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エッセイ「鉄道員の子育て日記 ③素敵な列車旅の想い出」

 ようやく新型コロナウィルス感染症の流行が落ち着き(?)、人々が動きを再開した。インバウンドの旅行客が一気に増えてオーバーツーリズムなどの現象も起きているが、端的に言って海外旅行は楽しいものだ。
 しかし、残念なことはテレビ等の報道で語られるのは経済効果のことばかりに感じられて少し残念な気持ちがある。
 旅の楽しみは、観光、グルメ、買い物などひとそれぞれであるが、私は訪れた地での人との出逢いだと思っている。

 大学卒業時に自分の進路に迷い、留年、親の反対を振り切ってまで海外に行ったことがある。思い返せば、なにごとにも自信がなかった自分を変えたかったのかもしれない。当時、流行りとなっていた「地球の歩き方」という個人旅行のガイド本を頼りに、単身ひとりでアメリカ合衆国横断に約二カ月間の旅に出かけた。

 ほとんどの行程は現地のバスを乗り継いでの移動したが、一度だけ鉄道を利用してみた。その列車旅は今でも鮮明に思い出すことの出来る素敵な旅となった。

                *

 「Where are you from ?(どこから来たの?)」と反対側の窓際に座るアンディが、僕に向かって尋ねる。「フローム ジャパン。フクオカって知ってる? 九州っていう小さい島なんだけど」と日本の地方都市を、目の前に座っている小さな子ども達にどう説明すればよいかと悩んでいた。なお、説明を考えても、それを英語でどう表現すればよいかも解らず自分の英語力の無さを痛感していた。

 アメリカ西海岸を、アムトラックという列車でロスアンゼルスから南方にあるサンディエゴという町に向かっている。僕は向かい合わせの四人がけの座席に、小学生くらいの二人の男の子と、彼らの母親と一緒に座っていた。始発駅であるロスの駅で、ひとつ空いていた彼らの席に後からお邪魔させてもらったのだ。 

 この旅は、大学の夏休みを利用しての個人旅行であり、リュックの中には最小限の衣服と必需品しか入っていない。宿泊に利用するのは一般的なホテルではなく、ユースホステルのような安宿を利用しての旅である。

 旅のごく始めだった。ガイド本に『車窓から眺める海岸の景色がとても素晴らしい』と書かれてあった情報を信じ、この列車に乗った。目的地までは、二時間弱の旅である。

 列車が走り始めてから一時間ほどが過ぎようとするが、自分でも意外なことに彼らとのおしゃべりは途切れることが無かった。僕はそれこそ中学校レベルの英語の文法や単語を使った簡単な表現しか出来なかったが、彼らがゆっくりとした口調で話してくれたので、自分でも驚くくらい日常会話が出来ていた。また、お互いが解らなくなると、彼らの母親が助け舟を出してくれたりもした。

 彼らはアメリカ中部のデンバーという町からロサンゼルスのいとこの家に遊びに来ていて、皆一緒にサンディエゴの水族館に遊びに行こうとしているのであった。そこではシャチのショーが見られるということだ。イルカではなくシャチというところが「やはりアメリカだな」という感じだ。

 向かい合わせの席の窓際に座っているのは十歳のアンディと、横には八歳のジミーという兄弟である。ふたりとも騒がずにきちんとシートに座っている。お母さんも清楚な感じでとてもほほえましい親子である。通路の反対側には彼らと年令も近そうな、いとこの兄妹達が同じように座っている。

 僕は彼らを何か喜ばせてあげたいと思ったが、まもなくひとつの考えが浮かんだ。彼らのお母さんに「何か大きな紙は持ってないですか?」と尋ねると、母親が鞄の中を探してくれて「これでいい?」と新聞を提供してくれた。いわゆる英字新聞である。それを彼らの目の前でおもむろに広げ、そして折り始めた。何をするのだろうと子ども達は興味深く見てくれている。どんな折り紙が子ども達に喜ばれるかということはあまり迷わなかった。久しぶりに折ったので思い出しながらではあったが、「紙鉄砲」を作ることが出来た。その完成した三角形の作品は、きっと彼らには予想も出来なかっただろう。手に持って彼らに良く見せ「イッツア、ペーパーピストル」とインチキくさい英語を使って派手に紹介した。

