ボケてしまってもおじいちゃん
じいちゃんにとって私は、長い人生の後半のほんの数分にしか登場していない存在かもしれない。
けれども、私にとってじいちゃんは、産まれたときから、まだ私自身の記憶のない時から私のことを知ってる、大切な大切な、私を好きでいてくれる家族だ。
米屋の長男に生まれ、朝からチョコレートを召し上がるほどのボンボンだったじいちゃん、サハリンにも捕虜で行って労働し、当時の話をきくと、決まって《立ちションすると、おしっこが出るそばから凍っていった。足で折りながらおしっこしたんだ》と、それしか言わないじいちゃん。
そんなじいちゃんが、認知症になっていた。
一家の大黒柱という意識の高いじいちゃん。
認知症になったのに、その意識はなにも変わらないのだ。
孫の私の名前も忘れ、私の母(嫁)の名前も忘れ、今日食べたご飯も食べた事も忘れたのに、
ばあちゃんと娘の名前も存在も、ちゃんと覚えていた。
そして、ちゃんと、威張っていた。
だから、じいちゃんの介護をしているばあちゃんと娘を相手に、たわいもない事でしょっちゅう口ゲンカをしてた。
そんな3人の、年配者を労らない遠慮のない会話が、なんだかほのぼのして私は好きだった。
じいちゃんからは、初孫として可愛がられた存在の私でも、その3人の会話の中には入れなかった。
そんな中、事件は起きた。
夕方、でかい蛇が、トグロを巻いて玄関の前に現れたのだ。
『じっちゃ、蛇いる!』
そう叫んだのは、孫の私ではなく、普段から介護をしている、じっちゃの娘だった。
娘といっても、私の叔母にあたり、50代半ばだ。
じっちゃの世話で、毎日まいにち、ヘトヘトになり、ばあちゃんと2人でじっちゃの悪態をついていた。
そんな叔母が、とっさにじっちゃに甘えていた。
そして、同時にばあちゃんまで、
『じじ、蛇取ってけろ!』と、じっちゃな甘えたのだ。
その瞬間、じいちゃんは、茶の間ないつもの定位置で何もしないでボーっとしているのを辞め、むくっと立ち上がり、無言で玄関のツッカケを履いた。
早かった。
その辺に落ちている草むらの棒を、じいちゃんは見過ごさなかった。それを握りしめた瞬間、あっという間に叔母が指差してる蛇を棒に引っ掛けて、家の前の田んぼに続くあぜ道を、なるべく遠く遠くに、蛇を引っ掛けながら走っていった。
小走りに、蛇を落とさないように。
上下擦りきれた下着で腹巻きという、バカボンのパパスタイルのボケたじいちゃんが、家族の為に、棒に蛇をぶら下げて走っている。夕陽がどんどんとオレンジ色に濃くなっていく中、じいちゃんは蛇を小脇に持ったまま、小さくなっていった。
そんな勇者なじいちゃんを、叔母やばあちゃんは
『じじ!!どこまで走るのや??戻って来うい!!』
と、一見乱暴に叫んだ。けれども、そこにはずっと築いてきた崩れることのない家族の形があった。
認知症なのに、なんで叔母の悲鳴に反応できたの?
蛇を退治せず、家族の為に遠くまで追いやってくれたの?
空になった棒だけ持って戻ってきたじいちゃんは無表情で、昔は毎日乗っていた軽トラックにそのまま乗り込み、いたずらにクラクションを鳴らし続けて、近所迷惑だ、とまた叔母に怒られていた。
私は、蛇から家族を助けようと、下着姿で必死に走っていくじいちゃんの後ろ姿を、一生忘れられずに生きていくのだろうな、とその時思った。
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