![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/123514421/rectangle_large_type_2_f89cbc02139516b655a70dc0a312e0b2.png?width=800)
miss you 霧は晴れ虹が見える Mr.Children 解読と感想
前置き
この記事は下のリンクの優しい驚きの案内を見た人か理解している人向けです。リンク先を見てからこの記事を見てください。
次に行くまでのこの4行の文自体には全く意味がないのですが。
場繋ぎで埋めてるだけの文章です。
好きな曲でも書こうかと思ったけど選びたくないので。
フェイクを載せておきます。
ここから記事が始まります。
①が彼らMr.Childrenバンド目線または一般的
②が最愛の人を追ってその世界に旅立とうとする人
③がマイノリティの人
の解釈です。
黄昏と積み木
miss youの中では最も騙しが無い曲かなぁ。
比較しなきゃ見えてこない
幸せって難しいな
高望みしないでいれば
成長も遠ざかってく
ここと
小さな願いを
一緒に積み上げよう
背伸びしなくても明日を
見渡せる高さまで
ここが所謂普通のLove Songからすれば不穏。
恋人2人だけの幸福を追求するなら比較する必要はない。
老いてくだけの2人でも幸せは感じられる。
背伸びしないと明日が見渡せないのは寝て起きれば明日になってる若い人からすると不思議に感じられるはず。
最初の感想としては仄仄とした音楽に不穏が残る歌詞で唖然としたのが正直な所。物語の導入としては十分な楽曲ですね。
deja-vu
冒頭の誘導と突然の何処から出てきたってブレーキとアクセルに面食らう曲。
夢で見た記憶に
導かれるように
はじめてのはずなのに
どこか懐かしくて
ここが曲名のdeja-vuになってるんだろうけど前曲の黄昏と積み木が夢の中の記憶って誘導にもなってる。でもこの歌詞がこの曲の他の部分に掛かってるようには思えないので不思議でした。③日付が変わって土曜日になってます。君と何処行こうかって約束した当日ですね。
君の生真面目さと
それ故の危うさは
悟られないようにしてた
僕の一面みたい
続く歌詞のこれも唐突で意味不明でしたね。「僕」もそうですけど「君」の人物像が見えてこないと理解できませんでした。
追記『この部分も君と僕を比較してdeja-vuしてるのかもしれない?ちょっと難解ですね』
嵐の日のように
互いを支え合おう
これも黄昏と積み木のように不穏が漂うんですよね。
ブレーキとアクセルはEverythingの「友達のままで」を意識してると理解すると許せました。
感想としては好きな曲です。何回か泣きましたし思わず歌ってしまう。
おはよう
これは別記事で書いてます。この曲に関しては世間の感想と自分の感想が乖離しすぎていて感情的になって狂ってます。
別記事ではかなり文句付けてるように思えるんですけど、評価はしてはいるんです。でも実際多分、アルバムに入ってない状態で単体で出されていたら一番ボロクソに叩いて酷評してました。一番騙しのテクニックが使われてる曲だと思います。ライブで聴いても、つまらなそうに真顔でいる自信があります。日常を唄っているが故に違和感が凄すぎた。「僕」が「君」を大事にしてるのだけはよく理解出来るんですけど。多分miss youツアー以外だとミスチルももう歌わないと思う。
おはよう
目覚めるとまだ君は そこにいて
ここが解釈が別れる所だと思う。そこが①隣か近くか遠くか②「心の中」か位牌等か③仕事場や帰り道の選択をしないといけない。
君が生きている状態で遠くを選ぶとストーカーの「僕」が「君」を誘拐してきて監禁する歌になるんでしょうけど、そんな歌をMr.Childrenが作る理由がない。まして歩きで犯人の家に来て抵抗もしない君を想像出来無いし、Fifty'smapで同じような仲間が世界に結構いるような展開になるのは無理がありすぎる。でもそれくらいに①の解釈は上のリンクの記事と合わせて私にはどこか変《へん》って違和感を感じる。
②で「君」が死んでる設定で聴くと本当に寂しくなって仕方ない曲です。辛すぎて泣きますし歌ってしまう。これが感想かなぁ。
勿論③のヤレヤレだぜって感じの「おはよう」も頭では理解できるんですけど感情移入はし難いですね。今日は「僕」が「君」と何処にも行けなそうなのが君が酔いすぎてて確定してますし…。
I MISS YOU
この曲からダブルミーニング、トリプルミーニング連発ですね。「おはよう」とは違う方向の作詞能力に圧倒される。
普通に聴くと50代シンガーの苦悩の独白なんですけど、
自殺を躊躇する人と、世間に認めてもらえないマイノリティの苦悩と重なる部分を上手く融合させた歌詞です。マジで凄い。
寝苦しい夜 汗ばんで
張り付いたTシャツのように
悪いイメージが離れないぜ
ここで夜を過ごしたように聴こえて別の日のよう思えるんですけど実際は比喩表現なので「おはよう」の続きで同じ日です。
