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「イキり」と「自分に自信があること」の差について

最近「イキり」と「自信」の境界について少し悩んでいる。「イキり」と「自分に自信をもつこと」は似ているが、前者は良くないこと、逆に後者は生きる上で大切なことだ。その差は果たしてどこにあるのか。

「イキり」は何故嫌われるのか。

「イキり」は嫌われる行為の中でも、かなり上位に来るようだ。マウントをとる、自慢する、人を見下す等されて嫌な気持になったことがある人が大半だろう。

僕自身は別にイキられても特に何とも思わない。それは、自分は自分、相手は相手だという考え方が根幹にあるからだ。むしろ、それでその人が自分に自信を持てるのなら、良いのではないかとすら思う。それでもマウントを取ってばかりの人が近くにいたら疲れるだろうな、と思う。

「イキり」が嫌われるのは「人を馬鹿にした態度」「身の丈に合わない背伸び感」にあるのだろう。

自分に自信を持つこと。

生きる上では、自分を愛するということが一つのテーマであると思う。自分には価値がある、自分は凄いとある程度は思っていないと、辛くなってくるのではないか。他人から見て「身の丈に合わない調子に乗った言動」かもしれないが、せめて自分ぐらいは自分の凄さを信じてあげた方がよいのではないか。

要は、前述の「身の丈に合わない背伸び」をしているからと言ってその人を非難する権利は周りにない、と言いたいのだ。その人が今どのような立ち位置にいて、客観的な評価はどうなのか、ということを指摘することが必要な場面もあるだろう。それでも、「背伸びすることすらあきらめている人」よりも「頑張って背伸びしようとしている人」の方が僕には魅力的に見えるのだ。

もっとも、その過程で「人を馬鹿にした態度」を取るのは間違っていると思う。僕の中での「イキり」と「自信」の線引きは、「他人を下げずとも自分自身に胸を張れるか」にあるのだろう。

※追記
他人を下げる意図がないことが分かっていても、自己アピール過多な人に囲まれすぎると疲れてくることがある。「自分に自信があること」がとても大切だが、「自分に自信がない部分」も認めてひけらかす事もまた、魅力的な要素の一つなのだろう。



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