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暗黒の時にも

[列王記 第二 11:9,10,11,12]

百人隊の長たちは、すべて祭司エホヤダが命じたとおりに行った。彼らは、それぞれ自分の部下たちを、安息日に務めに当たる者も、安息日に務めに当たらない者も、祭司エホヤダのところに連れて来た。祭司は百人隊の長たちに、主の宮にあったダビデ王の槍と丸い小盾を与えた。近衛兵たちはそれぞれ武器を手にして、神殿の右側から神殿の左側まで、祭壇と神殿に向かって王の周りに立った。エホヤダは王の子を連れ出し、王冠をかぶらせ、さとしの書を渡した。こうして人々は彼を王と宣言し、彼に油を注ぎ、手をたたいて「王様万歳」と叫んだ。

今日の聖書箇所
II列王11:1〜12

今日も列王記から恵みをいただいていきましょう。

アハブとイゼベルの娘であるアタルヤは南ユダの王アハズヤの母でしたが、アハズヤ王がエフーによって殺されると自分の孫である王子たちを皆殺しにして自分が王になって南ユダを乗っ取ってしまうのです。

南ユダはダビデの子孫が治めていましたが、このアタルヤによってダビデ王朝が断絶の危機に直面するのです。アハブとイゼベルはバアル崇拝によって北イスラエルをめちゃくちゃにしてしまったのですが、その娘アタルヤは南ユダを同じくバアル崇拝によってめちゃくちゃにしてしまうのです😨

アハブとイゼベルそしてアタルヤによって北イスラエルにおいても南ユダにおいてもイスラエルの神、主なる神への信仰が徹底的に破壊され、それゆえに国全体が滅亡の危機を迎えることとなるのです。その背後にはサタンがいて神の民イスラエルとその信仰を根絶やしにしようとしているのです。

南ユダではアタルヤの虐殺を逃れた王子ヨアシュだけが神殿でかくまわれることとなりました。南ユダは霊的な暗黒期に入り、どこを見ても何一つ希望のない時代となってしまいます。

しかしそんな暗黒の時代の中でも祭司エホヤダは諦めることなく本来のあるべき姿を回復するために立ち上がるのです。王子ヨアシュを王位につけるために入念に準備をして主の時を待つのです。

アタルヤがユダの王となっていた時、南ユダはバアル礼拝で染まっていたことと思います。しかし祭司エホヤダは神殿で王子ヨアシュをかくまいながら、細々と主なる神への礼拝と祈りを捧げていたのではないかと思います。その祈りが答えられる見込みは全くない中でも諦めずに祈り続けていたのでしょう。それはダビデの子孫を断たないという主なる神の約束に基づく信仰であり祈りでした。

そして遂に主の時が来てヨアシュを王として本来の国の姿を取り戻すことができる時が来たのです。主なる神は祭司エホヤダの祈りに答えてくださったのです。

私たちの人生にも、また信仰生活にもそして教会の歩みにも霊的な暗黒期があります。どこを見ても何の希望もないような時があるものです。もう駄目だ、神なんていない、御言葉なんて実現しないと諦めたくなる時があるのです

そのような暗闇の時こそ私たちは神の御言葉の約束に立って礼拝と祈りを捧げなければなりません、神の御言葉こそ暗闇を照らす灯台であり、あるべき姿を教えてくれ、持つべき夢と幻を与えてくれるものだからです。

そのような御言葉の約束に立って礼拝と祈りを捧げる者たちがいるなら、やがて主はそれに答えて約束の御言葉を実現してくださるからです。私たちもまたどんなに暗い時代でもそれぞれの家庭で、置かれている町で、住んでいる国でエホヤダのように礼拝と祈りを捧げ続ける者となっていきたいと思います。

[ペテロの手紙 第二 1:19]

また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。

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