をすることが損失になるからだ。これに対して家族・マイホーム・資格といった事柄は定年退職しても消滅しないので、投資する価値が大きいとされる。

 個人事業主や専門職の場合も老齢になっても過去の経験や人脈をもとに軟着陸が可能なので、この点ではストックを活かせているかもしれない。こうした業界では「50代になって出世が頭打ちになったから意欲が湧かない」という話はそこまで聞かない。一線を退いたとしても、会社員に比べればまだ社会的な肩書は残る事が多いだろう。現役時代ほどではないが、細々と活躍することは可能だし、これはもちろん過去の積み重ねあってのものだ。

 JTCのデメリットを突き詰めると2つの点に行き着く。それは20代前半にポテンシャルを切り捨てること、定年退職と同時にストックが消滅してしまうこと、である。もちろん20代後半から世界が広がる人もいるし、退職後に成功を収めている人もいるが、いずれも転職・起業等でJTCという枠からは外れているはずだ。20代社員の抱える不満は仕事を頑張っても将来の可能性が広がらないことであり、50代社員の抱える不満は仕事を頑張ってもその資産が数年で消えてしまうことにある。なお、フロー面に関してはJTCは極めて恵まれていると思う。安定して高い給料がもらえるし、賃金カーブも工夫されている。病気になってもイスが無くなることはない。この点は個人事業主が羨むところである。

学歴

 ポテンシャルがピークになるのは20歳だが、これを象徴するのが学歴だ。東大生の価値はそのポテンシャルの大きさにある。頭の良さはピカイチなので、スキルを習得する時もペースが速いかもしれないし、将来大出世するかもしれない。だから東大生はメディアでチヤホヤされるのである。

 ところが学歴の特性はポテンシャルを示すものでしか無いということだ。したがって、東大を出ていても、学歴の価値はポテンシャルの現象と連動して下がっていく。おそらく東大卒が何らかの意味を持つのは30代までだろう。それを過ぎると「大卒資格」以上の意味を持たなくなる。この点で医師免許や弁護士免許は明確に資産として残るので、「東大より医学部」と言われるわけである。

三要素の幸福感

 フロー・ストック・ポテンシャルの三要素から感じる幸福感の質についても論じてみよう。

 ポテンシャルから来る幸福感に対するネーミングとしてふさわしいのは「希望」だと思う。まさに「将来良くなるかもしれない」という期待が幸福感を上昇させるのである。仮に現在が苦しくても、将来が良くなるという見通しがあれば、以外に人間は幸福になれたりする。20歳ごろの大学生は将来の希望に満ちているのだが、就活等でだんだんポテンシャルは減少していき、30代になるとかなり少なくなってくる。この年代になると「希望」という言葉はあまり似つかわしく無くなってくるだろう。

 フローから来る幸福感に対するネーミングとしてふさわしいのは「充実」だと思う。希望と違って焦点は現在の状態に当たっている。高い給料を貰い、仕事で活躍し、家庭生活で安らぎをもらう。こうした「現在の状態」を肯定できるかが充実感だと思う。ただ、社会人になって幸福感が低い同級生を見ていると、目の間の状態を肯定できない場合が多い。受験勉強の場合は将来の期待があったため、苦しい努力であっても耐えられた。仕事の場合は「今現在の状態を肯定できるか」となるので、日常が充実していない場合に幸福感を得るのが難しくなってしまうのである。

 ストックから来る幸福感に対するネーミングとしてふさわしいのは「満足」だと思う。過去の遺産ではあるが、自分が一生懸命やりきった証と考えれば、誇らしく思えるはずだ。それによって現在の地位を得ていると考えれば、非常に満足感を得られるだろう。立派に育った子供や孫の姿を見たり、自分の立ち上げた会社が立派に成長した様子を見ると、壮年期ほどの働きができなくても幸福度は高いはずだ。この楽しみは80歳や90歳で社会生活が難しくなったとしても享受することができる。

 以前の記事で人生のピークは遅いほうが良いということを述べた。人生のピークを遅くする方法を考えるならば、若い頃になるべくポテンシャルを投入し、最終的なストックを大きくすることを考えろということになる。大切にしている価値観をストックからフロー、フローからストックへと転換していくことも大切だ。

 一番容易なのは家庭を築くことだと思う。家庭円満で子供に恵まれれば、家庭は最大の資産となりうるからだ。この資産は消えにくい。100歳の老人が病院のベッドで死にかかっている時に、周囲に大勢の子供・孫・ひ孫が揃っていたら、きっと満足感を感じるのではないかと思う。仮に肉体が滅したとしても、自分の生きた証は子孫の中に永久に残り続けるのだ。

 もちろん、仕事などで功績を残すというもの可能だと思う。ただし、ある程度仕事の属人性が高いほうが良いのではないかと思う。組織の歯車としての性質が強すぎると退職と同時にストックが消滅してしまうので、喪失感に悩むことになる。ライフワーク志向の強い人間にとってこれはかなり苦しい。

 一方で失敗のパターンもある。1つは順調な形成ができない場合、もう一つは価値観の切り替えができない場合だ。

 前者を考えよう。未来のために投資をする時期に現在を充実させてしまうと、将来のフローが少なくなってしまう。受験期の恋愛や早期のワークライフバランスが良い例だ。フローやストックの前提条件として「適切な積み上げをしていること」という点は重要だ。なにもしなかった場合は45歳時点での年収は悲惨なことになるし、資産も同様だろう。

 後者の方がより気づきにくいかもしれない。ポテンシャルに幸福を求めすぎてしまうと、年齢と主に右肩下がりとなってしまう。夢追い人や婚活ワナビーなどがいい例だ。もう一つ厄介なのは競争や権力に関するステータスだ。例えば社内の肩書で威張っている人が良い例である。こうした効用はかなりフロー依存的なので、老齢期になって体力が弱ってくると「終わった人」になってしまう。他にも年収とかモテだけが幸福感の根拠になってしまうと、老齢期になった時にキツい。こうしたフロー依存的な幸福感からは適切な時期に脱却すべきだろう。

人生100年時代に向けて

 筆者がそれぞれピーク年齢を20歳・45歳・70歳としてのは若干の辻褄合わせが入っている。それは日本人の寿命がだいたい90歳近辺であるという事情に立脚している。45歳はちょうど90年の人生の中央に当たるし、20歳と70歳は対象の関係にある。こうすると、過去現在未来を対象的に解釈することができるのである。ただし、日本人の健康寿命は90歳よりも短いので、実際のピーク年齢はこれより少し速いかもしれない。・ポテンシャル・フロー・ストックの実際のピーク年齢は18歳・42歳・65歳辺りである可能性もあるし、社会的な扱いはこちらの方が妥当かもしれない。

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