小説「北の街に春風が吹く~ある町の鉄道の話~」 プロローグ
プロローグ
北の小さな海辺町。昔からある駅前食堂のコンクリの打ちっぱなし床の中央に置かれた灯油ストーブには大きなおでん鍋がかけられている。北国であるがためか、この店では一年を通じておでんを提供していて、店の名物となっている。
石井雄二はストーブ近くのテーブルに座り、先ほどから静かにそのおでんと日替わりの定食を食べている。冬場には珍しく青空が広がりカーテンのない窓の外から太陽の日差しが差しこんでいる。地面には昨日まで降った雪が一面に積もり陽光が反射して一層まぶしい。
食堂亭主の黒岩五郎は、雄二が食事をするのをずっと見つめていたが、ひと通り食べ終えたところで声をかけた。
「石ちゃん、お茶はいるか?」
「あっ、すいません」
雄二は日頃から口数は少ない方だが、五郎とは古くからのつきあいで気兼ねなく話しができる関係だ。
「線路が無くなってから石ちゃんが、うちに来るのは久しぶりだな」
「ええ、あの時は瑠萌線の存続のための調査によくこっちに来てましたね。廃線になってからはご無沙汰してばかりですいません。このおでん、久しぶりに食べられて良かったです」
「今日は車なんだろ。酒は飲めねえな」
「ですね。ちょっと残念ですが。列車で来てれば熱燗もらうところですけどね」
「確かにな。車かぁ、そのせいだろうな、酒の注文も最近は減ったよ」
「ほんとうにすみません」
「いいんだよ。元々最近の若いやつは熱燗なんて飲まないしな」
「若いひとは車があたりまえだけど、列車にも乗ってもらいたいって思いますね。あの時は鉄道のこと、いろいろ教えてもらったのに結局役に立てずに申し訳なかったです」
「石ちゃんは沼太の人間だからな。気にするな。俺たち足毛の人間がもっと反対しないといけなかったんだ。線路が廃止されて後悔する前にな」
そこまで聞いてから雄二は聞きたかったことを勇気を出して口にした。
「五郎さんは線路が廃止になったから鉄道会社を辞めたんですか?」
五郎はしばらく考え、そして告白するかのように口を開いた。
「ま、他にも理由はあるが、やっぱりそうなのかもしれないな」
「会社辞めて、もうどれくらい経ちます?」
「去年の十二月からかみさんを手伝っているから、ちょうど一年だ」
「そんなに。もう、今からは車で来るしか出来ないけど、また食べに来ますよ」
「あぁ、そうしてくれるとありがたいよ。最近、かみさんも元気なくしてな。前は駅に降りた人が少なからず食べに来てくれてたんでな。この店もいつまで続けられるかわからないから、来るなら早めに来てくれよ」
「そんなこと言わないでくださいよ。奥さん、ずっと食堂を切盛りしてくれてたんでしょ? 五郎さんが一緒にお店出来るようになったんだから、もっと、頑張ってください」
「ああ、そう思いたいけどな。やはり瑠萌からの列車があったらなぁ」
「私たちも、路線の一部廃止だったとしても、もう少し協力して頑張れれば良かったんですけど。すいません」
「何度も言わなくていい。ずっと瑠萌線は赤字だったんだからな。HRも民営会社になったんだ。生き残るためにはしかたないことだったさ。俺も個人的には線路は無くなって欲しくないと思ってたが、駅に勤める身で会社の方針には反対しにくかったしな。でも今はやっぱり後悔してるよ」
「そうだったんですか?」
「自業自得さ」
「でもな、大人は車で自由に動けるけど、子供と年寄りは運転出来ないしな。バスだと倍の時間かかるみたいで、人からそういう話を聞くとなんかつらいんだ」
「私もバスには、…まだ乗ってないです。なにかバスに乗り換えるくらいならって思って、沼太から車で来てしまいます」
「道路は最近、ほんと良くなったからなぁ」
そう言うと五郎は厨房の中へ引っ込んでいった。雄二は既に冷えてしまったおでんの汁を一気に飲み干した。
一昨日まではひどい吹雪が続いたが、昨日になって青空が出て逆に妙に暖かい気候となった。最近はこのような極端に変わる天候が増えたと雄二は感じる。ふと窓の外を見やると、雪が屋根に積もった旧足毛駅の建物が見える。その白一色の景色の中に雪かきのために周辺の人が集まっているのを見つけた。その賑わいを見ていると、廃線以前の駅の賑わいの情景を思い出す。
だが、もう感傷に浸っている状況ではないことに雄二は気付いていた。今度は自分たちの町を走る線路が無くなる危機が近づいているのだ。列車が到着することの無くなった駅を見ながら、後悔だけはしないようにやれることをやらなければならないと思った。
第1話へつづく
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