#13 帰国報告
မင်္ဂလာပါ။(ミンガラーバー)カウンゾーです。2024年4月30日をもってメーソートでの滞在を終え、その後1ヶ月ほど東南アジアを一人放浪して5月末に無事帰国いたしました!
「あっという間に終わってしまったな」
これが7ヶ月ぶりに帰国し成田空港に降り立った時の最初の感覚でした。メーソートに来た当時は長く思えた道のりも、気づけば1ヶ月、2ヶ月と経ち、出会いも別れも風のように過ぎていきました。そう感じるのは沢山の思い出が詰まった実りのある期間だった証拠であり、周りの多くの方々の支えがあってこんなに貴重な経験ができたことに改めて感謝しています。
そして昨年の11月から書き続けてきたこのメーソート滞在日記。日記を読んでいただいて新たな繋がりや出会いがあったり、皆様からいいねをいただいたり、少しでも自分の日記が影響を与えられているという嬉しさを実感することで楽しく執筆を続けることができました。メーソート滞在日記を読んでいただきありがとうございました!
LtoC紹介のボランティアとして
本気で海外への挑戦を考えたのは大学2年の冬。東京外大のビルマ語専攻としてビルマ語やミャンマーの歴史・文化を勉強をしていく中で徐々にミャンマー愛が生まれ、現地でビルマ語を使って生活してみたい、留学が叶わなくてもボランティアとして等身大の自分でできることに挑戦したいと思うようになりました。
2023年の3月、LtoCの現代表にお会いしたのはまさに現地で挑戦するためにその手段を模索している最中でした。ミャンマーへの渡航が困難であることは分かっていながらも諦めきれなかった自分にとって、タイの国境でボランティアとして活動するということは安全かつ実現可能な唯一の選択肢であったと思います。
当時、ビルマ語が話せたわけでもなく、海外の長期滞在経験はもちろん長期のボランティア経験もなかった自分。あの時自分がもっていたのはミャンマー愛くらいでしょうか、(笑)そんな自分ですが、名もあまり知られていないメーソートという国境の街で大きな問題も無く半年間活動することができました。それは、渡航前の段階から現地の情報提供や長期滞在する上でのアドバイスなど準備のお手伝いをしてくれたLtoC、そして現地で保証人になって受け入れてくださりホストファミリーの紹介やビザ申請でお世話になったSweetさんの支えがあってこそです。
ミャンマーに関心があって現地に行きたくても、情勢の関係で本国には渡航できずもどかしい思いを抱えている同世代の学生さんが、自分がしてきたような体験が現地でできるならそれは自分にとっても嬉しいことです。少し苦労することはあっても、現地で暮らして、自分の目で見て、肌で感じて、という経験は何にも変えがたい価値があります。若い時期にそういった経験をできる人が増えていくことでミャンマーの現状に関心を向ける人が増え、関心が増えれば私たちの活動もより広げていきやすくなると思います。
半年間で得たこと
メーソートにやってきた11月の自分と、半年間の現地滞在を経て帰国した今の自分。変わったな、と思うことは今思いつく中では大きく3つあります。
一つは言語の捉え方について。ホストファミリーは育った環境などの影響でタイ語もカレン語もビルマ語も話せるので、家庭内では様々な言語が飛び交っていました。
特に弟はタイの学校に通っているのでビルマ語よりタイ語が得意で、ビルマ語で話す時は分からない単語を英語で補うこともしばしば。私から日本語を学ぶと会話の中に日本語が混ざったり、私がタイ語を少しわかるようになるとタイ語も混ざったり、、我々兄弟は時にカオスな混合言語で会話をしていました。
「言語は伝わればそれでいい」という考え方が賛否両論ですが、少なくとも現地においては言語って本当にツールでしかないんだな、と実感しました。大学で言語を学問として学んできた自分にとっては大きな考え方の転換になり、その結果間違いを気にせずビルマ語を話せるようになったと思います。
正直、半年間の滞在で劇的に語彙が増えたり急激にペラペラになる程甘くはありません。しかし、四六時中ビルマ語を聞いていたので耳は鍛えられたし、限られた語彙だけで表現する力や日本語から翻訳ではなく直接ビルマ語でパッと話す力は少しついたのではないかと思います。
もう一つは民族の捉え方について。ミャンマーが多民族国家であることは大学でも勉強していましたが、やはり机の上で学ぶのと現地で様々な民族の人々と交流して学ぶのは違います。特にメーソートという街はミャンマーの各地から移ってきた人々が集まっている小さな街なので尚更です。
