見出し画像

グッド・ウェディング

ほんの一瞬、息が止まって、そのあとなにかが体の深いところで揺れた気がした。意識を集中させて、自分の心臓の音を聞いたときのような感覚。両目はしっかり開いていたはずなのに何も見ていない時間があったことにハッとする、あの不思議な感覚。

今日ぼくは、元カノの結婚式に出席した。


***


ガラス張りの天井と、純白の大理石に囲まれた長方形の空間で、ぼくたちは彼女を待っていた。昨夜見たスマホのお天気アプリに「明日は折りたたみ傘を」と書いてあったのが嘘みたいに、今日は快晴。天井に掛けられたまっ白なはり越しにスカイブルーの空が透けている。


「後方の扉にご注目ください」


司会者のアナウンスで、一同の視線がいっせいに扉の方へと向く。待合室の壁に貼ってあったガーランドと写真、そこに彼女と仲睦まじく写っていた男性が、まずはひとりで入場してくる。

背筋を伸ばし、まっすぐに歩く新郎。肩に力が入っているのがわかって、「その気持ちはわかるなぁ」と、はじめましての相手に勝手に共感を覚える。何かを確かめるように、無意識に左手の指輪に手を触れてしまう。


「続いて、新婦の入場です」


いつの間にか閉じていた扉が、ふたたび開く。

深々と礼をして新婦を見送る黒い服のスタッフ。その前にあらわれる、純白のウェディングドレス姿の新婦。天井から差し込む自然光がドレスに反射して美しく光る。新婦は入り口近くで止まり、お母さまのいる横を向いて、少しかがむ。ベールダウンが行われる神秘的な光景を、会場にやさしく響く讃美歌がいっそう盛り立てている。

モーニング姿のお父さまと一緒に、新婦が少しずつ、こちらに近づいてくる。手には鮮やかなグリーンが目を引く、ボタニカルカラーのブーケ。ベール越しにのぞく彼女の表情は少し緊張が混じっていて、意識して笑顔を見せているようだった。


「今、どんな気持ちなん?」
「えっ!?」
「元カノの花嫁姿を見るのって、どんな気持ちなんかなって」


式を終え、参列者でフラワーシャワーを浴びせる為にテラスへ移動している最中。会場で唯一の知り合いである友人が、ニヤニヤと悪そうな表情を浮かべながら聞いてくる。


……この気持ちは、いったいなんて表現すればいいんだろう。友人の花嫁姿を見たときの感情とはまたちがう。むしろそれ以上に、心が反応した。その反応は決して嫉妬心じゃない。じゃあなんだと聞かれると、うまく言葉にできない。一言で表現するのがとても難しい。


***


ぼくたちが交際していたのは大学3回生の頃で、就職活動まっただ中の時期だった。交際期間は1年に満たないくらい。

思い出というのはけっこう自分勝手で、しあわせなことほど忘れないものだ。あの頃あんなにしたケンカの記憶はほとんどなく、かわりに覚えているのは手料理のこと。ぼくにとって料理の記憶は、しあわせの象徴でもある。実家でのしあわせな記憶が、母親の手料理が並ぶ食卓を家族7人で囲んでいるシーンだったりするみたいに。

福祉系の大学に通っていた彼女は施設での実習で料理もするようで、そのレパートリーのいくつかをぼくに披露してくれた。豚肉ともやしと豆腐を鶏がらスープのもとで炒め、最後に少しだけ白だしを加える名もなき特製料理のことをよく覚えている。「豆腐から水が出たらすぐ捨てるんやで」と言われたあの日以来、ぼくはずっと豆腐の水分を敵対視している。このはなしは今でも3人の間で笑い草になっていて、「豆腐の水ってどうしたらいいんやっけ?」と彼女に尋ねてケタケタ笑い合うのがお約束だ。


「なぁなぁ、今、家おる?」
「ん??おるよー」


面接で落とされる日々が続き、自分で自分に低評価ボタンを押していた頃。彼女から不意にこんなLINEが届いた。ぼくは折れた心に添え木をする暇もなく、次の日に提出しないといけないエントリーシートをあくせく書いていたところだった。時刻は21時を少し回ったあたり。

そのとき住んでいた場所は京都。JRの駅の裏手にある、大きな道路に面したマンションの101号室。何度経験しても慣れない京都の冬の「底冷え」に、思わず手をこすり合わせて息を吐く。近づいては遠ざかっていくエンジン音の中、ふと家の前で、音が止む気配がした。

