見出し画像

私も、子どもと一緒に戦ってますから〜!の盛大な勘違い


どうしても、譲れない親心があるんです!!



あの頃、私にはそんな猛烈な思いがあったよな、としみじみ思うのです。「あの頃」というのは、娘のバスケを全力応援していた時のこと。


私が娘にしてきたことは、子ども時代に自分がして欲しかった親のあり方だったのか!と気がついたのは、娘がバスケの現役を引退する前ではあったものの、渡米後の話です。


そのことに気づく前の「あの頃」=日本での部活応援時代というのは、私にとっては、そりゃもうな別格で特別な時間でした。

「親が熱狂してもいいよ」の空気感が、そこにはあります



公式が売り出すアイドルのトレカを、ファンが一生懸命に集めてもいい雰囲気。むしろ、どんどんコレクションして、推しに還元してます!!って高揚感を味わう感覚と言えばわかりやすいですかね?


推し仲間(他の保護者)と、推し達について熱く語り合い、一緒に泣いて喜んでの濃密な娘の高校3年間は、ただただ、至福の時でした。


家に帰れば推しがいる。もとい、家で待ってたら、推しが帰ってくる…。私が作る物を食べて、私が洗った練習着を着て、ユニフォームで試合をしてる。

推しを産んでくれたあの日の自分(&みんな)、ありがとう…!!(泣)の世界観です。

そんな推し活で、熱くならないワケがないじゃないですか…!!


楽しくないワケ、ないじゃないですか…!!


でもね、ここに落とし穴が潜んでいたのです。


(私が欲しかった親からの期待や注目を一身に受けてるのだから)、あなたもっとやって当然じゃないの?の意識が私の中でどんどん成長していたこと。

これは盲点だった。というか、完全に自分でも無自覚な思いだったのです。


上を目指すなら、(こんな手厚いサポートを受けているのだから)やって当たり前!!という意識が、なんせ強かった!!

自分では「バスケで上を目指すなら、当たり前」だと思っていたつもりだったけれど、実は、

私がこれだけやってるんだから頑張ってよ!!
もっとやれるでしょ?!
私がこれを貰ってたなら、もっとやれてたよ?!

というもどかしさが、どうしても譲れない言い表せない子どもへの思いとなって、「やれ!と言いたくなる感情」が大炎上していたのです。

落ち着いて考えてみたら、娘にはいい迷惑な話。
「それってあなたの感想ですよね?」ってひろゆきさんじゃなくても言っていい。

ママの幼少期は大変でしたね。でも、それが私のがんばらなきゃいけないってことに直結してます?

これを14歳だった娘に真っ直ぐに目を見られて言われてたら、ぐうの音も出ませんでしたよ。(その頃が1番ピークで口うるさくなってました)


私は、noteの中で「熱血ママがぐうの音も出ない話」をちょくちょく書きますが、これは一瞬、世界が無音となって白目を剥くヤバさのやつです。


「自分の果たせなかった夢を子どもに乗っけてしまう親」も同じ類いで、子どもを通して自分が成功体験をしたい病だったり。

でも、それ自体は悪い病気ではなく、親の醍醐味でもあって、むしろ子育てにつく特典だと思っています!!


なんだけども、悪い作用があるとしたら、親が主役である子どもの前を走ってしまっている時です。


伴走者でも、並走者でもなくて、後ろ向きで白バイに乗る先導者のようなもの。道案内なのに後ろ向いてるから、役割も果たしてないし、そもそも白バイに乗れる立場でもないし、「なんなん自分?」って子どもからは見えている。(言わないだけで…)


早起きしてお弁当を作ってくれてありがとう。
洗濯や送り迎えもありがとう。
応援してくれるのも嬉しいよ。


でも、「それ」と「これ」は別じゃない?


親の子どもへの「ちゃんとやれ!」が親のエゴからの「ちゃんとやれ!」だったとしたら、あの頃の私のように黙って見守るのは至難の業だと思います。


見守ること=口を出さない


これを言われちゃうと、ものすごい抵抗がありませんか?私は猛烈にありました。もう、息するな!とほぼ同意語。

それって見捨てることですよね?
できない子どもを諦めることですよね?

私はずっとそう思っていたから、親が口を出さなくても自分からやれるお子さんを持ってる人はいいよね〜って思ってました。


私が前を走るから、子どもがやれるのです!(ビシッ!)って気持ちが、ぽろって出ちゃうぐらい、娘に口を出さないサポートなんて私の中ではあり得ないことでした。


戦後しばらくして生まれた私たちが、戦時中の食糧難のことを言われてもピンと来なかったのと同じで、親の子ども時代の思いとか願いなんかは子どもには全然ピンときてないことの方が多いのが現実。


もし、お父さんやお母さんの夢のためにがんばるよ!なんて本気で言ってくれるお子さんだったなら、コンビニで買うおにぎりは赤飯一択ですよ。


大体は、自分にそれ言われてもね…って子どもはモヤっとしてるんです。だからいいんです。ガッカリせずに、コンビニでは好きな物を食べてください。


私と同じ両親を持つ妹が言っていたのですが、姪っ子に自分の幼少期の話をしても、理解をしてもらえずに「時代がちがう」と言うらしくて。


姪っ子、それは違うよ。
あの時代「普通に憧れていた子どもランキング」で、長野ではぶっちぎりでワンツーフィニッシュの姉妹だったんだよ。(東京には也哉子さんがいたからね。長野では、ね!)←詳細は上記の記事参照


実際のところ、私や妹のように、子ども時代の憧れが子育てに反映された案件の悩みばかりだと思っていいのではないでしょうか。


だから、それ自体はそうなんだな。でよくて、一早く、自分の子ども時代を基準にすることから、我が子を基準にシフトした者勝ちだなを実感中…。


いくら自分の子どもでも、当時の自分と全く同じってことはあり得ないのだから「自分とは別人」の意識をクリアにして見てみようと思うだけで、全然違ってくるし、現実の見え方も変わります。


シフトできなかった母代表でもある私が言うのだから、これほどのエビデンスはないですよね?


基準をシフトするという思考すら持てなかった時代に大失敗を経験して、それを機にシフトしたのだから、とんだ遠回りをしたもんだ。


でも、その当時の私をよく知っているから言えることがあります。あなたが遠回り組を選んでも、今すぐシフト組を選んでも、どこかのタイミングでの私と同じですから。


要はキッカケがあれば、いいんですよ。
私のようなハードモードは、心身ともにダメージが大きいので、インパクトが小さめ(例えばこの記事)を選んで大きなリターン=結果を得てくださいね。


それでも、ハードモードを選んでしまう方、お仲間ですね。嫌いじゃないですよ。


私の大失敗、見ておきますか?







この記事が参加している募集

いただいたサポートは、ちょっとウキウキすることに使わせていただきます♡いつもの普通な今日に潤いをありがとうございます!