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カサンドラが自らの力で幸せをつかむまで〜ASD夫との10950日(16)

「写真のない新婚旅行」

私たちは、夫の希望で新婚旅行はヨーロッパに出かけている。
好きなことにとことん積極的な彼は、旅の準備に夢中である。
自分が学生時代に回った場所に、また行きたいのだという。

飛行機は窓側を陣取り、すごいはしゃぎようだ。
空港に着いてからも得意になっていろいろ話してくれるのだが、「すごい」と言われたいために話しているというのは私でもわかった。
私のリアクションが悪ければ途端に不機嫌になり「高尚すぎて庶民には分からないか。」と、見下して自分を落ち着けるのである。

大きなカメラを友達に借りて街並みを撮って歩くが、「これは人を撮るためではないから」と宣言された。
だから、私たちは自分たちが映った写真は一枚もない。

彼は、私にはお構いなしに細い路地に入っていく。
ヨーロッパの街は、表通りは綺麗だけれど細い路地に入ると途端に怪しい雰囲気となり、汚いものや臭いものも度々踏みそうになる。
先に好きな場所にスタスタと行ってしまう彼に必死に着いていく途中、分からない言葉で男の人に絡まれそうになることもあった。

「ちょっと早いよ。男の人に絡まれたけど。」
「は?それ僕の責任?今、無事でここにいるじゃん。」
「ゆっくり歩いて欲しいし、どこかにいく時には行って欲しいよ。」
「どうして僕が君の歩幅に合わせなくてはいけないんだ?君が努力すべきだろう?」

ここから先の話になるが、後に子供の仕事をするようになる私は、全く同じ発言をする子供に度々出会う。
尊大なので、度々周囲と軋轢を起こす。
自分が思ったことを状況をわきまえず話すので、顰蹙を買う。
そして、どんな場面でも決して自分を曲げないのでどんどん孤立していく。
その子たちを見て、私はただただモラハラだと思っていた彼の「発達」に問題があることに気づいていくのである。

宿泊したホテルでは、ビュッフェスタイルの食事は席につくなり食べ始めたり、おかわりがあれば私にとりに行かせたりした。
「おかわり持ってきて。」と笑顔で私の前に皿を置くのである。
流石に驚いて「私今食べてるでしょ。」と言うと、自分で持ってくると言うことにはならず、
「分かった!じゃあ、待ってるから早く食べ終わってね!」となるのである。

女は自分の周りのケアを完璧にやってくれるもの。
そう刷り込まれて、そこから動けないのである。

結婚した相手だから、理解し気遣いしなければいけない。
「結婚は我慢だ」と父に教えられていた。
しかし、それは全部ではないが間違っていたと思う。
結婚は歩み寄るものだ。
そしてどんな人も、家庭という社会の最小単位においては大切にされなければならない。

しかし、彼はその歩み寄りがなかった。
極端に甘やかされ、褒め称えられて育った生育環境による自己愛の強さもあっただろうが、人の心理を理解する事ができない。
彼にとって私は一つの人格を持った人間ではなく、自分の人生にあるといいなと思った気に入ったパーツであったのだ。

「人の思い」に考えが及ばない。
それは、冷たさや無関心につながっていく。
訴えれば訴えるほどに、突き放され突き落とされるのである。

当時の私は、いわゆる社会的成功を収めている彼を尊敬していた。
意気揚々と夢を語る、縁あって夫となったこの人の力になりたいとも思っていた。
だから、私は次第に「こんなに自信満々に言うのなら、私の感覚がおかしいのかな。」というある種の洗脳状態に陥っていく。

気遣って無視され、消耗していく。
そのスパイラルに、私は落ちていくのである。

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