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オランダアートひとり旅#10.フェルメールゆかりの地を辿る

 デルフトでは、フェルメール・センター以外にも、フェルメールゆかりの場所を巡りました。

《デルフトの眺望》

 現存するフェルメール作品で、風景を描いたのはたったの2点。そのうちの一つが《デルフトの眺望》です。

《デルフトの眺望》1660-1661年
マウリッツハイス美術館蔵
<wikipedia より>

 この絵は、南側から運河越しに見たデルフトの街を描いています。

 中央右にある尖塔は、フェルメールが洗礼を受けた記録が残る新教会(Nieuwe Kerk)で、太陽の光に照らされて白く輝いています。また、一番左にある灰色の尖塔は旧教会(Oude Kerk)で、フェルメールはこの教会に埋葬されました。

 建物の上階から描いたと考えられている《デルフトの眺望》は、一見とても写実的に見えますが、実際の配置や寸法は異なっているそうです。

 それは画面構成を優先させたからだと言われていますが、これを見ると、フェルメール・センターで見た「私たちは、彼が見た世界を観ているのではなく、彼が見せたい世界を観ている(we do not see what Vermeer sees, but what he wants to show us)」という意味が分かる気がします。

 デルフト駅から歩いて10分弱。フェルメールが《デルフトの眺望》を描いたとされる場所があります。

新教会(Nieuwe Kerk)

 確かに、似ています。

 ここっぽい感が満載で、当時とは変わっているものの、新教会がはっきりと確認できて嬉しかったです。

フェルメール生家(空飛ぶキツネ亭)

Voldersgracht 25–26

 フェルメール・センターの数軒隣りに、彼の生家があります。

 当時、フェルメールの父親は、空飛ぶキツネ亭(Vliegende Vos)という宿屋を経営していました。推測される住所は「Voldersgracht 25–26」なのでこの辺りですが、現在はカフェ(レストラン?)になっているようです。

フェルメールの家(メーヘレン亭)

 街の中心部にあるマルクト広場沿いに、フェルメールが9歳の頃に移り住んだメーヘレン亭(Mechelen)跡があります。現在はデルフト焼を売る House of Vermeer というお土産屋さんになっていました。

 話が逸れますが、メーヘレンというと、フェルメールの贋作画家を思い出しますね。オランダではよくある名前なのかしら・・・。それとも、何かの因縁か(なんつって)。

フェルメールのアトリエがあった場所(マリア・ファン・イェッセ教会)

Maria van Jessekerk

 マルクト広場からすぐの場所に、19世紀に建設されたマリア・ファン・イェッセ教会(Maria van Jessekerk)があります。この場所の一角に、結婚後のフェルメールが住んだ自宅兼アトリエがあったそうです。

フェルメールのアトリエ跡地

 現在は案内板だけになっていますが、この場所の2階にアトリエがあったそうで、数々の名作がここで生まれました。

《小路》

《小路》1657–1658年
アムステルダム国立美術館蔵
wikipedia より>

 さて、フェルメールが描いた風景画2点のうち、残りの1点が《小路》です。

 有名な作品ですが、実際にどこを描いた作品なのかという問いは、長い間議論されてきました。いくつか候補はあがるものの、どれも説得力に欠けます。もちろん、特定の場所を描いたわけではない可能性も謳われました。

 そんな中、美術史学者のグリゼンハウト教授が、当時の納税史料などを基に《小路》の場所を特定します。

Vlamingstreet

 それが、この Vlamingstreet 40-42。そう思って見るからなのか、なんだか、それっぽい感じが漂います。

 ちなみにこの研究により、《小路》に描かれた右側の家はフェルメールの叔母の所有だったという説が浮上しました。つまり、この小路は彼にとって馴染みのある、思い出深い場所だった可能性が高いのです。

 実際のところは分かりませんが、名画の痕跡を辿って当時の様子を感じるのは、ロマンがあってとてもおもしろいですね。

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