淀んだ川があったって
飛び越えた その度ごとに
でも その意味さえ
わからなくなるね
淀んだ川が①彼らが歩んできた年月、②孤独で寂しい夜か、③裁判制度やマイノリティが歩んできた道のりかでトリプルミーニングになってます。
I miss you
繰り返すフレーズ
迷って試して信じて疑って
「おはよう」からリピートで戻ると「おはよう」で繰り返していた(おはよう)がこの繰り返すフレーズにピッタリとハマるんですね。なのでこのアルバムだけを繰り返して聴いている人にはヒントになってます。こういうヒントも入れながら、かつ歌詞として逸脱しないように作られている。凄いなぁ。おはようは10回、I miss youは12回繰り返されてます。③歌詞のI miss you自体も同性婚等を世間に向かって求めているフレーズになってます。
二十歳前想像してたより
20年も長生きしちまった
ここも①桜井氏と彼らバンド自身と②最愛の人が亡くなった時期と③LGBTQ+の人の自殺念慮とトリプルミーニングですね。次のFifty'smapもそうですけど、これがピッタリ時期的に重なるまで何年も練った歌詞なのかもしれないですね。十年でも足りないかもしれない…。
それが僕らしくて
殺したいくらい嫌いです
これ自体もトリプルミーニングになってるんですけど、これ自体は誰しも少なからず思う事だと思うんですね。超絶ポジティブシンキングの人以外は。miss youツアーのライブでこの曲を演奏しないのは桜井氏自身はこの歌詞の部分を現地まで足を運んでくれるファンに向けては歌いたくなかったんじゃないかな?
感想としてはmiss youに相応しいI MISS YOUで4曲目に持ってくるには最高ですね!(アレ?1曲目か…)
Fifty'smap~おとなの地図
これ感想書く必要あります?彼ららしくて良い曲ですよね。
孤独と連帯を基調として良い歌詞です。
窓から空気吸って
ここだけちょっと無理やり感ないかとは思いました。でも次の「青いリンゴ」の強い風と結び付けようとする細工なのかなと思えます。そして「風〜The wind knows how I feel〜」の
ビルの谷間 走り抜けて
風は空に 舞い上がる
へと繋がっていきます。
この曲は中身の歌詞よりもタイトルの方のダブルミーニングや
バイクで闇蹴散らし
窓ガラス叩き割って
で尾崎豊を想起させたりMVでくるみのMVを使ったりしていてオッサンをターゲットにしている事の方が工夫されていますね。
青いリンゴ
①初見は正直エッチな歌詞だなと思いました。
青いリンゴが主人公(桜井氏)より若い異性だと仮定して見てしまったんです。
その思い込みの呪縛が解けても主人公(桜井氏)より若い才能や活力を羨んでいるようにも思えるんですね。
③結局「アート=神の見えざる手」の解釈が完了した後でないと素直に受け入れられなかったですね。いえ、嘘を言いました。
その後でも「あー女性器持ち同士の行為のことかー」って思ってしまった…。
とにかく「リンゴ」のイメージが掴めなかったです。
②ナイフの件からHEROを連想してHEROから浜田省吾を連想して浜田省吾とリンゴを合わせて検索して「てがみ」に辿り着くっていう。なかなかにありそうでありえないんですけど。「てがみ」を聴いてみるとピッタリで納得してしまうって言う。
独りぼっちの夜は あなたの好きな リンゴを齧り
甘酸っぱい記憶 紡ぎ出すよ 両手広げ
両手広げで背伸びして応えるまで合ってるんです。オッサン同士の歌を使った文通か?恋文か?って変な嫉妬すら覚えそうになります。
本当に解釈には苦労しました。唐突に出てくる強い風も意味が分からなかったし。
③現在の解釈はこうです。Fifty'smapでコーヒー飲んでますよね。あそこから場面はほぼ動いてないんです。景色を眺めに窓の傍に行き窓を開けて空気を吸い強い風に背中を押されて背筋が伸びるんです。
くじけそうなっていた青いリンゴの意味の「失敗を恐れることなく困難な現実に立ち向かう挑戦心」をもう一度取り戻すんですね。
強い風が吹いて
今僕の背中を押した
背伸びをして答える
また季節は巡る
そう何度でも
何度も季節は巡る
普通「季節は巡る」って書かれると現在から未来に向かってだと思うんですけど、これは現在から過去に向かって、また過去から現在、そして現在から未来に向かってが混在してるんだと思うんです。
この曲の意味は一言で言えば「初心に帰る」って簡単な言葉で済むんでしょうけれど。
ここに30年前の「風〜The wind knows how I feel〜」を想起させる事で
風は知ってるんだ 本当の事
The wind knows how I feel
彼らのデビュー前の曲の本当の事を知ってる「風」が悟られないようにしていた一面を持つマイノリティの人の背中を押すと思うと熱く込み上げる物があります。
Are you sleeping well without me?
