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小説「龍馬がやってきた~僕の鉄道維新物語②~」


2 頭の中の男

「みなさん、会社も日本社会もこれからは大変な時代になります。今までやってきた方法では解決が出来ないことも出てくると思いますので、あなたたちは新しい発想をもって問題を解決していってくださいね」
そう言いながら担任講師は黒板に問題を書き始めた。縦三列、横三列となるように点を九個つけた。ちょうど漢字の〝田〟の交点に九つの点を打った形だ。
「問題です。この九つの点を一筆書きの四本の直線で九つの点を全て通るようにつないでください。一筆書き解りますよね?」
今年度に入社した同期が集まる会社の研修での講義だった。同期入社三十名は久しぶりに集まっている。
「じゃ、始めてください。良いと言うまで、隣のひとに相談しては駄目ですよ。出来た人は手を上げてください」
「簡単じゃないか? い~ち、にぃ、さん、よん……ん?」
ひとつの点を線が通ってない。
「あれ、四本だよな」
僕たちは誰もが紙に何度も書きながら考えるが正解が解るひとはいなかった。
「あっ、分かった」
僕は急にひらめいて解けたと思った。うん、間違いない。嬉しくて手を挙げた。
そのうち、クラスの数名も少しづつ手をあげていく。
「全然わからないわ。岡田君、ちょっと教えて」
隣の机に座る同期の千葉さんに尋ねられる。同期の中でも優秀な女性であるが、彼女が解けずに訊いてきたことが少し嬉しい。
そのうち、解けない人が我慢できずに話を始めて部屋が騒がしくなる。様子を見て講師は「じゃ、一番早く分かった岡田君、黒板に書いてください」と僕を指名した。少し気後れしたが、みんなの顔を見ないようにして前に出て黒板の点を繋いでいった。
「い~ち、に~い、さ~ん、しぃ~…です」
「はい、正解です」
この問題を解くポイントは、田の中だけで九つ点を繋ぐのではなく、一度田の枠外まではみ出すようにしてから、線を繋ぐようにすることで、四本の直線で結べることを皆に見せた。講師がこの問題を解説する。
「四角の枠の中だけで線を繋いていた人が多かったですが、先ほども言ったとおり問題を解決するためには、先入観に囚われずに、枠を超えて考えることも必要ということです。今回は単なるクイズですけどね。みなさんが新人からいつか中堅になって、問題に直面した時の対策を考えるときに参考にしてもらえればと思います。岡田君お見事でした」
「岡田、やるじゃないか」
「おかだ、おかだ……」

                *

「おい、岡田……、岡田大丈夫か?」
目を開けると上空の青い空を背後に武市課長の顔があった。
「あ、課長」
「大丈夫か? けがは?」
「あ、えぇ。大丈夫です……僕はいったい?」
「お前、怪しい人影を追っかけていたんだろう?」
「あっ、男を追いかけて……、ぶつかって崖から落ちて……そうだ、課長、誰か他にいませんでしか? 追いかけた男と一緒に落ちたんですけど」
「いや、特には見なかったけどな。お前だけが倒れていた」
「そうですか?」
僕はそれ以上問いかけることはしなかった。頭も落ちたショックからか意識が朦朧としていたし、盗まれた龍馬像のことばかり考えていたから、妄想で坂本龍馬の恰好をした男をつくりあげたのではないかと自分を疑った。
 念のために周囲も見渡したがぶつかった怪しい男の姿はなく、僕が本当に見かけたのかも不安になった。幸い僕は運良く砂浜の上に落ちたようで、怪我はなかった。
「岡田、歩けるか? とりあえずホテルにいったん戻ろう」
 課長は僕の手を引いて身体を起こした。半身を起こした状態で、腕時計を確認した。十一時半過ぎを指しており、そんなに時間は経っていなかった。会議が始まる二時までは十分時間もある。
「すいません、勝手な行動をしてしまって」
僕は自分の軽はずみな行動を反省した。落ちた崖は三メートルほどの高さであったが、地面が岩場だったら大けがをしたかもしれない
「いつも冷静なお前がいきなり走り出したときは焦ったぞ。坂本龍馬のことなんで、お前も熱くなったのか? でも、龍馬像のことはとりあえず忘れて、会議の準備に集中しようか?」
「あっ、…はい。すいませんでした」
 課長は僕を冷ますように話題を変えた。確かに犯人を捕まえたい思いで頭がいっぱいになっていたことは間違いなかった。

