偽典 千夜一夜物語 第三夜「勝者を作りし者の物語」スフィク・アル・ハトゥームの話(リライト)

※この作品は福島太郎さんが2021年10月7日に募集した企画「ウイナーメーカー　チャレンジ」に応募して書いた作品のリライトです

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『努力する人が見つけ、種蒔き育てる人が収穫する』

──アラブのことわざ

　むかし、むかしフィ・カディーミ・ッザマーニ、あるところにカーナ・ヤー・マカーン……

　海辺うみべの さびれた ちいさな町まちに、スフィクという名なの 漁師りょうしがおりました。

　夜明よあけ前まえから 小舟こぶねに乗のり、今日きょうもスフィクは 魚さかなをとりに こぎだします。

　あつい、あつい、おひさまが 照てりつけて、半日はんにち 網あみをなげつづけても、とれるのは、身みのやせた小魚こざかなばかり。

　それでもスフィクは とった魚さかなを魚篭びくに入れて、意気揚々いきようようと おうちに帰かえります。かわいい かわいい 一人娘ひとりむすめが待まっているから。

　とれた魚さかなを 干物ひものにして、スフィクは 町まちで 売うり歩あるきます。町まちは 貧まずしく、同おなじように わずかな食たべ物ものを 加工かこうして 売うり歩あるく人ひとが たくさん。

　そんな人ひとたちと、つくったものを 交換こうかんしあい、むかしからの友だちと 冗談じょうだんを言いいあって、スフィクは 少すこしばかりの 肉にくや、野菜やさい、時ときには ナツメヤシの 干ほしたものなんかを ふところにいれて、かわいい かわいい、一人娘ひとりむすめの待まつ おうちに帰かえります。

　おひとよしの スフィクは、誰だれからも 買かってもらえない しなものを広ひろげて おなかをすかせている物売ものうりに、干ほし魚ざかなを くれてやることもあるので、いつまでたっても、お金持かねもちにはなれません。

　軽かるくなった おさいふを見みて、スフィクは思おもいます。

　ああ、おれに、もっと金かねがあったらなあ。そうしたら、もっとおおくの しなものを 買かってやれるのに。みんなが、喜よろこぶ。おれも、喜よろこぶ。娘むすめだって、いろんなものを もって帰かえったら、手てをたたいて 喜よろこぶだろうさ。ああ、もっと、金かねがあったらなあ。

　スフィクは頭あたまをひねって、お金かねもうけの方法ほうほうを かんがえますが、いいかんがえが 浮うかばず、いつも 他人たにんのために 骨ほねをおってばかりなので、お金かねは なかなか たまりません。

　ある日ひ、スフィクの網あみに、小魚こざかなではなくて、きたならしい壺つぼが かかりました。かきや、ふじつぼ、どろんこを とりのぞいてみると、それは たいそう古ふるい壺つぼでした。ふたには とても厳重げんじゅうな 封ふうがされていました。

　ひょっとしたら、中なかにはおたからが つまっているかもしれない。こいつは おれにも 運うんがむいてきたぞ。スフィクは壺つぼをおうちに もって帰かえり、娘むすめといっしょに あけてみることにしました。

　でも、勘かんばたらきのよくない スフィクには、あけかたが わかりません。娘むすめは かしこかったので、ふたをいじって、かちり、と言いわせました。スフィクは喜よろこんで、ふたをあけました。

　すると、中なかから けむりと光ひかりが とびだして、おおきな魔人マリードが 現あらわれました。スフィクは 腰こしをぬかして、魔人まじんさま、うへ、へえ！とはいつくばりました。どうか 命いのちばかりは、とふるえるスフィクにむかって、壺つぼの魔人まじんは言いいました。

　漁師りょうしよ、まずしき魚さかなとりよ。よくぞこのわしを ここから出だしてくれた。礼れいを言いうぞ。スレイマーンの縛ばくより解とかれて、わしは 気分きぶんがいい。きさまの望のぞみを、言いってみろ。 三みっつの願ねがいを、かなえてやろう。

　スフィクは「お金持かねもちになりたい」と 言いおうとしましたが、お金かねは 使つかえばなくなってしまうことを 思おもい出だして、やめにしました。

　ぞうきんのように あたまをひねった スフィクは、ついに、「まるまるふとった おいしい魚さかなを いっぱいとりたい」と言いいました。魔人まじんは、よかろう、と言いうと、けむりと 光ひかりを出だして 消きえました。

