29年目の夏を迎えて、本の「読み方」が変わってきた。

夏が来る。ぼくにとっては29年目の夏。その年々で夢中になることは違っていて、TVで『ウォーターボーイズ』の再放送をひたすら観る夏もあれば、炎天のもと、ゼーゼー息を切らして公園を周回する夏もある。

ただ毎年、欠かさずやっていることがある。

本を読むこと。
特に夏は、カフェで読むことが多い。

店に着くまでの道中で「ぜったいにアイスにする」と固く誓うのに、空調の効いた店内に入って腰を下ろした途端、「ホットにしようかな」とあっさり決意が揺らいでしまう。

学生の頃はお財布事情もあり、二者択一だった。29歳の今、社会人生活も8年目。昔とはちがう。「毎日仕事がんばってるし、これくらいは」と、まずはアイス、2杯目にホットなんていうプチ贅沢をたのしむ余裕も出てきた。大人になった。


カフェインの摂取量が増えたこと以外にも、変わったことがある。

本の読み方が変わった。昔はただ、本のストーリーや展開を追って流れるように読み進めていた。感動したり、興奮したり、はたまた悲しんだりと、心を揺さぶられることはあっても止まることなく右から左へ読み進めていた。

最近は、文章の途中で立ち止まることが増えた。


「この表現うまっ」
「すっげぇわかりやすい例えやん…!」
「あれ?今どこにひっかかったんやろう?」


今読んでいる、燃え殻さんの『夢に迷って、タクシーを呼んだ』。その中の一章、仕事帰りに立ち寄ったローソンで、「ボンゴレパスタと豆乳」を買ったシーンから始まるはなしに、こんな一文がある。

こちらはとにかく体力、気力共に限界。「ボンゴレパスタ or die」という状態だったので、真っ直ぐに寄り道もせずに帰った。


自分ならどう書いただろう?と、立ち止まる。

まず、「ボンゴレパスタ or die」なんてクスッと笑ってしまう表現はできてないだろうな。さらーっと「寄り道せず帰った」と書くか、がんばっても「一刻も早くボンゴレパスタりたい」が限界。


プロ野球選手のキャッチボールは「お金が取れる」なんて言うけれど、ぼくはプロじゃない。
のびのびと、好きに投げればいいんだけど、やるからには自分が納得するような球を投げたい。
狙ったところに、相手の取りやすいところを目掛けて投げたい。

文章も同じだ。ぼくは作家でもないし、ライターでもないけれど、書くからには自分が納得するような文章を書きたい。

簡単じゃない。納得がいかないことも多い。
でもたのしい。ものすごくたのしい。



29年目の夏を迎えて、本の「読み方」が変わってきた。

今年は今のところ、地上波で『ウォーターボーイズ』の再放送の予定はない。どっぷり読書に浸れる夏がやってきそうだ(1ヶ月後に「男のシンクロ最高!」なんて記事書いてたらすみません)。


画像1


毎月引き落とし明細に「note 100円」という文字が3スクロール分くらい並んでいて震えます。サポートいただけると震えが少しおさまります。いただいたサポートは誰かの震えを止める為に使いたいと思います。いつもありがとうございます!