「よく見てて」と、もったいぶった後でそれを思いきり振り下げた。もらった新聞の大きさと固さのバランスがちょうど良かったのであろう、「パーン!」と期待した通りの大きな音が出てくれた。新聞紙を折り畳んだだけのものから発せられたその音は、子ども達の興味をひきつけるのに十分であった。

 「もう一回、もう一回してみて」と頼む彼らに、僕は同じことをしてみせた。当然、次は「させて、させて」ということになる。でも僕は彼らに「一緒に作ってみよう」とみんなに新聞紙を配った。アンディとジミーは見よう見真似で同じように折り始める。簡単な折り紙だからしばらくすると、二人とも程度の良いものを作る事が出来た。「思いきり振るんだよ」と遊び方を二人に教えて、彼らは半信半疑ながらも試してみる。初め何回かは要領が解らずに失敗したが、数回後には彼らが作った紙鉄砲は僕が作ったものに負けないくらい大きな音をたてるようになった。彼らはとても喜び、何度となく鉄砲を元に戻すと繰り返して鳴らした。

 反対側の席に座っていた兄妹もその後加わり、しばらくの間はパンパンと英字新聞で作られた「ペーパーピストル」の音が車内に響いていた。



 この時、僕は片言ぐらいしか使えない英語を頼りにコミュニケーションをとろうと懸命に頑張った。わずかな単語と文法の知識の中で言いたいことを必死に伝えようとする難しさ、そして楽しさを知ることが出来た。身振り手振りも加えて伝わったときは本当に嬉しかった。

 また英語を使って子ども達と話す場合に、お互いに”YOU”と呼び合うことで、年令に関係なく対等な関係で話しをすることがとても心地よく感じられた。日本語では年齢やら立場の関係で”ん”やら”くん”などの敬称を使い分ける気遣いが必要であるが、この時の僕と彼らとは歳は関係のない友達であった。

 「折り紙」という日本の文化が、彼らと仲良しになる手助けをしてくれた。国際化に必要なことは単に英語を話せるということだけではなく、自分の国のことや文化を知っておくことの方が大切なんだということを感じた。 

 やがて綺麗な海岸線が見えてきた。天気にも恵まれ、西海岸らしいさわやかな青空が広がっている。情報誌を信用して正解だった。海には多くのひとがサーフィンボードを短くしたようなものに腹這いで波に漂っている。「あれは何なの?」ときいてみると「ボディボード」ということであった。その当時、そのスポーツを僕は見たことも聞いたこともなかったが、それは後に日本でも流行することになる。アメリカ人の遊びに対する創造性は豊かだとつくづく思う。

 海岸がしばらく続く。僕はガイド本を見ながらサンディエゴに着いてからどこに泊まるかを考えていた。現地についたら、宿だけは真っ先に確保しておかねばならなかった。

 その時、突然アンディが「ヒロシ、僕と席を替わろう!」と言ってきた。何故、急にそのように思ったのかが不思議だったので、率直に「なぜ?」と尋ねると「だって、こっちの席からの方が景色が良く見えるよ」という答えだった。通路側の席に座っていた僕への温かい配慮であった。

 僕はその思いやりのある純粋な言葉に、胸が熱くなりどのようにお礼を言えばいいのか、解らなかった。彼は母親からそのように言いなさいと命じられた訳ではない。まだ十歳のアンディが自分で考えて、素直に出た自然な言葉なのだ。

 席を譲る行為は、日本でも道徳的なもので大多数の人が考えていると思う。しかし、それはお年寄りや小さい子連れの母親など理由のある人に対してのことが多い。

 また、そのような言葉を皆がいる場で発することに抵抗を覚えてしまう人が多い。

 この時、アンディが申し出た言葉は、そのような気配りというものとは明らかに違っていた。うまく表現できないが、あくまでもピュアな気持ちがごく自然に口に出た言葉であったため、僕の心を強く打ったのだ。

