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パンデミックと私と大学生活

これは2019年ごろからの私のちっぽけな生き様を正直に書いたものである。怠け者、優柔不断、ネガティヴ、お前が悪い、何様だ、恵まれてるじゃないか、なにを言われたってかまわない。私はこれを受け入れるために書こうと思う。

2020年、春。

私は高校を卒業して、もうすぐ大学に入学するというところで、
コロナウイルスのニュースが報道された。

どうやら家にこもらなくてはいけないみたいで、出かける時はマスクもしなくちゃいけなくて、困惑していた。大学は全て、オンライン授業になった。のちに丸2年これが続くことになる。
でも正直、なんかわくわくしていた。でもワクワクしていたのは初めだけだった。

 正直、人と関わることにうんざりしていた。
高校でも別にいじめられたわけじゃなかったけど、みんなと同調することが嫌になってしまって、さらに大人数のグループでいることが嫌になってしまっていた。自分はグループに存在していながらも、必要とされていないんじゃないかと悶々とする日々が続いていた。(持ち前の強い承認欲求が発揮されていた。)だから1人でいることを選んだりした。サークルなんてきっと時間の無駄だと決め付けた。だから同い年くらいの人間と関わりたくないと思っていた。集まって楽しそうな人たちを、群れていると思い込んで孤独を正統化しようとしていた。本当は海外の大学に行きたかった。でも奨学金をもらえるようなすごい高校生ではなかった。
 もう日本にいることも、日本の大学にみんなが行くという理由だけで進学を決めてしまったことも、離婚を機に祖母の家に引っ越してきたこと、全てが嫌だった。その頃から英語はまあまあ話せたので、海外に行きたいという気持ちだけが昂った。何もかもが受け入れがたかった。全てが悲しくて、自分が嫌いで大好きだった。

 だから、人と関わらなくていいのはすごくホッとした。自分だけの世界で、社会生活を送らなくていいことはなんかメッチャ良かった。高校でできた唯一の親友と、zoom meeting するのは普通に最高だなとだけ考えていた。
母親とか大人には、「えらい目に遭っているな」と言われたがその時はそんな事はないと思っていて、何か新しい生活が始まるようなワクワク感があった。(小学生の頃、台風や激しい雨の警報が出たときに、帰宅を遅らせてみんなで残るというのが結構好きだった。緊急事態が好きだった)

 その頃は1人でどうやって大学を辞めようか、スキルを身につけてみようか、他大学に編入できるか、海外大学に行く方法を考えるか、どうにか調べたりしていたけれど、自分では何も決められずになにもかもが中途半端に終わった。意識のみが高くて、加えて意気地なしだった。

 引っ越してきた祖母の家では、生活態度が良くないと度々しかられそのたび反抗して最後の二ヶ月ぐらいはもはや最悪の雰囲気だった。自分の生活態度は普通の18歳と同じような感じだったと思うが、祖母は潔癖症のような性格で、ドンピシャのHSPで母からも責められるばかりで精神状態は最悪だった。私がたまに出かけるたびにコロナ禍ということもありみんな色々と過敏になっていた。

