見出し画像

アイドルを推している界隈に片足を突っ込んでみて感じたこと

珍しいことに、アイドルにハマっています

まだ短い期間しか生きてはいませんが、今までアイドルにここまでハマるということがなかったので、自分としても少し驚いています

というのも、日々供給されるYouTubeやTikTokの動画、Instagramの投稿を欠かさず確認し、さらには有料のファンクラブにまで入ってしまう始末ですから、周りにもびっくりされたものです

そんな私も、おそらく例に漏れず、「推し」に関する情報を追うために、Twitterのアカウントを開設したのですが、そこで見るつぶやきの数々は、知らない言葉や慣習に溢れていて、時にん?と思うようなものもあり、少し文章にして書き残したくなりました。

同じ志、目的を持つ人間がインターネットを通じて容易に集まることのできるこの時代、私は今までアイドルや俳優などの芸能人を本格的に追いかけるという経験をしてきておらず、趣味でつながるといった経験にも乏しかったので、ある種最前線の若者文化から隔絶されて生きてきました(私もいちおう若者です)

そんな人間の目に映る新鮮な世界への新鮮な反応をとくとご覧あれ

前置きは程々にしておいて、本題に入りましょう
まずは界隈で流通している用語についてです
まだ身を置いて日が浅く、精通しているというわけでもないので、誤解を生んでしまうことがあるかもしれませんが、私の見解ということでどうぞよろしく
また、界隈の文化を否定する、貶めるような意図もありません
文化というのは自然に醸成されるもので、極論良いも悪いもないと思います
外様の戯言だとお考えください

解釈一致(不一致)、解釈違い

個人的にはとても気持ちの悪い言葉です。初見で震えました。
この違和感はなんでしょうか

さすがに見慣れたのか、字面だけではもうそこまで何か思うということはありませんが、YouTubeのコメント欄やTwitterのつぶやきなどで文章中に使われているのを見ると、うっとなります

四字熟語感が気持ち悪いのかな

例えば曲や衣装のコンセプトがとても似合っているメンバーに対して、その人の思い描いていた理想とのギャップがほとんどない時に使われていますかね

上手く言語化するのが難しいですが、お前の解釈なんて知らんよ的な感情が溢れるのかもしれません、そうだったら自分の器の狭さを恥じます

解釈という言葉を使っているのにも個人的に違和感があります、大げさ感があって

コンセプト消化

うーん、これもあまり好きではない言葉です

曲などを通じてグループに与えられたコンセプト(爽やか、かわいい、かっこいいなど)を歌い方やダンスに落とし込み、それを表現することが特に上手なメンバーに対して言われていることが多いように感じます
(例 〇〇はコンセプト消化能力が高い)

なんですかね、長ったらしい説明を一言にまとめているのがしっくりこないのか、ちゃんと言えよと思います

もう慣れてしまっているというのもあって、具体的にこうすればいいのになというのもあまり浮かびません、そのうち私も染まっていくのでしょうか

表情管理

うーん
なんかもうやめてくれって思います
使ってる言葉が痛々しいというか、やはり大げさな感じがするような気がします
大それた四文字熟語にする必要ないでしょこれ
まぁ代替案を示せと言われたら、やっぱり表情は管理するものなのかな(洗脳済)

特に思いつきませんが、もう少し文章にして表現するのはいかがでしょう
〇〇のクールな表情いいね、素敵
笑顔と真顔の切り替えが上手


うーん、なんかしっくりきませんね
「表情管理」は表情のあらゆる方向への変化とその技術の巧みさを全て包括する魔法の言葉なのかもしれません


フォロセ

これの意味最初わからなくてフォロワーとセ〇〇スだと思ってましたすみません

フォロワー整理ですね

いちいちこれをお知らせする意味も分かりません、勝手にやればいいのにと思います

挨拶止まりの薄い関係の人間と、「濃い絡み」をしている人間とを区別するためにやっているのでしょうが、関係性がそこまでないなら勝手に切ってもいいじゃんと思います

返信欄を見ていてもおそらくこれは、あえて宣言することによって仲の良い友達との関係をより強固なものにするための儀式のようなものではないかと思います

不特定多数に自分の発信を見てもらいたいという欲求と、一方で関わりを持つのは自分と仲の良い人間だけにしておきたいという閉鎖性が、定期的に人間をふるいにかけて関係性を相互に確認するという文化が生まれた理由なのではないかと書いていて思いました。考察キモい

あとは、安定さんとか、忘れましたがいろいろありますね

常に繋がりを確認せずにはいられないのかも
わかる!気がする
人がいるのに自分は孤独って寂しいもんね

お次は文化や慣習についてです、大げさですが

同担拒否(文化?)