普段の会話の中に自分の出身地域への誇りや自分の民族への愛を感じたり、民族衣装一つにも大きな意味があることを知ったり、特にこの地域においてはいかに国境というものが形だけのものであるかを感じたし、一方でそれによって分断されている人々の心境を垣間見てもどかしい気持ちになることもありました。普段穏やかだけど急に熱くなるな、とか、時間帯に関係なくいつも誰かしらごはん食べてるな、とか、面白い発見もありました。
最後一つはタフさについて。生活習慣の違い、言語面での苦労。慣れていくしかない状況でも体がついてこれなかったり、言葉がわからず悔しい思いをしたり情けなく感じる時もありましたが、そういった生活の中で現地に順応して溶け込んでいく柔軟性、タフさが少し身についたように感じています。
この点に関しては、自分を家族のように受け入れてくれて細かい部分まで自分を理解してくれた現地の人々に本当に助けられました。いきなりやってきた日本の学生がこの小さな国境の街を居心地の良い場所に変えることができたのは間違いなく現地のみんなのおかげです。
家族になる、共に暮らす
LtoCのボランティア紹介でメーソートに滞在した半年間。個人的に良かったなと思う点は、ボランティア紹介といえど単にボランティアとしてではなく現地のコミュニティの一員として生活を共にできたことです。
もちろんボランティア先の移民学校で先生として英語や日本語を教えることは何よりも優先していました。ですが、「ボランティアだから貢献しないと」とか「必ず人の役に立って成果を出さないと」とか無理に肩に力を入れること無く、あくまで等身大の自分でできることをやる、ボランティアだけに拘らず現地の家族や友人との時間を共に過ごし、大切にする。そのスタンスで活動できたことでより得るものがあったと感じています。
「日本からきたボランティアの先生」としてだけでなく、自分を時には息子、時には兄や弟として受け入れてくれる現地の人々と同じ釜の飯を食い、くだらないことをしたり、時に喧嘩したり、、、「外国人」「外部からのボランティア」という立場からは見えてこないものが、そういった生活の中で現地の人々の目線で現地の世界を捉えることで見えてきます。例えば、ミャンマーの家庭ってどんな感じなんだろう?というのは家族の一員になってみれば一番よくわかるし、カレンってどんな民族なんだろう?と思ったら、自分がカレンになる(カレンの人たちと時間を共にする)のが手っ取り早いのです。
海外でボランティアを受け入れている団体もボランティアの派遣団体も日本にはたくさんあると思います。しかし、家族の一員としてだったり、現地のコミュニティに溶け込んで生活する「肩書きがボランティアではないボランティア」というのはなかなかできない経験だと思います。
学校の先生である自分、ホストマザーの息子・ホストブラザーの兄である自分、支え合える友達としての自分。それぞれの「自分」がそれぞれに学びを得て、今振り返れば一つとして欠けてもいい「自分」は無かったと確信しています。その部分を踏まえても、現地で家族の一員として共に暮らしながらボランティアの活動をできたことは、希少であり価値のある経験だったと思います。
最後に:経験は「伝える」ところまで
これまで沢山「経験」という言葉を使ってきましたが、経験というのは自分が心の中で感じる、体で味わい、それを他者に伝え、他者に伝わってこそ薄れることのない価値になると考えています。ただあれをやった、ここに行った、というのは「体験」で、そこから新たに何を感じ何を得たのかが「経験」ですが、その経験を得ただけで終わりにせず「伝える」という最後のステップが最も大事だと思います。
自分の中で新たに感じたことやわかったことを整理して落とし込みながら、その経験を伝えていくことで次に繋げて行けたらと考えています。今後LtoCとして帰国報告会を開催する予定ですので、ぜひ自分が経験したことに耳を傾けていただけたら幸いです。報告会の案内は別途させていただきますので、ご確認のほど宜しくお願いいたします。皆様のお越しをお待ちしております。これまでメーソート滞在日記を読んでいただきありがとうございました!
このブログについて
このブログは、任意団体Listening to Communities(LtoC)の紹介を通じて、現地ボランティアの機会を得た日本人の学生が書いています。LtoCは、タイ国境で暮らすミャンマーの土地を追われた人々や、弱い立場にある移民の人々を支援する団体です。日本の学生と現地をつなぐ教育・交流活動も行なっています。団体の詳細についてはこちらをご覧ください。
LtoCでは皆様からいただいた寄付金で支援を行なっております。いただいたご寄付は、子どもたちの教育支援に大切に使わせていただきます。皆様からのご支援をお待ちしております。ぜひご協力をお願いいたします。