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科学と宗教

科学と宗教は両立するのですか? という質問は時々いただきます.

原島鮮という東京工業大学で物理学を研究し教えておられた先生はクリスチャンです.ある日学生から「科学と宗教は両立するのですか?」と聞かれて「物理学はキリスト教です」と答えられたそうです.

原島鮮先生に質問をされたのは化学工学科の学生であった市川惇信さん,後に東京工業大学の名誉教授になられます.市川先生はわたしの恩師の親友の先生になります.市川先生はクリスチャンではないのですが,科学は一神教の前提無くして成立しない,との持論をお持ちでした.

それは,科学では普遍的原理が存在することが前提になるからです.ある条件で実験を行って得た結果が,他の人たち,他の機関,他の国々でも同じ結果が得られなければ,それは科学とは言えません.100年前に行った実験と,今日行った実験が,その条件が同じであれば同じ結果が出なければ科学ではないのです.この同じ結果が出ることを「再現性が得られる」という言い方をします.これは時間も空間も超えたひとつの原理によって支配されるということを前提にしています.ひとつの原理-すなわちひとりの神です.

例えば,日本で行った実験とアメリカで行った実験が違った結果が出た.多神教世界では,この結果を許容します.逆に日本の神様が支配する現象とアメリカの神様が支配する現象は,違う結果をもたらされなければならないことになります.でも一神教の世界では,世界中どこであっても同じ神様が支配する現象なのですから,同じ結果が出なければならないわけです.違った結果が出るのなら,なにか実験の条件や前提が違うのではないかと徹底的に調べることになります.

ちなみに,生物学は長い間,この再現性の問題に苦しんできました.今でもなかなか難しい分野があります.小保方晴子さんの STAP 細胞の研究は,最終的に実験の再現性が得られなかったことが問題となり,小保方さんは実質的に日本の学界で活動できなくなってしまったことを覚えておられる方も多いと思います.

市川先生は「わたしは,科学という神に仕える祭司である」と仰ってました.わたしとしては,市川先生に科学を支配されているまことの神に気づいていただきたいと,ずっと思っています.

ちなみに市川先生は日本社会は法治主義じゃなく,人知主義だ,とも仰っていました.すなわち法律の適用が法律の文章ではなく人の解釈で適用されること,時間や場所で人が違うと同じ文章の法律でも違う適用がされることがよくあるということです.さすがに裁判になって判例で判決が決まる場合は別としても,例として警察官が今回は見逃してあげるとか,今回は始末書だけで勘弁してあげるといったこと,この原因のひとつが日本社会が持っている多神教の世界観に基づいている,という主張をされていたことが記憶に残っています.このことはまた機会があれば書いてみたいテーマです.



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