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食べるように撮るカメラの楽しさ

シャッター音が咀嚼音にすら感じられるほど、カメラを扱った事によって自分の中に取り込まれていったものがある。

頬張った料理が血肉や養分となるかのように、目の前に映し出された美しい世界をカメラを通して取り込む事でその光景を自分の人生の一部として吸収する感覚だ。

そうやって吸収していく中で改めて「カメラを触っていてよかったな」と思う点を書いてみる。

身近なものが美しく見える

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ただなんとなく過ごしていると身近なところに転がる美しさに気づかない事は多々ある。カメラを握っていると、自然と美しいものを自ら探すようになるためこの世界は美しいものであふれている事に気がつく。

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もちろん何を基準にして見るかにもよるが、「世界は美しいもので溢れている」と捉えるか「世界は退屈でつまらない」と捉えるかで今後の人生が大きく変わってくると思う。

それがわかるといつでも宝探しが味わえる。

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時間を深く味わう事ができる

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今過ごしている時間は二度と戻ってくることはない。

それは当たり前なのだが、記憶力が壊滅的に低い筆者にとって写真はその時間を思い出させてくれるトリガーとなってくれる。写真を起点にその時感じた切ない思いや漂う匂い、二度と味わえない料理にまつわるストーリーを思い出す事ができる。

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失ってからその大切さに気づくというが、実は何気に撮った一枚がもう二度と見ることのできない一枚にすらなり得るのだ。

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世界観を共有できる

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noteの「みんなのフォトギャラリー」というところで共有した写真が100回以上使用されているのだが、写真を残すと他のクリエイターの表現の役に立ったり刺激を与える事がある。

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もちろんそれを販売しても良いだろうしSNSでシェアするだけでも良いのだが、自分の感性に触れた世界観を他人と共有できる一ツールとしてカメラは持っていて良かったと思う。

特に動画編集や漫画、イラストなどのビジュアルを意識して作品を作る人はどのシーンを切り取るべきかを空間的に把握するためにもカメラは役に立つ。

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体に蓄積されていく力

カメラを触り出してから「どうすればより美しく撮れるか」を考えるようになるため、撮影のスキルも当初よりは上がっている気がするし知識も深くなっている。

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人は昔の自分よりも成長していると実感するとそれが自信にもなるし、これからも成長を続ければより良い未来があると希望が持てる。写真はそれを時系列で視覚的に記録として残す事ができるのだ。

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もちろん写真歴何十年もあるベテランの人と比べれば自分の写真はまだまだと感じるが、それでも色々と挑戦してみたいという気持ちにさせてくれる。

カメラは光を栄養に持ち主を成長させる

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これまで人類は道具を用いる事で能力を拡張させてきた。

火は消化機能を拡張し、お金は信用力を拡張し、スマホは言語や知能を拡張させた。

そしてカメラはビジュアル能力と共に、葛飾北斎以上の時空を切り抜く能力を万民に与えてくれる芸術的な道具になった。

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筆者が一眼レフカメラを購入して丁度1年くらいなのだが、当初よりも他の人の作品が面白く感じられるようになったし、自分の撮影したものに反応があると多少なり喜びを感じる事がある。

結果的に眠い目をこすりながら記事を読み、早起きをして撮影に出かけたり、もっと動けるようにトレーニングをしたりと複合的に自分の進化を感じている。

おそらく人間が最終的に到達する欲求には「誰かに何かを残したい」というものと「成長をしていきたい」というものがあるのだろうが、カメラはそれらを満たす上で人生で買って良かったものランキングを付けるとするのならば上位にくると思う。

もっとカメラで世界を食べてみたい。

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