明け方 エチュード弾きたくなって
何度もレミレドで躓いて
スコアを睨んで指で辿る
繰り返し
間違って
ここまで読んだ人は分かってると思うんですけど私には音楽的知識はほぼ無いです。なのでレミレドを半音下げるとI MISS YOUのI miss youの音になるって教えてもらってよかったなって思ってます。ホントに合ってるかすら分かりませんが(笑)
この歌詞がI miss youと繋がってるって事は「おはよう」の(おはよう)とも繋がってるって事ですね。この事だけでもう泣けてきます。
①だと君が恋しいのは伝わりますが単純に酷い寝不足の歌でしかないんですよね。
②だと
教えて欲しい
Are you sleeping well?
答えて欲しい
Are you sleeping well without me?
と
ナイフを持った奴が暴れ出したら
僕ならどんな行動をとるか
なんて考えてみるんだ
愛する人がいる
その体温を感じていたい
そう いつまでも
いつまでも この身体中で
が繋がって暴力的な孤独と絶望が襲ってくるんです。
HEROでは
例えば誰か一人の命と
引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
と唄っていました。それが君がこの世にいない事で逆転するんです。他の人を守って自分の身体が傷ついてその場に倒れる事になっても君の元に逝けるならそれもアリなんじゃないかって…。
涙腺崩壊します。
③明け方になってるのでここで日付が変わって日曜日ですね。「おはよう」では「君」を迎えに行きますがこの歌の「僕」はそうならないんですね。「僕」が他に行かないといけない所があるのか。それとも「君」に他の用事があるのか。2人の関係に変化があったのか。想像をかき立てられます。
NTR要素も出てきますね…。
LOST
構成としてはFifty'smapと一緒ですね。
3通りの解釈の共通する「負け、喪失、停滞」を基調とした歌詞になってます。
5ちゃんねるでも言ってた人がいたんですけれど
放った光さえ
歪んで闇に消えてった
取り戻せもしないで
また今日も立ち尽くしている
が音楽的に気持ち良くないんですよね。「立ち尽くしている」が「立ち尽くしてんだ」等の方が音楽としては韻を踏んでいて気持ち良いんですね。
じゃあなんで「いる」なのかって言うとアルバム全体でもこの曲としても自分が選んだ選択って意味が強いのは違うんですよね。
「んだ」だと自ら選んだって意味が強くなってしまう。
あえて音楽的な気持ち悪さを「いる」に残す事で自分が選んだ選択で無いって意味を強調してるんです。
感想はFifty'smapと一緒ですね。単純に良い曲は余計な説明は不要でしょう。
でも思い浮かんだことがあるのでちょっと。
ライブでは観客に手拍子させているらしいんです。この手拍子に聞こえるのは裁判で敗訴した時の記者会見のカメラ音を意識して作られた音だと私は思うんです。そこのカメラを通して一般の人に届くので観客に手拍子させるのは間違ってはいないんですけど、結構えげつないなって思います。コロナ禍もあって観客とのコミュニケーションの一環としては良い事なのでしょうけれど。
アート=神の見えざる手
世間的には一番の問題作で、この曲や暗いボヤキが優しい驚きだと思ってる人がまだまだ大多数だと思うのですけど、歌詞としても音の構成としても面白い曲です。
私はイヤホンで聴いてます。すると他の曲は気持ち良さを追求してるんですけどこの曲は音の気持ち悪さを意識させるんです。
音が左右の耳を行き来するんです。
サビで桜井氏も男声と女声を使い分けてます。
この曲の歌詞の真価の「カミングアウト」を理解すると「左右」と「男女」の間を意識させる音の作りになってると理解出来ます。
歌詞もダブルミーニングだらけですね。
僕は人を殺めました
直接 手を汚しちゃいないけれど
しかし神様を信じています
そう全ては神様の見えざる手
僕に悪魔の真似をさせたのも
ある意味 神様の見えざる手
多分①設定だとほぼ意味が分からない歌詞なんですよね。
