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カサンドラが自らの力で幸せをつかむまで〜ASD夫との10950日(20)

「どうして別れなかったのか」

親戚も友達もいない土地での、子育ては疲労の限界を超えていた。
あたかも家族などいないように、彼は内外でふるまっていた。
「嫁?知らん。」とよく周りに話していたそう。
君のご主人は冷たいねぇ、とよく人に言われていたことがとても辛かった。

上の子が2歳。私は妊娠中。
インフルエンザで倒れて40度以上の熱が出るも、インフルを家庭に持ち込んでさっさと治った彼は、なぜか泊まりでどこかに「避難」してしまっていた。
車も持たない私は、病院にも行けない。食料もない。
「私に捕まるのが嫌だ」と携帯を持たなかった彼は結局4日間帰ってこず、インフルエンザを親子で、自力で治癒させるということまで起こっていた。

彼は、どんなに長い出張でも一切の連絡をよこさない。
帰ってきても、「子供はどうだった?」と聞いたことはない。
「いるから、大丈夫」なのである。
その間私たちがどんなふうに過ごしていたかなども、全く興味関心がないのである。

子どもが生まれて最初のボーナスは、趣味のAV機器を買い揃えて全額使ってしまった。
彼は、先々のことを考えて行動することが苦手だったようだ。
20万と少しの収入では、実家に帰るお金すらない。

私は、この時すでに自身の結納金を取り崩し生活していた。
先は見えている‥
1度、生活費について相談したことがある。
欲しいものがあると一気に4〜5万使うという、独身時代のような使い方では、これから子どもにかかるお金を工面できない、と。

しかし、ASDに相談はできないのである。
認知が歪んでいて、少しでも相談をすると「自分を否定された」と認知し臨戦体制に入るのである。
相手が奥さんだろうと子供だろうと勝たなくては行けない彼は、そのためならどんな言葉も使う。
「もう少し頭がいいかと思ったんだが。」と言った彼は、私を「家計管理できない女」と認定した。

以降、相談はできなかった。
しても無視されるか、罵倒されるかである。

子どもは、幸運なことに授かった。
しかし夫は疲弊する私からは目を背け、子育てから逃げ回った。
子どもがうんちをすれば「くさいくさい」とどこかへ行ってしまう。
子供の声には、耳栓をしているのかと思うほど全く反応しなかった。
耳が悪い訳ではない。
聞こえても意識の底辺化で、自分には無関係と処理しているのである。

どうして、このように悲しい思いをしながら早々に別れなかったのか。
正確には「別れられなかった」のである。

大学在学中に結婚し就職もせず、財力を持っていなかった私には自分の所持金が1円もなかった。
持っていたのは、結納金の何十万かである。
もしこの時私に財力や、どんな状況でも働ける資格があれば離婚していただろう。

このままでは、生活おろか子供を育てることができない。
夫は、当てにできない。

そう思った私は「自ら稼ぐこと」を決意するのである。





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