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洞窟の中をさまよう時

[詩篇 57:7,8]

神よ 私の心は揺るぎません。私の心は揺るぎません。私は歌い ほめ歌います。私のたましいよ 目を覚ませ。琴よ 竪琴よ 目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。

今日の聖書箇所
詩篇57:1〜11

今日は詩篇57篇から恵みをいただいていきましょう。

この詩篇はダビデがサウルに妬まれ追われて洞窟をさまよい逃げていた状況を背景としています。

このような状況がいつまで続くのかも分からず、どうしたらこの状況から逃れ出ることができるかも分からなかったのです。

ダビデは暗い洞窟をさまよっていましたが、ダビデの心も真っ暗闇の中をさまよっているような状況だったと思います。人間的に予想できることは最悪のこと、サウルに殺されると言うことしかなかったのではないかと思います。

ダビデは祈りを通してそのような暗闇の中から救い出されていったのです。ダビデはどのように祈ったのではないでしょうか?

第一にダビデは心を定めました。

ダビデは私の心は揺るぎませんと告白しています。状況を見て、人を見て、自分を見るならばどうなるのか?どうなってしまうのか?とどこまでも心は揺れ動いてしまったと思います。

ダビデはそうすることをやめて神は必ず助けてくださる、神は必ず天使たちを送って救い出してくださることを信じることを決めたのです。

[詩篇 57:2,3]

私は いと高き方 神を呼び求めます。私のために すべてを成し遂げてくださる神を。神は 天から助けを送って 私を救い私を踏みつける者どもを辱められます。 セラ 神は 恵みとまことを送ってくださいます。

信じるとは決めると言うことであり、疑うことをやめると言うことでもあります。祈りが満ちて時にそのような確信が与えられ、また御言葉が与えられる時にそうすることができるようになっていきます。それが信仰に立つと言うことです。

どんなに祈っても疑いや恐れから出ている祈りは信仰の祈りとはなりません。信仰の祈りでなければ神の力と恵みを受け取ることが難しくなり、神の御業が現れることも難しくなってしまいます。

私たちも祈ったならば心を決めることが大切です。目の前の状況、環境を見て信じたり、疑ったりすることをやめなければなりません。心を定めるのです。主は必ず救ってくださる、助けてくださる、勝利させてくださると信じることを決めるのです。祈りながらもいつまでも心が揺らいでグラグラしているなら何一つ恵みを受けることができないまま、苦しみに押しつぶされてしまうことになってしまうからです。

第二にダビデはその信仰を賛美で表現し、告白していきました。

目の前の状況は何も変わらなかったのですが、ダビデは主を賛美し、その救いを感謝したのです。

[詩篇 57:9]

主よ 私は国々の民の間で あなたに感謝しもろもろの国民の間で あなたをほめ歌います。

これが信仰による賛美であり、信仰による感謝です。状況、環境は何も変わらなかったのですが、与えられる救いを先どりして感謝し、救ってくださる主を先どりして賛美したのです。

このような信仰による賛美と感謝には霊的な世界を造り変えていく大きな力があり、霊的な戦いでの強力な武器になるのです。

なぜなら悪魔の唯一の目的は神を恨ませ、神を罵らせることだからです。自ら信仰を捨てさせ、神との関係を自ら断ち切るように仕向けていくことだからです。

悪魔はさまざまな問題と苦しみを自ら私たちに与えておきながら、その全てを神のせいだと騙し、神を恨ませ、神を罵るように誘惑してくるのです。神が悪いのだと私たちに言わせることができるなら悪魔の目的は達成されたのです。

私たちが決して忘れてはいけないことは神はどんな時もどんな状況でも善いお方であると言うことなのです。

GOD is good all the time!

そして悪魔はどんな時もどんな状況においても悪い者なのです。悪魔はそれを反対にしようとするのです。

神がどんな時も善いお方であることを信じる者だけがどんな時も賛美することができ、神はどんな状況でも善いお方であることを信じる者だけがどんな状況でも感謝することができるのです。

私たちが苦しみと悩みのただ中でこの信仰に立つことを決めて神を賛美し、神に感謝を捧げるなら、悪魔は敗北し、私たちは霊的に勝利することができるのです。

真っ暗闇の洞窟の中でこそ心を定めて賛美と感謝の声を上げていきたいと思います。

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