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鯖田美幸プロフィール紹介

私は、適応障害改善トレーナーの鯖田美幸です。
 私が適応障害改善トレーナーをやっている理由は、私自身が適応障害で10年近くも悩み苦しみ、悶々とした日々を過ごしてきたからです。
 適応障害とは、新しい環境(引越し就学就職転職結婚離婚など)に慣れず、生活環境が大きく変わった際に発症しやすいと言われています。今あなたは、あなたの置かれた環境にうまく適応することができず、さまざまな心身の症状があらわれていませんか。
 私の初期症状は、二人の娘を保育園に預け、新しい職場で働き始めた頃で、「心がキューンと締め付けられる」「涙がはらはらこぼれる」「無力感」などでした。この時は他部署に移ることによって、症状は治まりました。
 それから10年後、娘たちの進学費用が入用になり転職し、慣れずに1~2年で転職を繰り返し、どんどん適応障害は悪化していきました。この頃から精神科に通院するようになりました。この時の症状は「イライラ」「ドキドキ」「憂鬱」「泣くことが増える」「無気力」「不安」「めまい」「頭痛」「暴飲暴食」「便秘と下痢を繰り返す」「孤独感」「焦燥感」「自分に自信がない」「ネガティブ思考」「自暴自棄」「過呼吸を繰り返す」「一人で遠くに行けない」など…様々な不調に悩まされ、家事もままならなくなりました。死んでいるか生きているかわからないような状態にまで陥ったこともあり、この時は、気付けば実家にいて、ある朝犬の散歩に誘われ…美しい自然の中で徐々に人間の感情を取り戻していくことができました。
数か月後、また新たな仕事を何とか始めるのですが…家事がやはりできず部屋でふさぎ込んだり実家へ帰ることが多くなり…、とうとう離婚となりました。
離婚後、小さなワンルームのアパートで一人暮らしを始めました。
糸が切れたようにだらだらゴロゴロ…、一切自炊せずカップラーメン菓子パンおやつなどを食べていました。休みの日もボーっと過ごすのが殆どでしたが、たまに友達(心の病で苦しんでいた)とランチするのが唯一の楽しみでした。しかしコロナ禍に突入し、友達とも会えなくなり…、気付けばぶくぶく太り、頭痛や肩こり、高血圧、腰痛…様々な体の不調や、ネガティブ思考はどんどんひどくなっていきました。他にも「思考能力の低下」「依存」「自分の意思がない」「やりたいことがない」「意欲がわかない」「しんどいことはやりたくない」「自分が自分でない」「自分がわからない」などという状態でした。
 そんな時、ダイエット目的で始めたファスティング(断食)によって、ダイエットに成功しただけでなく、これら全ての症状が改善され、適応障害までもが完治していたのです。生まれ変わった私は今、「人生ってこんなに楽しくて幸せなものだったのか…!」と、生きている喜びをひしひしと感じながら新たな人生を歩んでいます。困難な状況の時にこそ、逆の発想思考の転換で乗り越えていけるようになり、一人でもどんどんいろんなところへ出かけ、旅先で知らない人にも積極的に尋ねたりたりできるようになりました。超ポジティブ人間に生まれ変わった私を見て、両親には「ほんまに変わったなあ!」といつも驚かれています。
 『体と心は表裏一体』ということをご存知でしょうか。そうです、まずは体を健康にすれば、おのずと心も元気になるのです。まず、真の健康体を手に入れましょう。そうすれば、あなたの真の心が蘇ります。
 そして、私が適応障害改善トレーナーをやっている大きな理由が、実はもう一つあります。それは、私がこの奇跡のような方法に出会った同時期に、コロナ禍前まで一緒にランチを楽しんでいた友人が自死していたという衝撃の事実を目の当たりにしたことです。この知らせを聞いたのは、私がドクターから「治療終了やね」と告げられてすぐのことでした。「もう少し早くこの方法に出会っていたら○○を救えたのに…‼」自分の不甲斐なさにどうしようもなく腹が立ち、居ても立っても居られない気持ちでいっぱいになりました。このような悲しくて辛い出来事はもう二度と起こってほしくありません。だから私は、心の病で悩み苦しんでいる方々や、その周りで接しておられるご家族や友人のお力になりたいと強く思ったのです。
 辛い過去を思い出しながら文章にして、知らない人々に公開しているなんて、以前の私が知ったら腰を抜かすでしょうね。(笑)もちろん全く恥ずかしくないと言えば嘘になりますが、その気持ちより私は今、同じ人間として生きていて悩み苦しんでいる人に、一度しかない人生の素晴らしさを知ってもらいたいのです。誰もがとっても簡単に幸せになれるのです。難しいことを考える必要はなかったのです。
 心の病気は経験した者にしか理解できません。でも誰にでもなりうる病気です。しかし、心は見えないのでなかなか気づいてもらえません。
どうかちょっとした変化に蓋をして我慢し続けないでください。「誰に話しても分かってもらえない」「誰かに相談するのは恥ずかしい」とあきらめていませんか?「あれ?なんだか最近毎日が楽しくないな」と思ったら心のサインです。そのサインを感じている方は是非お気軽にご相談ください。もやもやした心の叫びを私に全部ぶちまけてください!まずは一緒に泣いて、これからはその涙を笑い涙に変えていきましょう。
 