この後も①設定だとほぼ説明不能なのでここでしますけど「お前らこんな変な歌詞を書かせるまで俺を追い込むな」くらいの解釈しかできないと思います。これ以上は他の人の感想でも見てくださいとしか…。
②だと桜井氏が「僕」を自殺させたと取れたり、「僕」が「君」の命を救えなかった事を後悔していると解釈できますね。
そしてアダム・スミスの国富論の神の見えざる手として市場原理に沿って需要があるから仕方なく供給していると言い訳しています。
③だとクイーンのボヘミアン・ラプソディのように自分を殺したように感じるんでしょうね。
注目したいのは神様の見えざる手と書かれている事です
タイトルでは「神の見えざる手」と書いてあるのに此処では「神様の見えざる手」と書いてあるんですね。
音だけで言えば「様」が無くても歌えるはずなんです。
ここもFifty'smapと一緒でタイトルでミスリードしてるんです。
望まれたことに答えたいだけ
刺激が足りないって みんな言うから
「酷い」とか「汚い」とか「卑怯」とか
その通り それも想定内です
望まれたことに答えたいだけ
ワクワクしたいって 君が言うから
「酷い」とか「汚ねぇ」とか「卑怯」とか
嬉しさに顔が歪みます
歌詞の並びとしてこれは②だと合ってるんですけど
③だと
安直にセックスを匂わせて
倫理 道徳に波風を立てて
普遍的なものを嘲笑って
僕のアートは完成に近づく
大衆を安い刺激で釣って
国家権力に歯向かってみせて
半端もんの代弁者になる時
僕のアートは完成致します
の後じゃないと意味が通らないんですよね。アートを使って世間に訴えているって事が分かり難くなってます。
トラウマの部分は説明も感想も言いようがないので飛ばしますか。
とりあえず桜井氏には謝ってもらいましょう。エロ魔人だ。
これを女性に説明させる分かって無いフリする男性とか想像すると居た堪れなくなりますね。それはそれで面白そうとか私も想像するので人のこと言えない位にはエロいですが。まぁ気付かせる仕組みと記事は絶対に必要だったのでは?…。今の所私の記事位しか見当たらないんだけど…。5ちゃんねるのネタバレも私だしなぁ…。
彼女は恋人でした いや今も
彼女も分かってくれています
僕が殴ったり蹴ったりするのも
全部愛するが故なのだと
彼女もトラウマを抱えていました
面倒臭いから割愛しますが
どこか常識で測れない
僕達のこの恋をご理解下さい
これ①は勿論②もほぼ僕が酷い奴ってだけなんですけど
③だとどういう事なのか良く分からなかったので検索したら中々に闇が深かったです。偏見を持ちたくないし、これを読んでる人に持たせたくもないので説明もしませんが。でもそういう情報をどこで桜井氏は仕入れたのかは気になりますね。どう考えてもモデルになった「僕」と「君」がいるように思えます。こういう歌詞で良いかって許可も取ってるんでしょうか?
安直にセックスを匂わせて
倫理 道徳に波風を立てて
普遍的なものを嘲笑って
僕のアートは完成に近づく
大衆を安い刺激で釣って
国家権力に歯向かってみせて
半端もんの代弁者になる時
僕のアートは完成致します
もう一度この歌詞に戻りますが全部理解した後で①の桜井氏目線で見ると桜井氏が半端もんの代弁者になりアートが完成しますね。でもまだまだ世間の理解が足りているようには思えない。私が以前の記事を書いても拡散されるわけでもなくスキもあまり押されない。私自身の書き方や伝え方が悪いのもあるのでしょうけど。いや出来れば誰かに言われるのではなく自身で辿り着いて欲しいので拡散もしにくいし、衝撃が強すぎてスキ押せないし、受け入れたくないって人もいるのでしょう?そもそもgoogle検索で上の方に来たの読んで満足する人多数なんでしょう?私もどうしたら良いのか全く分からない。多分同じような苦悩を桜井氏やモデルになったであろう僕も持っているのでしょうね。
雨の日のパレード
雨音に聞こえるような音で始まりますよね。
それが心音(心臓の音)のようにも聞こえるんです。
途中それが早くなって最後になると違う音色になって静かに消えていくんですね。
もう感想はこれ位にしたくなってしまう。
泣いてますよ?
