二次創作、腐、同人サークルの世界に刹那的に飛び込んだら、目が白黒した話し
ある漫画のキャラクターに、ハマった。
いや、正しくは、「そのキャラクターが登場する二次創作作品」にハマったのだ。そしてもうひとつ、「ハマっていた」と過去形にしなければならない。
二次創作作品の沼に沈んでいった経緯は別に書くとして、わたしは、二次創作の世界に少しだけ、いた。
身を置いてみた。
実際に文を書いて活動もしてみた。
そして、わずか数か月でリタイアした。決してあちらの世界がつまらないということではない。楽しめない「わたし」という人間がつまらないのだ。
わたしは、もっぱら小説を1~2本、漫画のキャラクターを主人公に書いてみたわけだが、あわよくば、同人誌にして売れたら良いなとさえ思った。推しキャラクターを恋愛させるため、セックスさせるため、相手役に同じ漫画の男性キャラクターを選んだ。いわゆる「推しカップル」を作って「ボーイズラブ(別名:腐)」に展開させる、そんな手段。
その際にふと、原作を冒涜するのではないかという後ろ向きな考えがあった。
声を大にして言いたいのは、同人誌さえ買ったことのない「not オタク」が安易に手を出したら必ず火傷するということだ。たくさん調べてから参入せねば、必ず火傷する。
わたしが身を置いた「腐」の世界では、「推しカップルと彼らの立ち位置」が細かく分類されていた。
たとえば、ある男性キャラクターAとBがカップルで、しかも、Aが攻めでBが受けで、それは固定か固定でないかなどカップルひとつをとっても多種多様だ。そして、それは、わたしにとって、どうでもいいことだった。
どうでもいいというよりは、書いている途中で、そのキャラクターが暴走する場合もある。筆がすすむといえば聞こえはいいだろうか。書き手の想像を超えて、いきなりBがAを襲うこともあるだろう。だから、厳密に分類できなかった。おそらく、わたしみたいな人間は二次創作の「腐」を書いてはいけないし、参入してはいけない。
本気で「推しカップルの関係性」を愛していた
そして何より、一番驚いたのはここだ。
わたし以外の作家たちは、みな、本気だということだ。本気で「推しカップルの関係性」を愛していた。
これはあくまでわたしの感想だが、ここが100%合致するかしないかをみな非常に気にしているし、合致する人と、そのカップルの良さを互いに語ることで自身の存在意義さえ確認しているようにみえる。
キャラクター二人でひとつという感覚がないと、この界隈ではやっていけない。そこに楽しさを見いだせなかったわたしは、本当に申し訳ないと思う。140文字で呟くSNSを開設する際も、「仲間認識」されたくないのか、されたいのか十分検討する必要がある。
そんなこんなで、想定外のルールに辟易しているうち、わたしの愛するキャラクターが、徐々にキャラクターそのものに戻りつつあった…。
二次創作の小説はキャラクターから離れてみてなんぼ
また、個人的な意見になるが、誰でも書きたいときに書ける今こそ、若干の冷静さが売れるコツではないかと思う。
わたしが身を置いていた特定のジャンルでさえ、二次創作作品のポータルサイトでは何千、何万という小説が蓄積されていた。
原作(漫画)や展開されたアニメ、はたまた映画に触れて、感動して、惚れて、心が熱くなって、どうしようもなくなって表現したくなるのだろう。キャラクターに好意を抱いた、わたしも同じだ。
毎日、新たな二次創作小説がとめどなくアップされていた。
それを見て、ある日、決意したことがある。
今度また「二次創作」の小説を書くとするなら、愛してやまないキャラクターから距離を置いて書くことを意識してみたい、ということだ。
創作意欲が湧くということはすなわち、そのキャラが好きで好きで、究極的には自分とキャラの恋愛模様を表現したいという欲求が根底にある?のだと思う。
だから往々にしてアップされる小説はタイトルや冒頭を見るだけで、ぞくりと尻が、いや、歯が浮く…そんなものが多い気がする。
「なんとかのなんとかが優しく白い光をともない、なんとかがなんとかで、カタリ…となんとかのように音を立てた…」
「あなたのなんとかかんとか、それは、なんとかで、そう、揺れていた、なんとか、なんとかだから、そして…いまも…」
※あくまでも今、わたしが適当に書きました。イメージです。淡い色の文章を想像していただければと思います。
わたしは思う。
「あー、みんな、恋してんだなぁ。キャラクターに」。
そう、恋愛している。
わかる。中学校、あるいは高校、何かの拍子に恋に落ちたときのような、少女漫画のような世界。ため息と切なさと、それでいて、サクラの花の中にいるような儚く揺れる乙女心。
そんな自分が、今、表現しようとパソコンの前に座った。
よし、書くわよと。
そのまま筆を運ぶと、きっと、出だしはどうしてもこういうものになってしまうのだと思う。
それが悪いのではなく、そういう類のものが多いから、たまには違うものが読みたいなと思う。むしろ、書くときはキャラクターが嫌い、なくらいがちょうどいいのではないだろうか。
少し距離を置く。心で愛して、創作のときは、作者として、少しだけ後ろから客観的に見守るような感覚。
わたしはそれ以前に、腐に向いてさえなかったが。
ここまで書いてみて、困ったことがある。
ハマっていたはずのキャラクターが、すっかりキャラクターそのものになってしまった。二次創作にハマる前の、原作の中で生きているキャラクターに戻ってしまった。
二次創作の魅力は、原作にないキャラクターの、あんな顔やこんな顔が拝めることにある。
二次創作の沼から這い出してしまった今、愛していたキャラクターは、以前の好ましいキャラクターに立ち位置を変えてきた。
困った。
わたしの机の周りは、彼のグッズで溢れかえっているというのに。これをどうしろというのだろう。
そして何より、間もなく、先月受注した彼の、ウン十万もしたケープも届くというのに、どうしたものだろうか。
まあ、原作を愛しているんだ、私は。それでよし。
短い時間ではあったが、オタク活動は大変勉強になった。
やはり、何ごとにも下調べが必要だ。
これは、そんな話しである。
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