 今回はそんな私のストーリーをご紹介します。
是非、読んでいただけると嬉しいです。

小さかった頃の出来事

 1971年2月22日兵庫県丹波市に生まれる。

 おとなしく引っ込み思案だったが、歌うことが大好きで幼稚園では人一倍大きな口で歌ったり、自然の中でのびのびと遊んでいた。幼稚園の先生がオルガンを弾いているのを見てピアノを習い始める。

 小学校では野菜が苦手で給食は最後まで残って食べていた。3年生の時、発表会の最中に舞台裏でおしっこが我慢しきれなくなり、舞台袖から客席の横を全校生徒が見ている中、おしっこを漏らしながらトイレまで走り抜け、そのままトイレにこもるという強烈な事件を起こし、あまりの恥ずかしさでなかなか立ち直れなかった。しかし、高学年になり面白い担任の先生の影響で、明るくなり、その先生が始めた少女バレーに入る。
 中学生でも引き続きバレー部に入るが、一年目の夏に膝に激痛が走り、病院をいくつか受診するが原因はわからず、練習もあまり参加できなくなりレギュラーどころか補欠にもなれず、辛い思いをしたがなんとかマネージャーとして部に残る。
 高校では美術部に入り、やってみたかった油絵に取り組み、かけもちで茶道部にも入る。勉強より部活を楽しんでいた。

故郷を離れる


 特技(ピアノ)や好きなこと(絵や歌)を生かせる幼稚園や保育園の先生の資格が取れる短大へ進み、寮生活をしながら声楽華道の習い事を楽しみ、休みの日は単発バイトで色々な職(店頭ハム販売工場で商品梱包事務イベント受付、など)も経験した。夏休みには自動車免許を取ったり、母の勤めている地元の会社で自動車部品の組み立てのアルバイトをした。保育園や幼稚園での実習知的障害児施設での泊まり込みの実習も受けて2年間を過ごす。

寮生活を共にした仲間
仲良し5人

 短大を卒業してからはアパートで一人暮らしをしながら、幼稚園で働き始める。数か月後、肺炎になり診断書を提出し10日間休職する。残業をして帰ってからもレポート作成など睡眠時間はほとんどなく…体を壊すのも当然だった。でも子供たちと過ごす時間は、大変だけど楽しく毎日パワーをもらえ、同期の先生同士で支えあったりして過ごすことができた。長期夏休みには、先生たちと毎年海外旅行にも行った。