えぇ…涙は出なくてもね。
心がね…。
歌詞自体は全部が3視点で違う見方が出来るようになってますね。
私は違う記事で下のように書いたんですね。リンクは貼っておきますけど見なくていいです。
『11/21日追記【名古屋初日のライブで幻聴の
また今日も 夢の橋を渡り追いかけるよ
の夢の橋を虹の橋と唄ってたと言うレポに接しました。こういう所はやっぱり彼らは凄い、流石だと思わされてしまいます。】』
X(旧Twitter)で虹の橋って検索すると結構な数の人が飼っていたペットや家族が他界した事を虹の橋を渡ったって言及してるんですね。これもダブルミーニングになってたんですね。
雨の日のパレード
ずぶ濡れで
でも心は踊る
風邪なんかひいたって
きっと後になって
素敵な笑い話
①だとコロナ禍もあってそう受け取りたい人はその印象を引きずるんでしょうね。私個人は素敵な笑い話にはどうしてもなりそうもないので全く関係ないと思うんです。そもそもまだ完全に終わった話ではないので…残念ですけど。
②だと死の辛さと天国の君に会える喜びが読み取れます。
③は比喩表現になるのかな。若しくは本当に雨の中のレインボーパレードか。心理状況の説明としても間違ってはいない気もしますが想像するしかないですね。
悲惨な別れも
いがみ合って消えてった恋も
どこかのオッサンの青春のように
美談色に染まるさ
①これもコロナ禍の話と思う人いるんだろうなぁ。どう転んでも美談にはならないと思うんですけど。そう思いたい人もいるんでしょうね。オヤジのボヤキか思い出話として捉えるならそのままですね。
②だと「僕」が私達に語り掛けているようにも思えます。または「僕」自身の走馬灯の一種かもしれないですね。
③これも私には想像するしかないかなぁ。マイノリティの人の狭い交際範囲の世界だとせっかく出合った人が元カレ、元カノの元カレ、元カノって事もあるんでしょうね…。
不安ひとつない
そんな人いない
どんな完全に思えても
①その通りとしか。これもコロナ禍と繋がるのか…
②死への恐怖ですね…
③東京レインボーパレードを主宰する特定非営利活動法人 東京レインボープライドのサイトには
「特定非営利活動法人 東京レインボープライド」は、「らしく、たのしく、ほこらしく」をモットーに、性的指向および性自認にかかわらず、すべての人が、より自分らしく誇りをもって、前向きに生きていくことができるHappy!な社会の実現をめざしています。
とあるのですべての人宛てって事をここで唄ってるんですね。
見上げればRainbow
みんな笑ってる映像
メモリいっぱい貯め込んでたい
①だと未来への希望的な何かでしょうか?あとDocumentary filmのような感じですね。
②虹の橋を潜ってか、渡ってか、あの世へ逝く過程ですね…。思い出を失いたくないとも取れます。ここで音で表現されている鼓動が一旦早くなってます…。
③レインボーパレードでスマホやカメラで写真撮りまくってますね。
感想書きようがないのでちょっと次は飛ばして
見上げればRainbow
君と過ごす日々をスライドショー
何度でもリピートで
①は上と同じ
②も上と同じで走馬灯なんですけど、この後に煌びやかな音が流れてあぁ昇天したんだって…わかります・・・。
③も上と同じ
雨の日のパレード
どんな場面だって
素敵な笑い話
僕らが一緒なら
ここは全部の視点で「僕らが一緒なら」が凄く良いですよね。
②だとここだけで本当に救われた気になります。あぁ「君」と会えたんだって…。
改めてみるとこの一曲だけで3視点で捉え方が違い過ぎて…。
感心通り越して呆れてくる。何なんだろこれ…。
三点リーダー嫌いな人ゴメンなさいね。でも打ちたくなる気持ちはわかってください。
Party is over
miss you屈指の名曲キタ!
これは②でしか輝かない曲と言って良いんじゃないかな。
勿論3通りの解釈は出来るけど。する意味が見出せない。
曲に聞き入ってしまって作業が全く進まない。
ジミヘンのギターの件の後の燃え尽きてないって意味でブーンって音。演奏後の衣擦れとその後の録音を止めるような音。ギターのみで構成された曲だから感じる寂しさと残る余韻。
歌詞の意味をそのまま取れば過去に囚われずに前を向いて歩こうって事なんだけど明らかに未練たらたら。どんなに足掻いても私達は過去の私達と別人にはなれないので当前としても。それでも音楽を止めて席を立ち上がり次へと。前進する力と迷いが混在しています。
①だと多分つまらない曲って思う人も多いのかなぁ。Mr.Childrenも老けたなぁって感じるのでしょうか。過去の栄光を捨て去りたいと思ってると捉えられるのかも。
この曲は「君」と「僕」の捉え方が結構難しいです。
過去に留まって
現在《いま》を御座成って
生きていくなんて 愚か者の愚行
もう席を立って帰ろう
でも何処へ向かえばいい?