窓を開けて外をのぞくと、玄関に1台の車が横付けしてある。運転席には彼女。左手で耳にスマホを当てて、電話をかけている。——と、机の上に置きっぱなしだったぼくのスマホが震える。

「ほら、はよーぉ。行くよー」

ウインドウガラス越しの彼女の声が耳元で響く。

「え?なに?どゆこと?」

質問の答えが返ってこないまま電話が切られる。ぼくは慌てて部屋の鍵と財布を手に取り、少し考えてからニット帽を被った。

助手席に滑り込むと、彼女は手慣れた手つきでギアを「D」の位置まで下げる。目的地が明かされないままに車は走り出す。その頃よく映画を借りに行っていたTSUTAYAを通り過ぎたあたりで右折し、知らない道へと入る。次第に道は狭くなり、勾配も急になってきた。どうやら山の方へと向かっているらしい。

彼女はけっこう勇気のある運転をする。信号待ちでぼくなら行かないところを、「今や!」と半ば強引に右折をしたときの堂々とした横顔が懐かしい。運転免許証を取りたての息子を助手席で見守る母のように、ぼくはよく我慢しきれずに声を漏らしていた。


「はいとうちゃーく」

シュウゥンと音が鳴り、エンジンが切れる。着いた場所は山道の頂上付近にある、開けた丘のような場所だった。

「よし、行こっか」

カチャリとシートベルトを外す音がする響く。カーナビの光が消え車内を暗闇が包んだかと思うと、ドアが開いて室内灯が灯る。暗闇で光るその電球色が少しだけ不快で、なるべく目を伏せて車を降りる。

「これ見せたかってん」

彼女の声がする方向に顔を上げると、そこには平面上で輝く京都の街並みが広がっていた。白やオレンジ、ところどころ緑っぽく見える光。手前から奥へと目を移すと、沈黙を守る岩のようにそびえ立つ黒い山並みが見える。

「あっ」に近い、声にもならない小さな破裂音が喉の奥で漏れる。隣にいた彼女が言う。


「大学も一緒ちゃうし、就活のこともあんまりわからへんからしてあげられることは少ないねんけどさ。息抜きっていうか、こうやって夜景でも見たら元気出るかなって思って。」


履歴書、WEBテストの参考書、就活生同士の情報交換サイト。遠くの方まで広がる夜景を見ていて、最近ずっと下ばかり向いていたことに気がついた。胸の奥が狭くなったようになって、熱くなりはじめた目に思わず力が入る。

うまく言葉を返せないぼくに彼女はこう言った。

「あれ、私が彼氏やっけ?」
「ぶふっw たしかにどっちが彼氏かわからんなw」

ありがとう、とつぶやいて手を取る。彼女の手の冷たさに、ここまでハンドルを握ってくれていたことを思い出し、繋いだ手を少しだけ強く握り直した。


***


受けるように広げた手のひらいっぱいに、パステルカラーの花びらが置かれる。「新郎新婦に向かって投げ上げてくださいね」と、スタッフさんが何度も説明する。

ぼくは友人と一緒に、その花びらを新婦の頭上に投げた。舞い散った花びらが顔にあたって時折り目をつぶりながら、彼女はほんとにしあわせそうに笑っていた。緊張はもうどこかに消えていて、なぜかぼくまで心が軽くなった。

ノンアルコールで行われた披露宴は品が良かった。新郎は感情豊かな熱い方のようで、最後の挨拶の際には涙で言葉を詰まらせていた。その背中を「がんばって」と新婦がやさしくさすり、微笑ましい笑い声が会場内に響く。




式場を出ると、晴れているように見える空から、細くてやわらかい雨が降りはじめていた。「お天気アプリの予報、当たってたな」と思いながらスマホを取り出す。3人のグループLINEを開き、グループのプロフィール画像を更新する。新婦を真ん中に、バカ笑いしている3人。「たのしかったなー」と、変更した画像を見ながら隣の女の子がつぶやく。「うん、たのしかった」と答えつつ、「豆腐の水ってどうしたらいいんやっけ?」とLINEを打つ。ケタケタ笑う友人。つられて笑うぼく。


夜、彼女から「今日はありがとう」よりも先に「すぐ捨てろー!!!」と返事がきて、ぶふっwと家でひとり、吹き出した。

画像1








この記事が参加している募集

結婚式の思い出

毎月引き落とし明細に「note 100円」という文字が3スクロール分くらい並んでいて震えます。サポートいただけると震えが少しおさまります。いただいたサポートは誰かの震えを止める為に使いたいと思います。いつもありがとうございます!