グアムでジェットスキー

 幼稚園で働きだして4年目の1月、阪神大震災を体験する。と同時期に中絶を経験し…、初めて体験する恐怖や深い悲しみから故郷に帰りたいと思うようになり、退職を申し出、一年後に退職する。故郷にもどり、いろいろな習い事(フラワーアレンジメント・着付け・料理教室・エアロビ)を始める。そして懐かしい同級生にあったりする中で、元夫と出逢う。保育園で働き始めていたが、数か月後妊娠がわかり、退職して、結婚し隣の京都府福知山市で結婚生活がスタートする。

結婚・出産


 一人目の娘を壮絶な長時間の陣痛の末、出産する。

長女

 幼稚園に勤務していた時は大勢の子供たちとの関りだったが、一人の子供との関りをじっくり持てる理想の保育ができる喜びを味わいとても幸せだった。

長女のお気に入りの写真(お腹には次女がいる)

 二人目が生まれてからは、一人目とは打って変わって、毎晩の夜泣きが始まり二人の子育てに奮闘する。

次女のお宮参りにて

 小児科へ子供を連れて行った時に、優しく声をかけ、微笑みかけてくれる受付のお姉さんを見て、病院で働きたいと思うようになる。医療事務の通信教育費を稼ぐため、夜22時から翌朝3時までのファミリーレストランのウェイトレスのバイトを始める。が、1歳の次女が熱を出した時にはさすがに元夫からバイトを辞めるように言われ、数か月で辞め、内職(磁気ネックレス作成)をしながら通信教育の勉強を始める。

総合病院で働く


 無事に医療事務の資格を取り、総合病院で総合案内兼電話交換として、娘たちを保育園に預けながら週二日から働き始める。しかし、娘たちの病気でシフトを急遽代わってもらわなければならなかったり、慣れない仕事人間関係のことなど…(この時に適応障害の初期症状が出る)、上司に相談したところ、丁度、初心再来窓口兼外来カルテ係に一人空きが出たためそちらに移れることになる。
 週二日8時間勤務から当初希望していた朝9時前~15時くらいまでの毎日勤務になり、病院が建て替わるまで約5年間同じ部署で務めた。初めてのぎっくり腰を経験したのはこの頃で、整形受診するもレントゲンを撮らず、ぎっくり腰が起こるたびに整体に通った。病院の建物が老朽化していたため、新しい病院が隣に完成し、それに伴い医療事務体制も大きく変わることになった。紙カルテは電子カルテに変わり、新体制が整うまでは皆慣れずてんてこ舞いの日々が続いた(この時も適応障害の初期症状が出る)。そんな時、ぎっくり腰の起きる頻度が多くなりどうにもこうにも辛くなり、再度整形外科を受診し今度はレントゲンとMRIを撮ってもらい、【第5腰椎分離滑り症】(別名:疲労骨折)と診断される。「手術は無理なので、筋肉をつけるしかない。」とドクターから言われ、腰の体操の仕方を記した紙をもらいするようになって、ぎっくり腰をあまり起こさなくなった。そして、1年後には再来窓口に変わり、そのまた1年後には書類窓口で約2年、最後は病棟クラーク等を務めた。今後子供たちの進学費用で多額のお金が必要になるので、パートから正社員になるが、給料はほぼパートの時と変わらないこともあって、11年務めた病院を転職することを決意する。

オータムパーティー(10年勤続表彰式)

精神科に通院しながら転職を繰り返す日々


 転職先の小さな個人病院では、家族経営で昔からのやり方や薬も院内処方など…、なかなか馴染めず、特に今まで携わったことのなかった会計入力は、病院独自の細かなルールがあり、習得するのに時間がかかり、また患者さんに薬を渡す際に薬の確認をして渡すという責任の重大性に押しつぶされそうになった。精神科に通院し始めたのはこの頃からだった。1年足らずで辞めることになり、次は心機一転、全く違う業種の仕事に挑戦する。
 ブライダル・宴会・パーティ・イベント・法要・法事などの、総合式場のフロント業務の募集があり、家から近いこともあり、働き始める。病院と違って元気な方が来られるので明るい気分であいさつができ、笑顔で満足され帰って行かれると嬉しくなった。併設されているカフェや、サービスの応援など走り回り、スーツを11号から7号へ買い替えるほどスリムになった。この頃、休みの日に過呼吸を頻繁に起こすようになる。1年経った頃サービス業務への異動を命じられ、腰痛も抱えていた私にはとても無理だと思い、退職する。
 次は市内の会社の事務員として事務職に携わるが…、こちらも家族ぐるみの小さな会社で合わず…、何か月かたったある日の仕事帰り、買い物に立ち寄ったスーパーの駐車場でひどい過呼吸になり全身硬直状態になり、救急車で搬送される。
 気付けば実家にいて、抜け殻状態。ある日の朝、義理の妹に誘われ犬のコタロウの散歩に行き、美しい故郷の山々の風景を見て「綺麗!」という感情が芽生え、その日から人間らしい感情を取り戻していく。