燃え上れもせずに
燻ってる炎を 感じるのに
②だと愚か者は最愛の人を追って自殺した「僕」です。
③でも愚か者は「僕」なんですけど、これにはLGBTQ+の権利を認めない人も入ってるとともとれます。
あと一応言っておくと愚か者でも善行する事はあるので愚か者の愚行って二重に愚かと言う事で強い非難になってます。
「御座成って」は御座成りにしてを短くしてますね。意味は分かるので良いんじゃないですかね。
検索するとジミヘンのギターは実際はほとんど燃えてなかったみたいですね。
多分そうだ初めから
君が書いたシナリオの通り
キャリーオーバーできず
未来へ何も残せやしない
心の中まで空っぽさ
①だとそんなことないよ。Mr.Childrenは偉大で数々の名曲や逸話は未来へと語り継がれ歌われ続けるって思う所でしょうか。
②だと「君が書いたシナリオ」が桜井氏が書いたシナリオ通りに感情を揺さぶられていた私にはしてやられたーって感じで完敗しながら乾杯したくなってましたね。
③は「君が書いたシナリオ」が国、法律等の解釈になって裁判に負けたんだって「LOST」と合わせてなる所ですね。
洗濯機の中でもつれ合う
ロンTとデニムは
あの夏の2人みたい
①どこかのオッサンの青春の一ページ。やっぱりどこかのオッサンってフレーズは使いたくなりますね。
②天国で出会った「僕」と「君」の過去にあったであろう、そして現在そうなってるであろうって願望を思わせてくれます。
③だと景色がいきなり違う所に飛んだように感じられるんですよね。意味は通じるんですけど。レインボーパレードにロンTとデニムで参加してたのかなって。
何もしたくなくて
ただ目を瞑ってたって
眩しいくらいに 君だけ映るの
いつもの僕に帰ろう
気紛れを装って
ファインダー越しの景色を
焼き付けながら海へと
②映画を見るように「君」の後を追って逝った「僕」を見ていた私達を現実へと誘います。私にはここの君が「僕」に感じられます。「海へ」と言われると「海にて、心は裸になりたがる」のようにネットの広大な海を想像させられます。
③だとやっぱりいきなり景色が違う所に飛ばされるような。レインボーパレードでカメラのファインダー越しに撮った景色を持って普段通りの生活に戻ろうって。
泣いている人の前で
シャンパン開けてはしゃぐような
君じゃないだろう
僕の見えない場所で
僕の知らない誰かと
②この歌詞が厄介でしたね。上にも書いていた通りに乾杯したくなる程に、この隠された物語に感動していた私はここで完全に口止めされた気になってました。「君 」が私に向けての言葉で「僕」がMr.Childrenだと思ってしまったんです。えっ?先ほど海へって言ったから、ネットでこんな隠された物語があるよ、凄いよって周りに言いたくもなるじゃないですか。でも止められる。優しい驚きに気付くまでは。
③ここで「君」が夜の街で働く人なんだってやっとわかるんですけど。やっぱりいきなり違う景色に飛ばされる感覚はあります。この「君」の解釈を私達と取ると裁判で負けて泣いている「僕ら」に隠れてシャンパン開けて喜んでるんじゃないよね?って意味にもなります。
過去に拘って
現在を怠って
死んでいくなんて 愚か者の愚行
さぁ前を向いて歩こう
でも何処へ向かえばいい?
