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結核で入院して200万円以上得した話


そのころバイトだったけど、なぜか突然社会保険に入ろうと決心し会社にお願いした。手取りは減るよと言われたが、失業保険もあり安心して仕事ができることに満足していた。

今思えば酷い労働環境で一日おきの24時間勤務、仮眠はあったが疲労は相当なもので、さらに誰かが欠勤すると自動的に若かった自分が穴埋めに使われ72時間連続勤務となることもたびたびだった。

明けの日に道を歩いていると妙に疲れて、ちょっとだけ休もうとガードレールに座ってしまうことが多くなり、電車でも立っているのが辛くいつも座る場所を探してしまう。咳とか出るわけではなく、自分の体の異変には気づかなかった。疲れてるだけだと思っていた。

社会保険に入ったので正社員同様に健康診断を受ける。
相変わらず疲労困憊の毎日だったが、再検査の連絡が入った。
健康診断でのレントゲン写真は小さいものなので、もう一度大きなレントゲン写真を撮るため池袋のクリニックで診断を受けた。
「肺に大きな穴が開いてるね。これは長くなるかもしれないね」
男の先生に言われたが、なんのことやらさっぱりで実感がわかない。はぁ、と答えるだけだった。
大きなレントゲン写真を持ち、結核の専門である府中病院まで行き診断を受けると入院ということになった。
肺結核と診断されると病は気からなのか、急に体が重く感じ本当にきつくなってきた。
「ああ病気なんだな」

5匹いる捨て子のハムスターたちは実家や友人に頼んで預かってもらった。



自分には無縁のことだ思っていた「入院」。子供のころ友達の「入院」に憧れていた。大きな苦痛があるわけでもなく理想的な入院だと思った。ナースステーションから一番遠い4人部屋。
体はよほどダメージを受けていたのか毎日昼夜問わず寝まくり。
3種類の抗生物質を毎日服用すると数日でみるみる元気になった。

しかし弱った肺にばい菌が入ったとかで3日間40度の熱が続き咳が止まらない。睡眠時間はほぼゼロ。深夜もずっと咳。朝まで咳。肺の中で炭酸飲料が噴き出すみたいになにかがこみ上げてきて咳が連発し痰がからむ。激痛とともにやっと出た痰は緑色でボンドのようにへばりつく。毎日牛乳瓶1本くらいの痰が出て肺が潰れそうだ。就寝時間も咳が止まらないのだから同室の人間はたまらない。でも文句を言う人はいなかった。もう死ぬのだろうと思ったらしい。
やっと先生の治療を受け、抗生物質を点滴するとあっという間に回復。ていうかなんで3日間も放っておかれたのだろうか。高齢者なら死んでるだろう。
点滴するときもチューブに空気が入っているし、いい加減だった。空気が腕に入る瞬間「ブヒブヒヒッヒヒ」と豚声みたいな音がした。

もっと苦痛だったのは気管支鏡検査だ。肺の中にカメラを突っ込んで病気の組織を採取する。ありえないでしょ、肺にカメラを突っ込むなんて。
筋肉弛緩剤2本注射されたんだけど効きすぎたのか血圧が下がりすぎて検査室まで運んでくれない。担当医から怒りの催促がありやっと車いすに乗って検査室へ。筋肉弛緩剤のせいで自分の首も支えられない。体を固定されて胃カメラみたいなのを喉に力づくで突っ込む。小さなゴミや唾が気管支に入っただけでも人間は咳き込むのにあの黒くてぶっといのが入るわけがなくパニック状態。生き埋めになった人の気持ちがわかる。このままでは死んでしまう、100万円払うから止めてほしいと言いたかったが声が出せない。
高齢者なら死んでると思う。
ところが気管支鏡検査を何の苦痛もなく済ましてしまう人も多く、陰性のため数日で退院した同室の青年も何も感じなかったそうだ。

結核はライ病ほどではないが差別迫害の歴史が当然あり、その過程で労働組合のようなものができ細々と続いていた。その時の組合長は痩せたおじいさんだった。薬が効かず何年も入院していて退院の予定もないのだがナースにセクハラしまくりでいたって元気そうだ。
組合長には子分みたいなおじさんが二人いていつも一緒だ。後でわかったが子分の内の一人は結核でもなんでもなく陰性なのに検査入院したまま何か月(何年?)もずっと居座っている。
なぜかというと、生命保険から出る入院給付金や健保から出る傷病手当金がもらえるからだ。
同室のあるおじさんは生命保険4つ入ってるので1日5万円以上ガッポリ入ってくる。働くより収入が多いと喜んでいた。羨ましい。他のおじさん方もそこまでではなくとも似たり寄ったりで、自分の場合も母親が入れた生命保険で日に1万円だ。はじめは1か月の入院と言われたが、結局3か月となり約90万円の利益となる。入院治療費はほぼゼロ。

さらに会社員などで健保加入者ならば傷病手当金が出て給料の6割が支給される。退院後もしばらくは働ける体力ではないので、結局12か月分傷病手当金をもらった。失業保険は加入期間が短すぎてもらえなかったが、直前に社会保険に入ったのは本当に幸運というか、あの時は直感が働いた。
入院給付金90万円+傷病手当金140万円。すべて無税。さらに休職中の会社から解決金40万円を受け取った。

結核は退院後もしばらく通院しなければならない。
待合室で結核病棟にいた顔見知りの女性を見つけ世間話をすると、組合長は最近亡くなったそうだよと教えてくれた。
薬が効かなけれは結核は未だに恐ろしい病気だ。高齢者だと死にます。

子分のおじさんは結局強制退院させられたが、退院が決まった日「なんでだよう、ふざけるなよう」と子供のようにいつまでもオイオイ泣いていた。こんな奴がいるんだ。びっくりして呆れた。



(ずいぶん昔のことなので検査治療法などはだいぶ進歩しているはずです)




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