平和へのロードマップ
ごきげんいかがでしょうか、両脚が同時にこむら返りを起こして七転八倒していた私です。
今日もまた原爆忌。長崎へ原子爆弾が投下された日です。
先に書いた広島の原爆忌に関する投稿では、悲しみを抑止力にしよう、そのために記憶を伝え広めようという提案をいたしました。
しかし、それを実現するにあたって、私は三つの大きな壁があると考えておりますの。
ひとつは、世代の壁。
原爆の被害を直接受けた世代はどんどん減っておりますわ。直接被爆者がいなくなれば当然、生の体験は聞くことができなくなります。伝え聞くだけでは、いつしかその真実性は損なわれ、感情や政治的意図などで脚色され、事実を歪められるおそれがあるでしょう。
生の声を残しましょう。そして残された声があることを知りましょう。証言ビデオ、音声アーカイブなどが、すでに存在することを。
できるだけ多くの声を聴きましょう。多くの声を聴き、さまざまな証言をすりあわせるのです。多くの声であればあるほど、あの日の記憶は解像度を上げ、それと同時に、戦後の教育で隠されていた事実、戦勝国にとって──その傀儡となった日本の政治家にとって──都合の悪い事実も浮き彫りになってくるはずです。
もうひとつは、言葉の壁。
単に言語が違うから伝えづらいという以外にも、現状では「日本の被爆地を訪れる外国人にしか知られていない」ことがほとんどだと思いますの。あの筆舌に尽くしがたい惨状を世界に伝えるためには、言葉の壁を越えて、積極的に訴えかけていかなければならないでしょう。
対外的に何ができるか?それには「現在」どんなことをしているかを知ることが近道です。今を知った上で、足りないと思われるところ・不十分だと思うところを埋めていきましょう。
そして、それをできるだけ多くの人数で行うことが肝心です。単に伝えるだけではなく、「伝える人を作る」ことを目標にしないと、世界に広く報せることは困難ですし、いずれ先細りになってしまうことでしょう。
最後の、かつ最も頑迷な壁は、意識の壁ですわ。この意識の壁とは、思い込み、差別意識などを含みます。
私たちが普段、なにげない情報を摂取するときであっても、大なり小なりの偏向がかかります。頭では公正公平であろうとしても、心情的には自分の求めている情報/語り口といったものに引きずられてしまうのが正直なところだと思いますの。
あの人の言うことだから正しい。
あの組織に属しているから間違っている。
強い言葉で断罪する論調が好き。
理想論ばかり唱えるのが嫌い。
これが、意識の壁です。もちろん、上に挙げたものは一例に過ぎません。人の数だけ意識の壁はあり、似通った壁を持つ人々がグループ化し、仲間を得た壁が極端な単一化・先鋭化を遂げた場合に──相反する壁を持つ個人もしくはグループに対して攻撃的な反応を見せるのだと、私は思いますわ。
この心の中の壁を、破壊するのです。
一見して心が拒否するような意見・主張であっても、1から100まで反感しか無い、というものは稀ですわ。どれほど納得いかないと思う考え方でも、少なくとも(そう考える人もいるんだな)という発見があります。
同じことがらに対する、さまざまな考え方に耳を傾けて、その中から共通点・共感できる点を見つけるのです。そうすれば、まるで相容れないという相手でも通じる部分はあり、また仲の良い相手であっても同意できない部分があるということがわかるはずです。
逆説的に言えば、それだからこそ、多種多様な語り手は必要だと言えますわ。まったくの嘘やデマ、プロパガンダ(政治的喧伝)などを見抜く目は必要になりますけれども、感情的になるあまり、自分にとって不快な意見を遮断するのは危険です。
原爆を落としたのは、戦争が長引くのを防ぐため──
たとえばそんな史観を持っている人または集団と相対したときに、無用な対立をせずにどれだけの事実を伝えられるかは、自分と相手方の意識の壁の高さによると思いますの。
ダマにならずケーキ生地をつくるには小麦粉に段階的に水分を加えるように、違う意識・認識を持つ相手によく伝えるには、アプローチの仕方に工夫が必要となるでしょう。そのアプローチの仕方こそが、唯一の被爆国である日本の、私たちのロードマップ──平和へのロードマップだと考えますわ。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、ごきげんよう。
千古不朽の願いとともに。
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