胸に手を当てれば
暖かな炎を 感じるのに
でも Party is over
説明不要ですね。
(この歌詞をこの世界を戦地にしている人全員に送りたいです。でも届かないんです。彼らはPartyの真っ最中でしょうから。)
We have no time
アルバム全体の構成としては②の答え合わせと未来へ諦めない気持ちの表明とケモノミチヘの繋ぎの役割が与えられた曲です。
曲の印象としてはどこかおちょくったようなクイズ番組で回答を急かすような印象を今は持ってます。
ほらいくつかのグループが
ついさっきまでのshowの
余韻に浸ってハイになって
今 路上で騒いでる
その光景がなんかシュールで
少しだけ異国のムード
浮世離れが
ちょっと羨ましいから武者震い
①はこの曲は見当違いにMr.Childrenはもう終わったとかまだやれるとかそんな馬鹿馬鹿しい感想になるので正直書きたくないし見たくもない。それこそ武者震いしそうになる。なので省略します。
②はここで私みたいに君を追って逝ってしまった僕の物語を見つけてシャンパン持って乾杯しそうになった人に向けて桜井氏は怒ってるんですよね。でも凄く分かり難い。羨ましいから武者震いが意味としてはピンと来ないです。はてなマークが出ます。
③レインボーパレードが終わっても燥いでいる人達に向けての感情なんでしょうけど、やっぱり想像するしかなくて掴みにくいです。
レインボーパレードを盛大にやっても自分達マイノリティの願いが届かない現実がそこには有る訳で。辛く悲しい気持ちを持って普段の生活に戻ろうとしてる所でまだ騒ぎ続けている人を羨ましくも苦々しく思ってるって所でしょうか?
やり直すには
We have no time
守る気持ちも
湧き起っちゃう
だけどスキルは
尚も健在
まだまだいけんじゃない?
とか思っちゃう
②もうここら辺でこの曲が嫌いに成り始めます。もう聴く必要ないよって言ってるように思えてくるんです。
③もう何十年も同性婚を願って活動してる人もいるんだと思います。想像するにしてもちょっと書き辛いですね。軽々に書けない。
やっぱり当事者の人か私よりもっと理解がある人が記事を書くべきなんじゃないかと思ってしまう。でも理解が浅い私だからこのアルバムに感動したし、こんなに長々と感想書く気にもなったのはあると思います。
知ってるか?ブルース・リーを?
強烈なストレートリード
無駄な筋肉はない
いや寧ろ華奢なんだが
目にも止まらぬスピード
で極めて大きくリード
物量より質で勝負と
言葉なく訴えている
①③だと量より質って唄ってるだけです。
②ではこの歌詞の為にこの曲があると言って良い歌詞です。これはつまり知らないならブルース・リーを調べろ検索しろって言ってます。名前くらいは誰でも聞いたことあるし過去に「Everything is made from a dream」で
ブルースリーもジョンレノンもこの世から去った今
あの情熱を あの感動を 遺伝子に刻もうか
そう 歌いながら 叫びながら
Mr.Childrenも一度歌詞に使用してるんですね。普通は幾ら有名人でも2回も歌詞に登場させるって事無いと思うんです。
ブルース・リーは自身監督作品の2作目で「死亡的遊戯」という映画を撮り始めます。その後映画は未完成のままブルース・リーは急逝します。死後未完成だった映画は他の人の手により「死亡遊戯」として製作され上映されます。
HEROで桜井氏は
駄目な映画を盛り上げるために
簡単に命が捨てられていく
違う 僕らが見ていたいのは
希望に満ちた光だ
と唄っています。つまりブルース・リーを態々使用して言いたい事は『貴方は「死亡遊戯」してますね?』って事です。中々に遠回しな皮肉です。かなり私のこじつけにも思える解釈ですが、こういう皮肉を入れてもこの物語をアルバムの中に入れて置きたかったんだとこの時は理解しました。
実際は強く否定されていたと今は解釈しています。死を弄ぶなと。
だけどsoulは
尚も健在
何とかなんじゃない?
とか思っちゃう
そしてこう続くわけです。
①③では1番のサビと大した変化をしてない歌詞なんですが②では意味が違く響くんです。魂があっても死者は蘇らないよと。
ケモノミチ
miss youはケモノミチで始まりケモノミチで終わります。
最初にYOUTUBEで発表されmiss youの曲の中では一番最初に聞いた曲が私にとってはアルバム最後のシメの曲になるのは奇妙な感じです。でも最初に聞いた時よりもそのメッセージはより深く心に響き聴こえます。
しかも感情的には一回嫌いに成ってますからね。面白い現象です。
風上に立つなよ
獣達にバレるだろ
そんな時代だったら
俺らとうに死んでる
ほら ふわふわとマヌケが通る
生温い風を受けて
かなり攻撃的な歌詞です。ちょっと書くのも読むのも辛いです。
①ならほぼ一般的なネット社会や現代の社会状況における風刺や批評と取れる歌詞です。
②、③だと少し意味が違ってきます。
予め言っておくと私は悪口は嫌いです。ですが一応私の解釈は書いておかないといけない気がするので書きます。その前に…
ごめんなさい。
謝っておきます。
他人を罵倒する言葉が獣達とマヌケと2個あるんです。それぞれ違う人を指すんです。
獣達は自分の頭で考えない常に他者に対して攻撃的なおもいやりのない人達を指します。
マヌケは②自分が獣達と思われていることに気付かない人、③自分達がマジョリティとして特権階級にいる事に気付いてない人です。
勘違いする人もいると思うので書いておきますが。野生動物にも同性愛はあります。
②この歌詞のせいで「僕」と「君」の物語が隠され、表に出す(これより後の曲をアルバムの先頭に持ってくる)とこの時点で既に2人とも死んでいると捉えられます。
③は隠れるようにマジョリティに紛れるように生活しているマイノリティから見た現状と取れます。
「いつまでも待つよ」と
言ってたっけ あの人
今何してるかな?
