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自分中心という罠

[列王記 第二 15:18]

彼は主の目に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。

今日の聖書箇所
II列王15:13〜26

今日も列王記から恵みをいただいていきましょう。

北イスラエルの15代目の王シャルム、16代目のメナヘム、17代目のペカフヤの統治について記されています。

ヤロブアムニ世による繁栄の後に北イスラエルは急速に弱体化して滅亡への道を進んでいきます。王たちはクーデターによって短期間で頻繁に入れ替わり、国は荒れ果てていくのです。

ヤロブアムニ世による繁栄を体験した人たちにとっては全く想像もできないような衰退だったことと思います。しかしそこには明確な理由がありました。それは北イスラエルでは王たちがどれほど入れ替わっても変わることなく偶像崇拝の罪を犯し続けてきたことだったのです。

[列王記 第二 15:9,18,24,28]

彼は先祖たちがしたように、主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。
彼は主の目に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。
彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。
彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。

なぜ北イスラエルの王も民もこれほど偶像崇拝にのめり込んでいったのでしょうか?それは偶像は自分の思い通りに願いをかなえ、自分の思い通りに動いてくれる神々だったからです。

偶像崇拝というのは結局は自分崇拝であり、自分中心、人間中心に生きていくということだったのです。北イスラエルを建国したネバテのヤロブアムはエルサレムの神殿で民が礼拝をしなくてもいいように、金の子牛を作り、それがイスラエルをエジプトから救い出した神々だと言い出したのです。

それは王にとっても民にとってもとても都合が良く、便利なことでした。自分たちの好きなように礼拝できたからです。しかしイスラエルの神、主はそのような自分たちの好き勝手な礼拝ではなく、ご自分が定められた御言葉に従って礼拝することを求めていたのです。その第一が偶像を作ってはならないということでした。

また偶像の神は王と民が何をしても許して、受け入れてくれる神々でした。しかしイスラエルの神は人生と生活についてこれをするべき、これはしていけないという律法を定めていたのです。それは人々にとっては面倒くさく、煩わしいものだったことと思います。北イスラエルの王も民もそのような律法を自分たちが好きなように生きることができるように全て変えてしまっていたのです。ヤロブアム一世が金の子牛を据えて、もう律法なんて関係ない、自分たちが好きなように礼拝して、好きなように生きればいいのだ、神もそれを認めてくださる、受け入れてくださるとなった時に民は大喜びしたのではないかと思います。

偶像崇拝とは自分中心主義であり人間中心主義なのです。しかしそれは呪いでした。なぜなら人間は創造主が定めた御言葉に従って生きる時に生きるものとなり、その御言葉に反するなら死ぬことになるからです。それが聖書が終始一貫して教えているいのちの法則であり、いのちの法だからです。

[創世記 2:16,17]

神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

ここに出てくる王たちはどんなに国が衰退しても没落してもどこまでも自分中心、人間中心でした。メナヘムという王は暴力に頼り、金の力に頼り、問題を解決しようとしました。

[列王記 第二 15:16,19,20]

そのとき、メナヘムはティルツァから出て、ティフサフとその住民、その領地を討った。彼らが城門を開かなかったので、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂いた。アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。

暴力によって反対派を粛清し、またアッシリアによって国が滅ぼされそうになった時には金の力でそれを解決、アッシリアという強国に頼ろうとしたのです。しかしその解決は一時的でやがて北イスラエルは皮肉にもそのアッシリアによって滅ぼされることになるのです。

ここに出てくる王たちも民もどうして自分たちがこのように衰退し、混乱し、乱れてしまっているか、その本当の原因が何も分からないまま権力や金の力で何とかしようともがいているのです。そして何をしてもますます苦しくなり、追い詰められていくのでした。

北イスラエルの衰退と滅亡の根本原因は偶像崇拝、つまり自分中心主義、人間中心主義によって神の御言葉を否定したことにあったのです。そこから呪いが入り込み何をしても滅亡への流れを変えることができなくなったのです。

私たちもまた何をしても状況が悪くなっていくばかりのような時があり、どんなに頑張っても何もうまくいかないような時があります。そんな時は自分の中心がどこにあるかを見直していくべき時ではないでしょうか?

アダムが罪を犯してしまった時に神はこう言われています。

[創世記 3:17,18,19]

また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」

神とその御言葉が私たちの中心にないならば何をしても、どんなに努力をしても茨とあざみが生えてきて、やがて全てが砂の城のように崩れていくと言っているのです。

癒しと回復、祝福はただ自分中心、人間中心から神中心、御言葉中心へと悔い改め、転換していくことから始まる、それが聖書の一貫したメッセージであることを忘れないようにしたいものです。

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