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礼拝への献身から回復は始まります

[ネヘミヤ記 11:22,23]

エルサレムにいるレビ人の監督者は、バニの子ウジであった。バニはハシャブヤの子、ハシャブヤはマタンヤの子、マタンヤはミカの子である。ウジはアサフの子孫の歌い手の一人で、神の宮の礼拝を指導していた。歌い手たちには王の命令が下っていて、日課が定められていた。

今日に聖書箇所
ネヘミヤ11:22〜36

今日もネヘミヤ記から恵みをいただいていきたいと思います。

城壁を再建したエルサレムの町に大きな犠牲を払って住む献身的な人たちが記録されていました。

それは神殿を守り、神殿で礼拝を捧げるためでしたが、ここではその礼拝と賛美を導くレビ人たちについてまず記されています。神殿では日課として礼拝と賛美が捧げられるようになったのです。

神殿の再建も城壁の再建もそのような絶えることのない礼拝と祈りの回復が目的だったのです。そして遂にそれが実現し始めたのです。その結果、どうなったのでしょうか?

ネヘミヤ記はユダの人々がユダの町々に住んだことが記されていますが、これらの町々はヨシュアの時代にユダ族に割り当てられた町々だったのです。

[ネヘミヤ記 11:25,26,27,28,29,30]

農地がある村々で、ユダの子孫の一部が住んだのは、キルヤテ・アルバとそれに属する村々、ディボンとそれに属する村々、エカブツェエルとその村々、ヨシュア、モラダ、ベテ・ペレテ、ハツァル・シュアル、ベエル・シェバとそれに属する村々、ツィクラグ、メコナとそれに属する村々、エン・リンモン、ツォルア、ヤルムテ、ザノアハ、アドラムとそれらに属する村々、ラキシュとその農地、アゼカとそれに属する村々であった。こうして彼らは、ベエル・シェバからヒノムの谷までの一帯に住みついた。

これらの地名を知っているユダ族の人たちは自分たちが長い間、失っていた地、乳と蜜の流れる約束の地に再び住むことができるようになったことを実感して、溢れる感謝を捧げたことでしょう。

ネヘミヤの時代から約千年も前、ヨシュアの時代にユダ族の先祖たちが受け継いだ地、町々に再び住むことができ、ユダ族は約束された地を取り戻すことができるようになったのです。

ユダヤ人たちはこれらの地名を聞いて約束を必ず果たされる主の真実を心から賛美したことでしょう。大きな犠牲と献身によってエルサレムの神殿での礼拝が回復されていった時に、失われていたと思っていた神の約束もまた再び成就していくこととなったのです。

ユダヤ人たちは自分たちの罪と不信仰のゆえに神に与えられた多くのものを失ってしまいました。しかし彼らが神殿と礼拝の回復のために献身した時に、神の祝福の約束は再び実現していくこととなったのです。

私たちもまた罪と弱さのゆえに多くのものを失ってしまいます。しかし私たちが主なる神への礼拝を回復していくならば、そこから全ての回復が始まり、私たちが主なる神への礼拝を何よりも価値あるものとして尊重していくなら、そこから主の祝福は流れ出していくのです。

主なる神への礼拝を忠実に捧げることは簡単なことではありません。そこには大きな犠牲が必要となり、深い献身が求められることが多くあるのです。しかしその犠牲と献身は決して無駄にならないのです。そのような犠牲と献身を伴う礼拝を捧げる霊と真による礼拝者たちが起こる時、そこに主なる神の約束は実現し、主なる神の祝福が注がれることになるからです。

全ての祝福は礼拝から始まり、全ての回復は礼拝の回復から始まるのです。信仰とは主に対する礼拝に最大限の価値を置くということなのです。

私たちの礼拝に対する心はどうなっているでしょうか?どのような礼拝を捧げているでしょうか?御言葉と聖霊さまによって光を照らしていただきたいと思います。

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