コタロウ
故郷の風景


 数か月後、今度は児童館で働き始める。3か月間(1月~3月)だけの勤務とのことでリハビリにもなると元夫や娘からも薦められ、自分のペースで子供たちとも少し関われたりして穏やかに過ごせた。
 しかし、4月になり、保育士の資格を持っているから保育園で働いてほしいと言われ、二十数年ぶりに保育の現場に携わることになる。3歳児の副担任をすることになったが、目が回る忙しさと、人間関係の難しさに直面し、体と心が悲鳴を上げ数か月で退職する。
 そして今度は知人から声を掛けられ、小さな会社の一般事務員として働き始める。その知人が、適応障害であることを理解してくれていたので、ゆっくり少しずつ仕事を教えてもらえ、わからないことも丁寧に教えてもらえる環境の中で、しっかりと確実に仕事がこなせるようになっていき、少しはやりがいも感じられるようになった。
 しかし、家事などは不十分で、部屋にこもりがちになり、たびたび実家に帰りそこから仕事に行くことも増えていく。そして、娘二人が家から出てそれぞれ暮らし始め、とうとう離婚が成立する。

離婚後


 ワンルームのアパートで独り暮らしを始め、会社との往復のみで、自炊も全くせず暇さえあればだらだらゴロゴロ過ごしていた。唯一の楽しみは、たまに、同じ心の病を持つ高校・短大の同級生である友人Kとランチをしたり、近くの美術館やお寺へ紅葉を見に行ったりすることだった。心を病んでいる者同士なので心の拠り所となり安心してお互いの悩みや愚痴、たわいもないことをおしゃべりした。

 しかし、コロナ禍に入り、出かけなくなり…、どんどん太り産後と同じ体重まで増加。さすがにやばいと思い、慌てて自己流でダイエットに取り組むが2㎏しか減らない。そんな時YouTubeの広告動画で尾崎ゆりさんの“ファスティング”に出会う。

一般財団日本ファスティング協会理事長の尾崎ゆりさんと酵素ドリンク

 意を決して始めたファスティングを始めて5か月が経った頃、精神科で「実は先生、もう薬全然飲んでないんです」と言うと、ドクターから「ほな、終了やね」と言われ、適応障害が完治し通院終了となる。ドクターから「終了」と告げられてすぐは、信じられない気持ちと拍子抜けしたみたいな感覚だったが、病院を出るとき「もうここに通わなくていいんだ…!」とじわじわと喜びが込み上げてきた。
 約半年でマイナス10キロのダイエットに成功しただけでなく、頻繁に起きていた頭痛はなくなり、繰り返していた便秘や下痢は毎日快便になり、基礎体温は35℃から36℃以上になり、高血圧も安定し、ぱさぱさの髪の毛は張りのある髪の毛になり、ネガティブ思考からポジティブ思考に変わり、趣味は寝ることからウォーキングに変わり…、まだまだ挙げればきりがないほどの変化が起きた。


