梅香る南関東をゆく:青梅市 吉野梅郷 その③

画像1 吉野梅郷つづき。起伏に富んだ吉野梅郷を残らず味わいつくす野望を抱く酎愛零は、いったんふもとまで下りて再度上り始める……
画像2 下りる途中で出会ったのは紅梅の二大巨頭「鹿児島紅(かごしまこう)」と……
画像3 「紅千鳥(べにちどり)」。こうして並んで立っていると、微妙な違いであってもはっきりわかるものですね。
画像4 さて、戻ってまいりました。最初の、池から上がってきて、「月宮殿」や「武蔵野」を見た所ですわね。実はそこから道が分岐していたのです
画像5 今回はしばらく谷間のルートになりそうですわ。ゆるりとまいりましょうか。
画像6 一重の小輪、「織姫」。実生の梅で、小梅の梅干しが有名ですね。花も小さくて可憐!
画像7 太鼓橋のある所まで来ましたら、ゆめうめちゃんのアイコンが。ではこのあたりに......
画像8 あっ、ありました。なになに、「伐採前の写真看板が園内の4ヶ所に設置してあります」と。
画像9 みなさまは、これまでの風景からお気づきになりましたでしょうか。「吉野梅郷」という名前の割に、梅の木がまばらであることに。そして若木ばかりであることに
画像10 老木はひとつもなく、あるのは切り株ばかり......
画像11 そう、青梅の梅は、一度、滅んだのです
画像12 かつて吉野梅郷は、雲海と見まごうほど梅の花が咲き乱れる、さながら梅版の桃花源とも呼べる場所でした
画像13 開催される梅祭りでは、露店商はもちろん近隣の民家もお店を出し、とても賑わっていたといいます
画像14 しかし、そんな夢のような花の世界を、突如おそろしい衰亡が見舞います
画像15 それが、「プラムポックスウイルス」。ウメ輪紋ウイルスです
画像16 プラムポックスウイルスはサクラ属の樹木に感染するウイルスで、これに感染すると、葉や花弁、外果皮に班紋が現れるとともに早期落果が起こり、収穫量が激減します。このため海外の農家では、プラム、モモ、スモモ、アンズ、ネクタリン、チェリーなどに甚大な被害が出ました
画像17 1915年にブルガリアで発見されて以来、世界中で発生が確認されるようになったプラムポックスウイルスが日本で初めて確認されたのは2009年のこと。それは、ここ青梅市の吉野梅郷でした
画像18 その後、日本各地の梅の感染木を調べたところ、ウイルスのRNAの型に一致が見られました
画像19 ここが、感染源だったのです
画像20 プラムポックスウイルスはアブラムシなどに媒介される他、感染した苗木が流通することでも範囲を広げます。現在でも各都道府県で緊急防除措置の取られる感染症として対策が通達されています
画像21 今のところプラムポックスウイルスには、予防法や治療薬はありません。感染防止対策しかないのです。
画像22 感染防止対策とは、アブラムシの駆除、苗木、切り枝、切り花の持ち出し禁止措置、そして......
画像23 感染した樹の伐採......
画像24 この光景をごらんください。かつてここには、森のような梅の園が広がっていたのです。
画像25 伐採されたその数は約1700本にもなり、伐採措置は民家の庭にある梅の木にまで及びました。
画像26 梅とともに歩んできた青梅の民にとっては、耐えがたい苦悶......断腸の思いであったでしょう
画像27 しかし、ここからウイルスを広げるわけにはいかない。ここで封じ込めるしかない。まるでウイルスを道連れにするかのように、青梅の梅の木は、姿を消したのです。
画像28 梅の木を失った青梅市の損害は深刻でした。観光業は目玉の観光スポットを失い、農業・商業では梅の実が採れなくなったため梅干しや梅酒など梅製品の生産や販売ができず、人々は苦境に立たされました
画像29 再植樹しようにも、この地からプラムポックスウイルスが根絶されたと認められなければ、それもできないのです
画像30 こうして、青梅市、吉野梅郷は、長い沈黙の時代を迎えたのです......

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