　よく朝あさ、スフィクがいつものように 漁りょうに出でると、網あみには 見みたこともない、色いろとりどりの 肉にくづきのいい魚さかなばかりが、たくさん、たくさん かかっていました。スフィクはおお喜よろこびで、ふとった魚さかなを 小舟こぶねいっぱいにつみこみました。

　しかし、スフィクは困こまってしまいました。これほどおおきな魚さかなを、見みたことが なかったのです。干物ひものにするには おおきすぎ、どうやれば おいしく食たべられるのかも、わかりません。それに、こんなに おおきな魚さかなを、どうやって 町まちまで運はこべば いいのでしょう？

　こまりはてた スフィクは、魔人まじんに ふたつめの願ねがいを 言いいました。「この魚さかなを おいしく 料理りょうりできる 料理人りょうりにんと、料理りょうりを運はこぶ おおきな荷車にぐるまと、料理りょうりを売うる 売うり子こが ほしい」と言いったのです。魔人まじんは、よかろう、と言いうと、けむりと 光ひかりを出だして消きえました。

　すると、たちまち スフィクの目めの前まえに、さまざまに 姿すがたを変かえることのできる 馬うまがなくても動うごく荷馬車にばしゃが、1ダースの 腕うでききの料理人りょうりにんが、3ダースもの 美男びなん美女びじょの売うり子こが 現あらわれて、スフィクにむかって かしずくのでした。

　スフィクは喜よろこび勇いさんで、とれた魚さかなを おいしく料理りょうりさせ、みめうるわしい売うり子こたちに たくさん売うらせました。すぐにスフィクのお店みせは 評判ひょうばんとなり、みんなが スフィクのうわさを しあいました。

　そのうわさは砂漠さばくをこえ、海うみをこえ、国くにじゅうから 有名ゆうめいな人ひとが スフィクのお店みせに やってきました。船ふねをなんそうも持もつ 大商人だいしょうにんや、はるかな都みやこからやってきた 大貴族だいきぞく、歴戦れきせんの 大将軍だいしょうぐんなどが、スフィクのお店みせにやってきては、ここの料理りょうりは すばらしい、国くにに帰かえったら このことを広ひろめよう、と、口くちぐちに ほめそやすのでした。

　そのうわさは 王おうさまの耳みみにもとどき、王おうさまも その料理りょうりを食たべたいと思おもって、わざわざ やってくることになりました。

　そのころには、スフィクは大金持おおがねもちになり、おおきな おやしきをたてて、魔法まほうの召使めしつかいのほかにも、おおぜいの召使めしつかいに かしずかれて、ゆうゆうと くらしていました。もう、自分じぶんで漁りょうに出でることは ありません。まずしい物売ものうりの なかまたちと しなものを交換こうかんすることも ありません。ほしいものは なんでも 買かえるのです。

　スフィクは、王おうさまが やってくるときいて、町まちそのものを りっぱに、きれいにしたい、と思おもいました。まずしい物売ものうりが あたりをうろつき、 売うれもしないしなものを ならべているやつらが いるところに、王おうさまをおむかえするのは、はずかしい。それに、おれが むかし、同おなじように まずしい物売ものうりだったと 知しられるのは、いやだ。おれは、大金持おおがねもちなんだ。そのへんのれんちゅうとは、ちがうんだ。

　その日ひから スフィクは、おなじくらいの お金持かねもちの お客きゃくとだけ、つきあうようになりました。仲間なかまの物売ものうりが 声こえをかけても、そこにいないような顔かおをしました。売うれない物売ものうりに、ほどこしを くれてやることも なくなりました。むかしからの 友ともだちが、そんなやりかたは よくない、と言いっても、耳みみをかさず、娘むすめが悲かなしい顔かおをしても、それを見みようとは しませんでした。

　スフィクのもとには、おべんちゃらを言いって 甘あまい汁しるを 吸すおうとするものや、うまいことを言いって お金かねを だましとろうというものしか、残のこりませんでした。

　ある日ひのこと、スフィクは、娘むすめが、まずしい物売ものうりに ほどこしをしているのを見みて、はげしく怒おこりました。この、あばずれめ。そんなことをして おれが びんぼう人にんと つきあいがある、と言いわれたら、どうしてくれるんだ。おれは 大金持おおがねもちなんだ。そのへんの こじきどもとは ちがうんだ。わからないのか、ばかめ。