 「いいよ、いいよ。ここからでも良く見えるから替わらなくても大丈夫だよ」彼らも今日初めて、この列車に乗っていることを聞いて知っていたので、その申し出をとても受け入れることは出来なかった。ただ僕に対して、日本からはるばるやって来た旅行者を精一杯に歓迎したいと思ってくれたその気持ちだけで十分だった。

 その後も僕らは列車の中でたくさんの話をして、一緒に遊んだ。”手裏剣”や”羽の動く折り鶴”など知り得る限りの折り紙も作ってあげた。車内の食堂車までみんなで移動し、「お礼にと・・・」飲み物をご馳走になったりもした。

 そしてサンディエゴに到着し、列車を降りる前に「旅の途中にでも、ぜひ寄ってください」と住所と電話番号も教えてくれた。ちょうど、二家族の居住地が西部のロサンゼルスと中部のデンバーという都市であったので、僕はこの旅の途中で彼ら二軒の家を訪ねて、ホームステイをさせてもらい、ユースホステルでは味わえなかったであろうアメリカの普通の家庭の生活も体験させてもらう。たった二時間の短い時間であったが、列車の中での偶然の出逢いから交友が始まることになる。

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 この体験はアメリカでの話なので、比較的恥ずかしがり屋な日本人どうしで、このような出逢いが起きる可能性は低いのかとも思う。私自身も残念ながら、国内でここまでの出逢いをしたことは無い。

 また当時から、およそ三十年以上の月日が経ち列車内の雰囲気も大きく変わった。昔から国内の列車内で寝ている人は多かったが、最近は技術の進歩もありスマホやパソコンで時間つぶしをしている人が多くなった。仲間と一緒ではなく、ひとりで列車に乗る時に、隣に座る見ず知らずの人と話をしたいと思う人は皆無のように思える。

 それでも、旅での出逢いというのは多くの人にとって魅力的なものだと思う。それが列車の中で起こる確率が高まれば、仲良しメンバーで出かける自動車の旅とはまた違ったものとなり、もっと列車旅に出かけたいと思うのではないだろうか。

 残念ながら日本人は良くも悪くも雰囲気に飲まれやすい。周囲の空気を読むのだ。確かに皆が静かにしている車内で隣の人に突然話しかけることは、現状では不自然にも思える。

 現在の列車内には、社会人、友人グループ、家族連れなど様々な目的の乗客が混在している。そのためか、車内は比較的静かなことが多いと感じる。それならばいっそのこと、お喋りしたい人だけ集まる車両を設定したらどうだろうか。変な気を遣うこともなくお互いに話を始めるかもしれない。鉄道を利用する誰もが私と同じような考えではないと認識しているが、列車の利用が単なる「移動手段」でなく、楽しい「旅の目的」となってもらいたいと願う。

「かわいい子には旅をさせろ」と言われる。列車の旅は駅で乗り換えたり不便も多いが、困った時に誰かから助けられたりして、他人のありがたさを知ることもある。そして、いつか自分が困った人に優しくなれるように成長していく。そういう意味だろうと勝手に解釈している。

 列車の中で様々な出逢いがあり、恋や友情が芽生える。そんな列車でのドラマがあったら楽しいだろう。そのような素敵な鉄道をつくることを夢見ている。

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 列車での旅にはまだまだ多くの可能性があります。今、地方ローカル線は利用者が少なく廃線の危機まで及ぶ路線も多くあります。自動車全盛社会ですが、日本でも鉄道の旅を楽しむひとがもっと増えて、貴重な経験が増えることを願っています。
 列車は単なる「移動手段」ではなく、旅を楽しむものでありたいと思いますし、それは利用者のひとりひとりが車内で会話を交わすことから始まるのではないでしょうか?
 特にローカル線では、その会話がしやすい環境が残っているのでは?と思います。もしも、列車の席で向い側に誰かが座ったら、「どちらまで行きますか?」と声をかけてはどうでしょうか?
 
  また鉄道は二酸化炭素排出も少ないエコな交通機関です。未来の地球にとっても欠かせないものです。どうすれば線路を守り、維持いや再興できるのかを考えた以下の作品も、ぜひ読んで頂きたいです。↓
 未来に亘り多くのひとが素敵な列車旅が出来ますように!


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