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自分なりの正しさによる滅亡

[列王記 第二 15:27,28,29,30]

ユダの王アザルヤの第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリアでイスラエルの王となり、二十年間、王であった。彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移した。そのとき、エラの子ホセアはレマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打ち殺して、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。

今日の聖書箇所
II列王雨雨15:27〜38

今日も列王記から恵みをいただいていきましょう。

北イスラエル18代目のペカと南ユダ11代目のヨタムの統治について記されています。

ペカは先代のペカフヤの侍従でしたが、クーデターを起こして王権を奪い取りました。ペカの次のホセアの時代に北イスラエルは滅亡してしまうので、ペカの時代は衰退と混乱が顕著になり、もう灯火が消えようとしている時代でした。

そんな暗い時代にペカはクーデターを起こしたのはもちろん自分の権力欲という肉の欲もあったのですが、自分なりに国の混乱を解決し、北イスラエルを建て直したいという使命感もあったのではないかと思います。

当時の北イスラエルにとって最大の脅威はアッシリアという帝国であったのでペカはアラムと反アッシリアの同盟を結ぶのです。

[列王記 第二 16:5]

そのころ、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来て、アハズを包囲したが、攻め切れなかった。

ペカとアラムの王レツィンは反アッシリア同盟に加わろうとしない南ユダを攻撃するのです。

ペカも北イスラエルを何とかしたいと知恵を使い、最大限の努力をしたのではないかと思います。国の危機に何もしないでアッシリアに屈従するペカフヤを倒し、敵対していたアラムと同盟を結び、何とかアッシリアに立ち向かおうとしたのです。

しかしそれらの努力は全て裏目に出てペカの時代に北イスラエルの多くの領土がアッシリアによって奪われ、民はアッシリアに捕囚されてしまうことになるのです。このアッシリアによる侵略は北イスラエルの滅亡の予告のような出来事でした。

ペカは主の目に悪である偶像崇拝を続けながら、自分の義を振りかざして国を何とかしようとしたのではないかと思います。自分の義に立って無力な王を取り除き、自分が王になり、自分に知恵に従ってアラムと同盟を結んで、国を立て直そうとしたのです。

しかしそこの決定的に欠けていたものがありました。それがイスラエルの神とその御言葉でした。神との関係、神の義が全くなかったのです。そしてそれらの自分の義による全ての努力は何も変えることはできず、かえって国の滅亡を早めただけでした。

神と無関係の自分の義、自分の目に正しく善いことによっては私たちは何も変えることはできないのです。自分の義では自分を救うことも、ましてや人を救うことなどとてもできないということを教えられるのではないでしょうか?

南ユダのヨタム王は主の目にかなうことを行ったと評価されています。しかしヨタムもまた南ユダの問題の根源であった「高き所」を取り除くことはしませんでした。

歴代誌にはヨタムの数々の功績が記録されています。

[歴代誌 第二 27:2,3,4,5,6]

彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。ただし、主の神殿に入ることはしなかった。民は依然として滅びに向かっていた。彼は主の宮の上の門を建てた。また、オフェルの城壁の上に多くのものを建てた。彼はユダの山地に町々を建て、森林地帯には城塞とやぐらを築いた。彼はアンモン人の王と戦い、彼らに打ち勝った。その年、アンモン人は銀百タラント、小麦一万コル、大麦一万コルを彼に贈った。アンモン人はこれだけのものを彼に納め、二年目も三年目も同じようにした。ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、自分の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。

ヨタムは神殿も修復し、国の防備を固め、アンモン人との戦いに勝利して国を豊かにしていきました。それらは確かに必要なことであり善いことでした。

しかしヨタムもまた南ユダに呪いをもたらしていた高き所での偶像崇拝は放置してしまったのです。

それに手をつけるなら民の心が離れてしまうと恐れたのかもしれません。高き所で偶像を礼拝していても一方では神殿で主なる神を礼拝しているからそれでいいと妥協してしまったのかもしれません。

しかしその高き所での偶像崇拝、ご利益信仰と混合宗教は南ユダ全体に霊的信仰的な堕落をもたらし、民を滅びに向かわせるものとなっていたのです。

妥協したり、容認したりしてはいけないことだったのです。その問題を何としても解決しなければならなかったのです。しかしヨタムはそれを放置してしまったのです。

高き所の問題は根深く、王であっても簡単には解決できるようなことではなかったのでしょう。ヨタムは主なる神もそのような難しい事情を分かってくれると思ったのかも知れません。また他のことで頑張りますから、神様頼みますとそんな思いだったのかも知れません、

しかしもっと大切な問題である「高き所」をもろもろの事情で放置した結果、主なる神の祝福と守りを受けることはできなくなり、南ユダも衰退と滅亡への道を進んでいくことになってしまったのです。

[列王記 第二 15:37]

そのころ、主はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。

南ユダも外敵の侵入、そして同族の北イスラエルとの戦いによって弱っていくのです。それらは高き所での偶像崇拝、ご利益宗教と混合宗教による堕落と呪いによるものでした。

私たちもまた主なる神の事情より自分の事情を優先させることが多いのではないでしょうか?そして神は愛だから私の事情を分かってくれるはずだと思い、これには従うことはできないがその代わりあれもします、これもしますと神と取引きしようとしてしまうことが多いのではないでしょうか?

しかし主なる神は私たち人間と取引きできるような御方ではないのです。このお方の御言葉は天地が滅びても決して変わることがないからです。

聖書の信仰とは自分の事情を主なる神に押し付けて取引きしようとすることではなく、自分の事情を乗り越えて主なる神の御言葉に従い、神の事情を優先させていくことなのです。それが神を第一とするということです。そしてそのような者に主なる神は限りない祝福と恵み、そして守りと導きを与えてくださるのです。そのような者に主はこのように約束してくださっているのです。

[詩篇 1:2,3]

主のおしえを喜びとし昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。

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