　スフィクは娘むすめのほほを打うち、おやしきに駆かけこみました。「魔人まじんよ、魔人まじん。さいごの願ねがいを言いうぞ、かなえてくれ。このおれに さからうものを、ぜんぶ 消けしてくれ。おれは、おれの思おもいどおりに 生いきたいんだ。おれの 思おもいどおりに ならないことなんて、がまんならん。おれにさからうものは、みな 消きえてしまえ！」魔人まじんは、よかろう、と言いうと、けむりと 光ひかりを出だして消きえました。

　その日ひの夜よる、なんの前まえぶれもなく、大地だいちのおおきなゆれが 町まちを おそいました。まるで妖霊ジンの手てにつかまれて ゆさぶられているように、人間にんげんは みな もんどりをうって ひっくりかえり、動物どうぶつたちは すべて 逃にげだしてしまいました。

　黄金おうごんのベッドから ころげ落おちたスフィクは、ゆれる大地だいちの あまりの おそろしさに ちぢみあがりました。そして、それまで 自分じぶんにつきしたがってきた ものたちが、先さきをあらそって おやしきのお金かねや、おたからを うばって 逃にげていくのを見みて、大声おおごえをあげました。しばらくすると、海うみのほうから 不気味ぶきみな音おとが 聞きこえてきました。

　海うみが、あふれだしたのです。

　あくる朝あさ、運うんよく助たすかったスフィクは、水みずの引ひいた がれきの中なかから、娘むすめを見みつけだしました。かわいい かわいい 娘むすめは、がれきに押おしつぶされて 死しんでいました。べつのがれきの上うえで、スフィクは、むかしからの友ともだちが おぼれて 死しんでいるのを 見つけました。あたりに 生いきているものはなく、逃にげおくれた まずしい物売ものうりたちの死体したいが あちこちにころがっています。

　神よアラー！おお、神よアラー！

　自分じぶんが 何なにをしてしまったのかを さとり、罪つみのおおきさに ふるえながらひざまずき、スフィクは 魔人まじんにたのみました。ああ、魔人まじんさま！偉大いだいなる慈悲じひぶかい魔人まじんさま！どうか 私わたしめの願ねがいを かなえてください！娘むすめを、生いきかえらせてください！友ともだちを、よみがえらせてください！私わたしが、まちがっておりました！私わたしが、おろかでした！どうか、どうか、おゆるしください！心こころやさしき 町まちのみんなを、まずしくとも 楽たのししかったあのころを、どうか、戻もどしてください！おお、魔人まじんさま！

　あたりには、けむりも 光ひかりも あらわれませんでした。

　魔人まじんの声こえは、もう どこからも 聞きこえません。

　三みっつの願ねがいを かなえたスフィクは、ひとりぼっちに なってしまったのです。

　ただ、くさった 水みずのにおいと ふきつける 風かぜの音おとだけが、すすり泣なくスフィクを あざわらっていました。

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　おとうさん、おとうさん。

　おきて、おとうさん。

　体からだをゆする あたたかい手てと、なつかしい やさしい声こえに、スフィクは泣なきはらした目めを あけました。

　涙なみだのむこうには、いとしい、いとしい、かわいい娘むすめの姿すがたがあります。

　ふるえる手てを さしのばして、かつて自分じぶんが打うった 娘むすめのほほをさわり、スフィクは それが悪魔シャイターンの呼よび出だした 幽霊シャバフではないことを たしかめると、いとしい娘むすめを 抱だきしめました。

　神は偉大なりアラー・アクバル！

　とめどなく 流ながれる涙なみだの中なかで、スフィクは言いいました。おれが 悪わるかった。おれが まちがっていた。金かねを得えて、人ひとの心こころを うしなうとは、なんという ばかものなのだ。どうか おろかな父ちちを、ゆるしてくれ。おれは おまえに なんということをしてしまったのか。みんなの命いのちを 奪うばってしまうとは。こんなろくでなしは、鬼神イーフリートの火ひで灼やかれてしまえば いいのだ。

　おとうさん、おとうさん。それは夢ゆめよ。悪わるい夢ゆめをみたのよ。わたしは ここにいるわ。みんなも いつもどおりよ。でも、なにかを悔くい改あらためることが できたのなら それは吉夢きちむとなりましょう。

　やさしい娘むすめは おいおいと泣なく 父ちちをなぐさめました。スフィクは からになった壺つぼを見みつけて おそれおののきました。娘むすめは やさしく言いいました。おとうさん、おとうさん。心配しんぱいしなくて いいのですよ。……壺つぼのなかみは、からでした。なにも はいっていなかったのよ、おとうさん。

