ことは

アスペルガー夫(元)を持つ50代自営業です。 出会いからこれまでの軌跡を、残していこう…

ことは

アスペルガー夫(元)を持つ50代自営業です。 出会いからこれまでの軌跡を、残していこうと思います。

最近の記事

夫について①

ここで一旦、彼がどのような人となりなのかを並べてみる。 大阪生まれ、大阪育ち。 私より歳は、3つ年上となる。 大学教員の父と専業主婦の母、二つ年上の姉がいる4人家族である。 義母は流産と手術を繰り返し37歳で義姉、39歳で夫を出産。 女系一族の、ただ1人の男の子として大切に育てられている。 地元の高校を出て、K大に進学。大手企業の研究室に就職。 本人曰く非常に優秀だったらしい。 九州に出向となり、私と出会う。 1日に二箱消費する大変なヘビースモーカー。加熱式は使わない

    • 「君は特別だ」と言うけれど

      最初のデートが終わった後。 彼の、人を見下す態度や心ない言動に「ないない。」と見切りをつけた私は、彼のことはすっかり忘れていた。 しかし、4日ほど経ち彼から電話が来た。 「また会いたくなってしまった。これはレアなケースだ。」 聞けば、中古車を買ったという。 不器用な人なのかもと思い、出かけてみることにした。 2度目のデートは、1度目より楽しかったように記憶している。 偉そうな口ぶりは耳についたけれど、それに対して意味を聞き返すとドキマギして言い直す様子もあり、今考えると彼

      • 失礼な人

        「福岡の街とか店、よく知らないんだよね。どっか連れてって。」 待ち合わせ場所に現れた彼は、よれたポロシャツを着て、古いチノパンを履いていた。 身なりに無頓着な人なんだな、飾らない人なんだと「その時は※」思った。 大学の友達とよく訪れていた喫茶店に2人で入った。 彼は終始ハイテンションで、自身が大阪出身であること、今は出向で福岡に来ていること、T大とK大を受けたけれど受験の宿で食べたクラムチャウダーに当たってT大は落ちたことなどを、饒舌に語っていた。 聞けば、京都に入社式で

        • アスペルガー夫との出会い

          もう30年近く前になる。 福岡市内のとある女子大に通う私は、父、母、兄、弟と暮らしていた。 父親は厳格な、よく言われるタイプの九州男児であったと思う。(九州に住む男性の全てがそうではない) 父は若い頃からよく働く人で、福岡に本部がある全国チェーンの洋品店の店長を歴任し、この時はすでに役員を務めていた。 母は、父から2歩も3歩も下がっている専業主婦。 長男である兄は特別に大切に育てられ、弟は奔放という当時ではありふれた家庭だったと思う。 大学2年の夏。 私の通っていた大学は近

        夫について①

          カサンドラが自らの力で幸せをつかむまで〜アスペルガー夫との10950日

          はじめに 私は、アスペルガー症候群の夫を持つ50代自営業です。 人と情緒のつながりをもてない夫をもち、30年を迎えようとしています。 出会いから現在まで。 失望と絶望感を抱きながら生きてきた今、独立を前にここに記録として残していこうと思います。 今まで、この作業は何度となく挫折してきました。 なぜなら、苦しみ耐えてきたあの日々を掘り起こす作業になるからです。 心身に異常をきたし、消えてなくなることだけが希望に思えたあの日々に逆戻りする負担の大きい作業なのです。 苦しくて

          カサンドラが自らの力で幸せをつかむまで〜アスペルガー夫との10950日