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伊坂幸太郎

10月31日追記
「読書の秋2020」に応募するため、この記事に追記編集したものをアップしましたが、コメントもいただいているのでこちらはこちらで残しておきます。

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わたしは読書が好きだ。

「ひらがな」という画期的なツールを体得した5才の頃から、わたしは本の虫だった。
母の実家であるおじいちゃんの家には読み切られないほどたくさんの本があった。
わたしの家はあんまりお金のある家じゃなかったけれど、小学生になれば図書館というヤバい施設をいつでも利用し放題になった。

そして小5のとき、伊坂幸太郎と出会った。
わたしはあの日のことを一生忘れないと思う。
忘れないけれど、もう一度あの気持ちを味わいたいから、もしもタイムスリップが出来るならば戻りたいタイミングとして挙げてもいい。

それは雨の日の放課後で、当時は17時まで解放されている図書室に行くのが日課だった。
何気なく手に取った『死神の精度』の表紙はダークブルー。

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家庭環境のせいもあってわたしは必要以上に大人びた子どもだった。
小学校に入学する頃には、周りの大人が考えていることは手に取るようにわかったし、何を言ってどう行動すれば喜ばれるかも知っていた。
ただ、同時に出過ぎた杭は打たれることも理解していた。
周りの同級生は全員子どもに思えたし、小学校の勉強は簡単すぎてつまらなかった。
「早く大人になりたい」とそればかり考えて生きていた。
今となっては受けて入れいるし、過去として俯瞰できる。
ただ、子どもらしく生きることができなかったのは1つのデメリットではあると思う。

そんなわたしの日常に伊坂幸太郎が加わり、540°くらい視点が変わった。
1周半まわったのだからとんでもない衝撃だった。
ちなみに彼を呼び捨てにしているのは敬意がありすぎるためである。
わたしにとって彼は「作家」ではなく「ジャンル」である。
ラブストーリー、ミステリー、ヒューマン、伊坂幸太郎。

衝撃の出会い以来さらに読書にのめり込んだ。
それまで読んでいた児童書とはお別れした。
ステップアップのためのとてもいいお別れだったと思う。
新しい読書体験のおもしろさは規格外だった。

日本語がいかにおもしろく美しく繊細か、わたしは伊坂幸太郎から学んだ。
彼の軽やかな文章は、脳内でいつも優しい男性の声で再生された。
ときに憂鬱でヘビーなテーマのときも、現実離れした設定のときも、彼の声はいつも丁寧で優しかった。

伏線という言葉を完璧に理解したのは『アヒルと鴨のコインロッカー』を読んだとき。
世の中には2度目に読んだ方が面白い本があることを知った。

ボブ・ディランってどんな人だろう。
どんな歌なのか知りたくて、初めてYouTubeで検索して聴いた洋楽は「風に吹かれて」だった。 

お風呂の中でさえ読むのをやめたくなくて、湯船に浸かって読み続けた。
シワシワのボロボロになるまで読み続けて買い替えたお気に入りも何冊かある。

11才のあの日から26才になる今日まで読書は常に身近にあって、中でも伊坂幸太郎は別格だった。

有名すぎて今更改めてお勧めするような作家ではないと思う。
本屋で小説コーナーをうろつけば、平積みされているかポップがあるかで1〜2冊は目に入る。
本好きなら誰しも知っているし、1冊くらい持っていると思う。
わたしも当然、伊坂幸太郎以外の本も読む。

ただ、どうやら彼は今年デビュー20周年を迎えたらしい。
最新刊『逆ソクラテス』が発売され、これは読んでおこうと(毎回新刊は読むのだけど)購入し、読んだ。


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「デビューして20年、この仕事をしてきた1つの成果だと思っています。」


わたしは評論家ではないし、人の価値観は千差万別なので彼の作品の内容についてあれこれ言うつもりはない。
でも、読んだ後には20年の節目の作品がこの逆ソクラテスで、しかも本人曰く「1つの成果」だというからとても嬉しい気持ちがした。

やっぱり今すぐタイムスリップして、11才のわたしと語り合いたい、そんな1冊だった。


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