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無断欠勤そのまま失踪、父に捜索願い出され精神科に入院。2日間の放浪日記

 精神科作業療法士として入職し4か月が過ぎたころ、その日も普通に6時過ぎに家を出て車で通勤していた。
始業は8時だが職場がかなり遠かったため渋滞を避けるため早めに出ていた。
※この先ショッキングな内容を淡々と書いてるので気分を害する可能性あります。ご注意を。



走行中職場に近づくにつれ段々と気分が悪くなり涙が止まらない。
過呼吸になり、胸が苦しかった。
「このまま仕事行くくらいなら死のう♪」
そう思って職場を通り過ぎ、そのまま少し離れた山を目指した。



あのときの高揚感すごかった、やっと解放される…って



行き道でロープでも買って山の中で首吊ろうと思った。
ずっと「あなたは死になさい」ってずっと言われてる感じがした。

気付いたら他県まで来ていた。普段高速乗れないのに高速乗ってた。
ここらへんの記憶曖昧です。

でも死ぬ前に、家族と行った海にもう一度行きたいと思い、その場からかなり離れた場所まで進む。

もうずいぶんと車を走らせ、疲れたし、何か食べたっけ・・・?記憶にない。
海の近くのラブホテルに一人で泊まった。最後だし贅沢したかった。
ゆっくりお風呂に入って、のんびりした。
携帯は電源を切ったままにしてた。



次の日、早朝から海に行き、ちょうど海水浴の時期だったため駐車場代をおじさんに払い、車を止めてぼーっと海を眺めた。


そしてよしもういいかなと思い、ロープを買いにスーパーを探しに車を走らせた。



すると反対車線にパトカーが2台ほど、白バイが通過した。
なにかあったのかなと人事に思った。

パトカーがサイレンを鳴らし、白バイの警察官が私の運転席をノックした。

「あー捕まった、もうちょっとだったのに。」

どうやら父が捜索願を出したらしい。

そこからいろいろ事情聴取され、家に戻った。

あのとき迎えに来た父の涙をこらえる顔、
普段人前で感情をあまり出さない父。
(その後も何回か希死念慮が襲ってきたけど
そのたびにあの顔を思い出すようにしてる。)

家に戻って母は笑顔でおかえりって迎え入れてくれた。

けどなぜか周りに置いてある先端が細いもの(お箸)、ひも状のもの(充電器とか)
それらが全部自殺に使えるもの、それを使って死ねって言われているようで怖かった。頭の中はずっと死でいっぱい。
それを両親に伝えると即精神科に緊急入院。
しかもそこの病院、自分が学生のときにお世話になった実習先だった。
まさか患者としてまた来るなんて・・・(笑)


入院生活は退屈だったけど、ゆっくりと安心できる個室で、素敵な主治医の先生、看護師さんとの出会いもあり、過ごしやすかった。
ずっとご飯の味がしなかったのに、毎食の病院食が美味しくてご飯が楽しみになった。
もちろんOT介入はしないでもらった。(色々思い出して気分が悪かった)
段々と希死念慮もなくなり、1週間ほどで退院できた。


その後は自宅療養、薬物療法は不眠時と不穏時のみ。
かなりの頻度で服用してたな。
あとは日々のスケジュールをつけて気分の点数(-100~100点)で表し、
ストレスと感情の管理をした。


周りの人にいっぱい迷惑かけたこと、(職場や学校、家族、彼氏)

自分が心配される存在であること、

このときはまだそれがよくわかってなかった。

なんでみんなこんな私を心配するの?生きてる価値なんてないのに。死なせてよ、なんで死なせてくれないの?楽にさせてよって。

今も思えば本当に頭おかしいこと言ってますね。既にもう病的に侵されていたのでしょうね…


ここまで読んでくださりありがとうございました。



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