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歴史に救われた話

 歴史と聞くとなんだか埃っぽいというか、口の中で砂がじゃりじゃりする感じといくか、とにかく茶色!と言うイメージが湧いてくる。学生時代、歴史があまり好きではなかった。受験で使うので仕方がなく勉強したが面白いと思ったことはなかった。そんな私が仕事を辞めて落ち込んでいた時、まさか歴史に癒やされるとは思ってもいなかった。そんな話を今日はしたい。

 前職を辞めた時から私は周期的に鬱っぽくなっていた。(今でもそうなんですけど)ヤバい時は死んでしまいたいとすら思っていた。

  そんな中歴史が大好きな友達から半藤一利さんの「昭和史」は日本人なら読むべきと言われ、もともと読書が好きだったので読んでみることにした。これがまぁ面白いのなんの。

 正直、平成生まれの私にとって第二次世界大戦は昔の出来事であり、自分とは関係のないことだと、なんとなく思っていた。しかし、歴史探偵の半藤さんの「昭和史」には、日本が無謀とも思える戦争をなぜしてしまったのか、日本人の国民的傾向や人間の愚かさ、エリートの傲慢さを暴き出し、この戦争から我々が学ぶべき教訓を示していた。具体的な教訓を上げると

第一「国民的熱狂を作ってはいけない」
第二「最大の危機において日本人は抽象的な概念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしない」  
第三「日本型のタコツボ社会における小集団の弊害」
第四「国際社会のなかでの位置づけを客観的に把握していない」
第五「何か起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想」

 細かい解説は今回は避けるが今でも通用する教訓がたくさん述べられていた。その後も「昭和史 戦後編」「世界史の中の昭和史」など半藤さんの本を読み漁った。歴史とは過去の遺物ではないと思い知らされた。

 さて、こんな感じで歴史(主に昭和史だが)を学び始めると私のメンタルにも良い影響が出てきた。

 まず、第一に孤独感が減少した。歴史とは人類の(いや宇宙的に見ればもっと昔からの)壮大な物語である。歴史的な偉人にならなくても歴史の影響を受けている(例えば資本主義だって歴史の産物でありその影響を受けていない人はいない)。つまり、私たちはそんな壮大な物語の一員であり、歴史を生き抜いた人々の意思が我々の体に受け継がれている。なんともロマンを感じることではないか。

 第二に常識は常識ではないとわかる。戦時中、戦場に行って死ぬことが偉いとされた。敵を殺すことがよしとされた、戦争に反対すれば非国民と呼ばれた、今では考えられないことだ。しかし、当時はそれが常識だった。もっと前の江戸時代は職業選択の自由はないし、身分の違いも当たり前のようにあった。それが当たり前なのだ。価値観など時代によって変わる。偉そうに「当たり前だ」「常識だ」なんていう人がいるが、そんなものは全くないのだ。そう考えるとなんだか肩の荷が下りた気がした。

 そんなことを考えていると神谷恵美子さんの「生きがいについて」にこんな文があった。

ひとびとが住む世界から、はじき出され、ひとり宙を漂うひとにとって、歴史の発見はたしかに或る救いを意味する。自分もまた人類のひとりとして、人類の歴史のなかに立っているだ、と知ることはひとつの「足場」の発見であり、回復なのである。

 本を読んで同じことを言ってくれる人がいると何だかうれしい。しかしまぁ受験から離れて、歴史の面白さがわかるとは何たる皮肉である。

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