だから一人暮らしすることを決心した。自分が変わる事、なにか自分にできるのかとか、自立することや、色々なことを自分に「期待」して家を出た。

 一人暮らしでの生活はそこそこたのしかった。自分で生活をすることや誰の許可もいらないこと、与えられたその自由を意識せずに、持て余していた。はじめは生活が下手で、と言っても最後まで生活は下手だったが、少しずつ自分に優しくすることや睡眠の重要性を実感していくことになった。大学はあいも変わらずオンラインで、はっきり言って全く楽しくなかった。人と話す時はzoomのグループディスカッションくらいの時で、その毎回がかなりストレスだった。なぜならばその一回きりだけでその人と話すことがもうなかったり、また当たったね〜と別に話したくもないのに、ランダムに組まされるので、「話をさせられる」という感覚にしかならなかったからだ。さらに2020年から2021年は、眠れないことと、気分の落ち込みに悩んだ。それまでも眠れないということは割とあったが、どれぐらいの周期で、どれぐらいの日数眠れなかったかあまりわかっていなかった。高校生は週に5日学校にいくので、眠れなくてもどうにかベッドから出てきてなんとか高校までいくということに慣れていた。大学生になって、不眠がひどくなった。眠れなくてバイトを休むなんておかしい話だけど、本当に休んだ。眠れなくたって働いたり勉強できたりする人もいるし、自分も一日くらいなら大丈夫だ。でも、2日続いたりするとイライラするし、何をやる気にもなれなかった。不眠で検索をしているとストレスとか鬱とか色々な原因が出てきたが、一つ心当たりのあるものがあった。それはPMS/PMDDの症状で、生理の10日前くらいから不眠や鬱症状、無気力感に襲われるというものだった。2022年の春にやっと超低用量ピルを処方してもらうことになり、不眠も少しずつなくなっていった。精神面では、ほとんど毎日泣いていた気がする。精神科や心療内科には行かなかったが、最後までいく勇気がなかった。なぜなら、もしこの辛さが、何者でもなかったときに、自分の弱さを受け入れることが怖かったからだ。「みんな辛いのは知ってる」みたいな顔をしながら自分だけが辛いと思っていた。
 さてそれでそんな孤独なコロナ禍で、私がかろうじて趣味として取り組んでいたことの一つが日記を書くことだった。毎日ではなかったけれど、悲しいこと、嬉しいことがあったときはすぐに日記に書いていた。悲しいことが続くと、日記は勝手に毎日続いて行った。日記には、不満や恥ずかしいこと、何を書いても許される。優しかった。もう一つは、スケッチをすることだった。特に友達の顔を描く事が好きで、これもたくさん描いたり最後まで仕上げることができなかったりしたけど、絵を描くときはいつも楽しかった。ギターを弾いて歌うことも好きだった。でも本当に、そんなことしかできなかった。全てが公開されることなく、自分の中でだけ完結された。

 サークルにも2年生の時に入ろうとしたけど、当分活動をしていなくて、友達を作ることさえやめてしまった。オンラインと、ちらほら対面授業も許されるようになったけど、「オンラインという選択肢」があると何故かオンラインを選んでしまうのだった。大学のクラスでも、授業内容には積極的に参加していたが、自分とみんなとの温度差がかなりあってうまく入れなかった。自分は授業にかなり真剣だったので、グループで集まってワイワイやるような温度差を持ち合わせていなかった。高校生の時の「集団」への抵抗感を引きずっていた上に、コロナ禍でろくに大人数と顔を合わせることがなかったので友達をどうやって作るのか忘れてしまっていた。

そんな生活を2年続けた。

3年生になって、ようやく全ての授業で大学の教室に通い始めた。
友達が少しできて、平和な女の子のグループでお昼ご飯を食べることができた。大学生としての自分の無力感や、迫る就職活動のプレッシャーを感じながらも、ちょっと楽しかった。結局名前だけの「長期インターン」をやってみたりして、面白くなくてやめたりして、就活のフォーラムに参加して、大学3年は終わった。

4年生。留学生がキャンパス内に歩く光景をみるようになった。新学期も自分の取りたい授業をとって、いいスタートを切った。新しくできた友達に留学生を紹介してもらって、キャンパスで友達と話す時は大体英語なんて日の方が多かったりして本当にやっと想像していたような学生生活を送れている感じがした。

しかしながら、新しくできた友達と話す中で、みんながこの2年にやってきたことを聞いて、自分の情けなさにすごく悲しくなった。

学生主体の団体を立ち上げて、質の高いネットワークはもちろん、学生時代の輝かしい経験をしっかり持って、次の進路につなげている人。パンデミックで空いた暇な時間に、プログラミングを勉強して、今後の仕事につなげたと言う留学生。自分を見つめ直し、やりたいことを追うために他大学に編入した人。留学した人。

自分は自分、なのだが、どうしても比較すると自分は情けないなと思った。
自分には目標などなかった。いや、何がしたいのか?と聞かれても、別に答えたくない、教えたくない。そういうところである。何にもできない自分を責めてばかりで空っぽで、その上他人を羨ましがってばかりで、比べては落ち込むばかりだった。心の中ではずっと「助けてほしい」と叫んでいた。

きっと、このネガティブは今後も続いていく。でもちょっとマシになってきているはずなのだ。でもこの何もできなかった過去から、そろそろ決別しなければならない。受け入れるためにこうして振り返ってみたけれど、何もないところには本当に何もなかった。こうして何もない自分を受け入れて、少しでも前に進んでいくことができるようになったら、それは私のなかの大きな成長なのである。



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