そんなことボンヤリ
また ふわふわとマヌケが通る
昨日を引き摺りながら
②の時はこの物語を見つけ出す期限が切られているかのように私はこの歌詞から感じました。
③同じように同性婚をしようとしてる他の恋人達の事を「あの人」と示しています。
眠れず独り目論む
「仕返し」だけが希望
声もなく叫ぶよ
②きっと何か時期が来たら①のMr.Childrenの事を唄った歌でないと発表する時がくる予告が「仕返し」にされていると思ってました。
③「仕返し」が何を指すのか私には良く分かりません。それは同性婚が認められた日本なのか。日本を捨てて外国に行って幸せに暮らそうとするのか。それとももっと違う何かなのか。このように考えさせる事で仕返しが実現してるのか。私がその手伝いをする事が出来るのか。もう少し…いえ、ずっと考え続けようと思います。
miss youを代表する曲です。そこに残る暖かな炎はきっと…
全体感想
一番上のリンクの記事でほぼ書いてしまったので全体としてはあまり書く事がないです。褒める以外にすることがないので。
歌詞解釈を書いてる途中で頭の中にはCENTER OF UNIVERSEが聴こえてきました。
どんな不幸からも 喜びを拾い上げ
笑って暮らす才能を誰もが持ってる
イライラして過ごしてんなら愛を補充
君へと向かう恋の炎(ひ)が燃ゆる
当り散らしは言わずもがなのタブー
総てはそう 僕の捕らえ方次第だ
クタクタんなって走った後も愛を補充
君へと向かう恋の炎が燃ゆる
隣の家のレトリバーにも「ハイ ボンジュール!」
あぁ世界は薔薇色
総ては捕らえ方次第だ
ここは そう CENTER OF UNIVERSE
ここまで読んだ人本当に有難う御座います。書いた私もお疲れ様。
歌詞引用も含めてですけど15,000文字ですって。もしかしたら加筆や編集するかもしれないですけど。終わりです。
早速書き忘れてたので知ってる人も多いと思いますがWikipediaを見ながら追記
Mr.Childrenがメジャーシーンの真ん中に立つ切っ掛けになったのは4枚目のシングル「CROSS ROAD」です。この曲は日本テレビ系ドラマ『同窓会』の主題歌でした。プライムタイムで放送された連続ドラマでは初めて同性愛を本格的に扱った作品でした。
流石に私もドラマは見てないですがCROSS ROADが新宿二丁目で流行っているって話を朧気ながらテレビ等で聞いた記憶があります。この事を踏まえると性的マイノリティに真摯に寄り添ったと私には思えるアルバムmiss youは彼らMr.Childrenにとって恩返しであり残しておきたい作品だったのではないでしょうか。
追記の追記 同窓会は見るべきドラマでした。現実でも最近起こった出来事や過去にあった出来事の点と点が結びついて一本の線になって中々に面白い考察が出来ます。でも語るべき事で無いので止めておきます。
出来ればどんな感想でも良いので見たいのでここに残してくれると嬉しいです。もしくはこれを踏み台にして、もっと音楽的知識がある人が書いた記事を私が読みたい。多分身近に当事者の方やご自身が当事者なら②を経ずにすぐ③に気付くと思うんですよね。私みたいに回り道せずに。それだと感動は薄いはず。其処ら辺も出来れば知りたい。私みたいにして優しい驚きまで辿り着いた人がいるのかも気になる。
12/17追記
「いえ、全く持って考えが及んでませんでした。全面的に謝罪します。Mr.Childrenを全然分かってなかった。もう一個記事を書かないといけないかもしれない。でも書くべきかも迷う。」
12/24追記 「書きました」
どう締めようか考えてなかったのですが他の人の記事を紹介させてください。無断紹介です。私にとってはピッタリの記事でした。