　スフィクは言いいました。そうか。そうだ、それで いいんだ。ひろったおたからで いいくらしをしようだなんて、それがそもそもの まちがいだったんだ。おれは、目めがさめた。たとえ 小魚こざかなだろうと、それを売うるのが おれの仕事しごとだ。それで助たすかるやつがいる。それを笑わらうやつもいる。それで いいんだ。それで みんなが満足まんぞくなら、おれは みんなに 小魚こざかなを売うりつづけるよ。

　やがてスフィクは 涙なみだをふいて、漁りょうにでかけていきました。

　スフィクがいなくなると、光ひかりと けむりが壺つぼのなかから とびだして、おおきな魔人マリードがあらわれました。

　主あるじどの。おまえの願ねがいを ひとつ かなえてやったぞ。これで おまえの父ちちは 金持かねもちになることを 望のぞむことは、なかろう。だが、これで よかったのか。人間にんげんは 欲よくの皮かわの張はった 生いき物もの。裕福ゆうふくになり 勝かち組ぐみとなることを望のぞむは 人間にんげんの常つね。それで あの男おとこと 主あるじどのは、幸しあわせなのか。なぜ、富とみや 名誉めいよを得えて、人生じんせいの勝者しょうしゃになることを 望のぞまぬ。

　やさしく、かしこい娘むすめは言いいました。魔人まじんさま、わたしは お金かねよりも 名誉めいよよりも、親したしい人ひとたちと 作つくったものを 交換こうかんし、困こまっている人ひとを すておけぬ、そんな父ちちが 好すきなのです。
　父ちちも、父ちちのまわりで 笑わらうものも、みな いきいきとし、人生じんせいを楽たのしんでいます。父ちちは、まわりのものたちを 笑顔えがおにしています。魔人まじんさまは、裕福ゆうふくなものこそ 人生じんせいの勝かち組ぐみとおっしゃいましたが、人生じんせいを楽たのしむものこそ、まことに富とめるものであり、人生じんせいの勝者しょうしゃなのです。楽たのしめぬ人生じんせいならば、たくさんのお金かねや、ひとさまを蹴落けおとして 得えた名誉めいよなど、なにほどの意味いみがありましょうか。
　父ちちは 私わたしの誇ほこりです。どうか このまま、まわりのものを 笑顔えがおにする 父ちちでいてほしい。とはいえ、うつろいやすい心こころも 人ひとの身みゆえ。魔人まじんさま、これからもなにとぞ、そのお力ちからを お貸かしくださいませ。

　魔人まじんはおどろき、感心かんしんして 言いいました。よかろう、高潔こうけつなる魂たましいの 我わが主あるじよ。残のこりふたつの願ねがいを言いうがいい。なに、急いそぎは せん。そのちっぽけな命いのちが つきるまで、ゆっくり 使つかいみちを かんがえるがいい。それまで わしは そばにいよう。

　主どの、なんなりと。あなたの召使いは、ここにシャッバイカ・ラッバイカ。

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「……なんと奇妙な話だ。一夜の夢の内に、人生の栄華と破滅とを体験するとは、な。して、その男は、その後どうなったのだ。貧しいままだったのか。娘は、残り二つの願いを、どう使ったのだ。ああ、続きを聞きたくて矢も盾もたまらぬ。話してくれ、夜はまだ長い。」

「貧しい漁師、スフィク・アル・ハトゥームは、その晩年、物売りの仲間の中から大成した者が何人も出ました。彼らは決して驕おごらず、若き日に助けてもらったり、生き方を学んだりしたこの漁師に、敬愛を込めて尊師イマームの呼称を贈りました。それが、今日における『勝者を作りし者ハッダード・アル・ファーイズ』ハトゥーム師の原点とされております。陛下も、ご存知でありましょう？」

「これはしたり！あの偉大なるハトゥーム師の話をしていたのか！師の業績ばかりを学んできたが、その前身にこれほど意外な過去があろうとは、露ほども思わなんだわ。やはりそなたが以前に言った通り、我が眼まなこは半分盲めしいていたも同然。もっと聞かせてくれ、シェヘラザード。我が身の不明を顕あらわにするのは、せめてそなただけに留めておかなくてはならぬ。」

「承知いたしました、陛下。漁師スフィク、ハトゥーム師の娘御はそののち……」

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月は昇り、星は銀砂となりて、真夜中の静寂しじまを流砂のごとく流れゆく。

澄んだ語りは歴史の調べ、聴き入る耳は新さらなる帳面ノート。　

夜は更けて 語り部聞き手 影法師。

音に聞け 千夜一夜の 物語。

完