これ面白いですよね

自分と同じもの好きな人を見るのが嫌って
ちょっとわかるかもしれないけど、何が嫌なのかな

グッズやライブにお金をどれだけ使ってるかとか、「貢ぎ」の程度の違いを見るのが嫌なのかな、まぁ理由はともあれ同族に対して対抗心を持つのは普通のことですよね

しかしこれも四字熟語化しているのが個人的に気持ち悪く感じる要因なのかもしれないです(言葉の響き的に)
書いてて別にもう違和感なく受け入れてるなって思いました
もうだいぶ有名な言葉ですからね

でも

くだらないことを大層な表現にすな!とは思います
四字熟語にすると大げさ感でるの分かってくれるかなぁ

(同じ)〇〇推しの人はちょっとご遠慮してます、とかだったら多分何も思わないと思います

短く言ったら同担拒否になるか、まあいいや

フォローの前の挨拶文化

これ勝手にフォローしちゃいけないんですね、私も失礼のないように結構気を使いました、私が知っているところだけかもしれませんが

フォローという正規の方法はそれ以前の手続きがないため相手に土足で踏み込むような直接的な行為だという認識にだんだんと置き換わっていくのでしょうね

だからこそ前置きとして、自己紹介のつぶやき(タグ)を作って、互いにいいねし合って挨拶するみたいなクッションが置かれるのだろうと思います

検索避け

これ個人的に好きな文化です。なんて言ったって名前やグループが無茶苦茶な漢字やカタカナ、絵文字で置き換わってるのが面白いです。

あと、検索避けはメンバーやグループへの愚痴に使われていることが多いと思うんですが(普通に見つからないように使ってる場合ももちろんある)、今まで好きだったであろうアイドルをなんらかの理由で嫌いになったファンの方たちの、愛憎入り混じる想いの数々を目にすると心動かされる時があります

重過ぎる愛の符号が一旦変わってしまうと抑えられない憎しみに変わるのね、、(絶対値)

大好きだったはずの推しの気に入らない言動、態度への憎しみが、頓珍漢な言葉に置き換わっているのです。

その真剣さと字面のおかしさのマリアージュは私の大の好物で、自分から検索避けワードで検索して元気をもらったりしています。

よく、好きの反対は無関心とか言うけれど、まさにそういうことだと思います
興味がなかったらわざわざそんなことしないからね、かわいい

同じファンへの攻撃性(じゃあTwitterやるなよ)

ファン一同はアイドルの前では対等(個人的な関係がある場合は除く)な存在であるはずなのに、その勝手な熱量だけで周りに対して攻撃的になるのは、側から見ていて面白くもあり、不愉快でもあります

あまりに大き過ぎる愛ゆえに、周りとは違うということを誇示したくなる気持ちも大いに理解できます。
多分人間ってそういうものだし普通のことだと思う

しかし、やはりそれが度を超えたものになると、もうちょっと遠慮してくださいなと感じます。

ファン以外はイベントに来るなと言ってみたり、過度なお気持ち表明をしてみたり
言葉遣いが荒かったりするのも見ていて気持ちのいいものではありませんね

まだあるかもしれませんが、とりあえずこのくらいかな

まとめ

書き下してみて思うのが、人が集まるとなかなか厄介ですね
仕方のないことだと思いますが、匿名であるがゆえに攻撃性や排他性が増している様子が伺えます

グループの一員になるには、相応の手続きを踏まなければいけません

それが良いか悪いかについては分かりません

私の感想を書かせていただきました

用語が気持ち悪いとかなんだとか言ってますが、今まで知らなかったことを知れて、個人的には楽しいです
流通している言葉の響きがね、個人的に受け付けないことがたまにあるってだけです

ただ、若者は昭和の回りくどい文化や慣習を批判し「合理化」に向かう前に、自分たちが界隈で今やっていることも実質的には同じことだとまず認識した方がいいのかもしれません

過去の悪習を批判している層がこのような界隈の人間であると仮定しての話になりますが

なぜ最後こんな話をしたかというと、令和になって、というか昭和から段々と時間が経ってきて、よく昔ながらのめんどくさい人間関係の維持の仕方などが槍玉に挙がることが多くなって来たような気がします
飲みニケーションとか社員旅行とかうんたらかんたら

このような過去の慣習も、何もかも最初は理由があって生まれてきたものだと思います。

そうするしかなかったとか、そうした方が物事が円滑に進んだとか、ある種必然のようなものでしょう、無から突然何かが誕生することは考えにくいですから

しかし、誕生の現場を目撃していない人間は、コミュニケーション技術の発展や、単純な時間の経過から、異なる価値観を持っていることが多いです

違った見方をするのは当たり前でしょう、むしろ何十年何百年も同じだったらそれはそれで気持ち悪い

なので(?)、現在進行形で若者(と呼ばれる人たち)が作り上げてるTwitter 文化なども、後の世代からは非難されるかも知れませんしね、まぁ人間の本質ってそんなに変わらないのかも知れないねっていうことを書いておきたかったってだけです

以上、書いていたら眠くなってきました
乱文失礼


あと良かったら気軽にスキとかフォローしてくださるととてもうれしいです

過去noteも見てくれるとさらにうれしいです

内容に関してどう思ってくれていてもいいので、誰かが見てくれたという事実、私はそれだけでうれしい!

追記

読み返してて思い出しました

某男性アイドルオタクの友達が言ってました

どれだけ現場に行っているか、グッズを買っているかで負けるのが嫌だと

それって誰かと競ってるのって聞いたらそうじゃないって、単純に自分の中で納得いかないって言ってました

熱量がすごいですよね、さすがfanatic、オタクなんかより狂信者って自称した方がいいよ

比喩的にアイドル文化は宗教だと言われることがありますが、まさに

いずれ腰まで浸かるかも知れない沼を目の前にしながら、追記します
自戒を込めて


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?