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少子化の原因は縦の同調圧力の減少?

 この前は実家に帰ったのだが、久しぶりに隣人のお婆さんに捕まってしまい、長々と立ち話をされた。東京の住宅街のことだから、出る話題は近所の噂ばかりである。しかも均質性が高いから質が悪い。だいたい似たような大学を出て、似たような会社で定年まで勤続している人間ばかりである。

 ところで、この隣人は御年96歳である。かなりの高齢だが、まだまだ元気だ。多少歩くのが遅くなったくらいだろうか。100年近く生きていると、近所の人の人生を何サイクルも見ることができる。進学・就職・結婚・出産・定年退職・病気・死、これらの全てを見てきているわけだ。筆者も「そろそろ結婚しないのか?」などとしつこく聞かれてしまった。なんだか人生のベルトコンベアに乗せられているような虚無感を感じてしまったことは否めない。自分も周囲の沢山の人と同様に、フランス料理のコースのように次々とライフイベントを消化し、気がつくと老人になり、その先の終着点を待ち続けるのだろう。

 ところで、こうしたある種の「村社会」には縦の同調圧力といったものがあると思う。異なる世代の人間が均質性が高い環境で生活していると、ライフステージに関しても同調圧力が存在している。いい年して独身だと居場所がないし、好奇の目で見られてしまうだろう。村社会には多様性なんて言葉はないので、人間は適切な年齢になれば地元小に行き、中学受験し、有名大学に進み、新卒でJTCに入り、定年まで出世競争し、退職後は庭弄りをするというルーティーンが完成されているのだ。

 実は昭和の日本人が結婚していたのはこの手の縦の同調圧力が原因だったのかもしれない。いい年して未婚だと親戚や近所の人に「相手はいないの?」等と言われるし、「〇〇さんは結婚した」などと常に聞かされることになる。独身の男は半人前といった旧態依然とした風潮もあるだろう。昔の日本人が結婚していたのは同調圧力が原因の一つだった。

 ところが最近の日本人、特にZ世代の場合はこうした縦の同調圧力にさらされる機会は減っている。例えばマンション暮らしであればこのような近所の目を意識する機会はないと思う。JTCは第二の村社会という性質があり、適齢期に未婚だと上司から圧力を掛けられたものだが、最近はセクハラに当たるという見解がメインだし、転職も普通になってきた。こうなると、お互いのライフステージに関する事項に深入りするのが難しくなってくる。

 Z世代であっても横の同調圧力は存在する。それは未だに小学校から大学までが学年主義だからだ。この点は以前とあまり変わっていないと思う。やはり変わったのは縦の同調圧力だ。地域社会は衰退し、JTCもフラット化しているとなれば、同調圧力はかからなくなる。Z世代の感覚としては、同級生がまだ結婚していないので、別にいいやという発想になるのである。

 少子化は令和になってから加速しているが、これはZ世代の価値観に縦の同調圧力が欠如していることと無関係ではないのだろう。もはや結婚して家庭を持つことは人生の不可欠なピースでは無くなっているのだ。多分、価値観の変容として一番大きいのはここではないかと思う。

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