 体も心もすっきりした私は、このダイエット方法を同じ悩みのある方に伝えたいと思い、おうちサロンを始めようと決意する。ファスティングセラピストの資格も取得し、早速2DKのアパートに引越し、大忙し。
 そんな時、一本の電話が鳴り、友人K の自死を知る。どうしようもない深い悲しみ後悔に押しつぶされそうになりながら、サロン準備に躍起になる。
 しかし、気付けばお金が底をつき、土日に単発バイト(栗のイガ向きや選別、栗の皮に切り込み入れ、焼き栗店頭販売、クリーニング工場でチラシの袋詰めなど)を始める。5年間働いてきて、何も趣味もなく、お金は家賃や食費、公共料金くらいにしか使ってないのにおかしい…。
 ここでやっと、仕事を紹介してくれた知人との金銭トラブルに気付き、家族も巻き込み全てのお金を取り戻せた時には、安堵の涙が出た。そしてこの時、本当に最後の最後に信頼を置けるのは家族だということを肝に銘じた。

故郷で暮らし始める


 たった数か月でアパート兼サロンを引き払い、実家で両親との暮らしが始まる。ハローワークでビジネスパソコン訓練校の募集があり、2か月間通い、ワードとエクセル3級の試験を受け合格し、丹波県民局の就職支援事務員(パート事務員)として働き始める。
 そしてある時、一般財団法人日本ファスティング協会の理事長である尾崎ゆりさんと、谷けいじさんが対談され、谷先生を知る。
 遺伝子検査(肥満の原因がわかる)や、腰痛があってもできる筋トレ方法を受けるため、『リボーン90日間プログラム』に参加し取り組み、更にウエスト回りがシュッと引き締まり、長い階段も息切れせずに登り切ることができるようになり、腰痛も調子よく、何より体を動かすことの喜びを知り、ジッとしていると動きたくなる衝動に駆られるようになり、気付けばいつでもどこでもトイレでもストレッチ筋トレをするようになっていた。

ビフォー         アフター
  ビフォー        アフター


 そして更に、引き続き【健康】についてTWA養成講座で深く学び、TWA(トータルウェルネスアドバイザー)の資格を取得した。

谷けいじさんとTWA3期メンバー


谷けいじさんとTWA3期のゆかいな仲間たち

 私の今までのすべての人生経験を注ぎながら、「適応障害改善トレーナー」として、苦しみ悩んでいる方々を救っていきたいと活動を始めた。
 現在、丹波県民局篠山土地改良事務所の会計年度職員(週4日のパート事務員)として勤務する傍ら、「健康ダイエットsalonにじ🌈」のオーナーでもある。

最後に


 改めて人生を振り返り、本当にたくさんのことに挑戦してきていた自分を知り、驚きました。
 これだけ転職を繰り返してきた私の経歴を見て、あきれておられるかもしれません。また、たくさんのことに興味を持ち短期間で辞めているのを「飽き性」と思われる方もいるかもしれません。確かに長くやり続けることは誰にでもできることではなく素晴らしいことだと思います。ただ、そのことが自分にとって本当にやりたいことで、やりがいをもってやっておられるのならいいでしょう。もし、やってみて本当にやりたくないことだった場合や、やりたくなくなった時、我慢し続けることが必ずしも良いとは限らない場合があると私は思います。実際にやってみないと分からないことはたくさんあります。そこで自分がどうしたいかは自分が決めればいいのです。たった一度きりの自分の人生なんですから…‼
 この世の中にはまだまだ知らない職業がたくさんあります。これだけたくさんのことを経験してきたからこそ、やっと本当にやりがいのあるやりたいと思えるこの【適応障害改善トレーナー】の仕事に出会えました。私は医者や心理カウンセラーではありませんが、適応障害を発症し克服した体験者です。
 適応障害の苦しみや辛さは、実際になった者にしか分かりません。周りに理解してもらえないもどかしさや、自分で自分をコントロールできないどうしようもない歯がゆさを理解することができます。そしてあなたのが、本来の健康な状態であり続けるよう導きます。あなたを苦しめてきた悪いものを体の中から撃退し、良いものを取り入れていきましょう。そうすれば、どんどん軽くスッキリとしてきます。
本当のあなたを…あなたの人生を取り戻しましょう!

適応障害改善トレーナー 鯖田美幸の公式ラインはこちら👇



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