正解は⑥最終章に掲載します

(おい、ここはどこじゃ?)
ホテルに向かって歩き出した直後だった。どこからとなく小さな声が聞こえた。
「えっ、今何か言いました?」 僕の左側を歩いている課長に尋ねる。
「いや…、何も言ってないけど」
「…そうですか?」 確かに声が聞こえたような気がしたが錯覚だったのだろうか。
(どこじゃ、ここは?)再び声がした。
「えっ?」
「課長、やっぱり今なにか……?」
「お前、本当に大丈夫か? やっぱり崖から落ちた時、頭でも打ったんじゃないのか? 今からでも病院に行って早めに診てもらった方がいいぞ」
 僕の不安も大きくなる。声は確かに聞こえたように思えたが、崖から落ちたためのショックからの症状だと考えた方が、この状況では納得がいく。だが、ここで準備を全部頼むというわけにはいかない。自分の失態があからさまになることも恐れた。課長の管理責任も問われるかもしれない。
「あっ、いえ。大丈夫です。何でもないです。やっぱり少し混乱しているみたいです。でも時間が経てば良くなります。準備も遅れちゃったので、急ぎましょう」と心配そうな顔をする課長の前を再び歩き出した。

               * 

 机の配列など会場の設営を行い、会議資料も机上に配布し、十二時半にはひととおりの準備が終わった。今日の会議での僕の役割は記録係なので、最後にカメラとボイスレコーダーが正常に動くことを確認し準備を終了した。
 昼食はホテルのレストランにした。元々は車でもっと手軽な近くの食堂に行くよう考えていたが、僕のために予定が遅れたためだ。しかも、僕が落ち込んでいるように見えたのか、課長がご馳走してくれると言うのが申し訳なかった。
日替わりのランチがあったので、それを頼んだ。運よくトンカツであった。別の定食を頼んだ課長より先に出たので、ひと言断って箸をつける。
「サクッ!」
 揚げたてのトンカツを一口噛むと熱い肉汁がにじみ出た。日替わりとはいえ、さすがにホテルのレストランならではの良い感触だ。肉の厚みも丁度よく、プライベートでもまた来たいと思った。その時、
(なんじゃ、これは? げにうまかっ!)
明らかに自分の言葉ではない驚いた声が聞こえた。咄嗟に自分の前に座っている課長を見たが、スマホを見ながら料理を待っていて僕に話しかけたようにはみえない。もう午後一時を回っているので、レストランの客は既に少なく我々が座っている席の周囲に他の客はいない。
課長でなければ、他に声を発するものはありえない。僕は自分の異常を認めたくないので尋ねようかとも思ったが、……止めた。これ以上、言っても変に思われるだけだ。
その判断は正解であった。その後も謎の声は続いたからだ。
(横にある味噌汁もうまそうじゃな?)
今度は確実だ。俺の頭に誰かが話しかけてくる。
(ちとそのうまそうな味噌汁を飲んでくれんか?)と催促をしてくる。気味が悪くなり下を向く。
(お前は誰だ? どこにいるんだ?)と念じてみた。
しかし、その無言の願いは通じない。
(はよう、はよう、みそ汁ば……一口)
再度の催促に恐怖からくる怒りがこみあげ、僕はついに声を出してしまう。「うるさい、黙れ!」
その大きな声に課長が驚いて僕を見る。
「お前は誰なんだ? いったいどこにいるんだ?」
僕のいらついた声を察したのか、男が問いに答えた。
(実はわしもよくわからんのじゃが、どうも俺はお前の中にいるみたいだ)
「なにを言ってるんだ?」
 僕が独り言をしゃべっているように思えたのか、課長が口を挟む。
「おい岡田、どうした? お前やっぱりちょっとおかしいぞ」
「あ、いえ、違うんです」
まずい、やっぱり変に思われてしまう。僕はその場をごまかそうとした。男はそんな僕の心情などお構いなしだ。
(味噌汁が飲みたいがじゃ。ちくと悪いが他のことはええけ、味噌汁ば一口飲んでもらいたいんじゃが)
 とにかく黙らせたかった。仕方なく僕は男に頼まれるがまま、恐る恐る味噌汁の入ったお椀を口元まで運んだ。一口静かにすすってみる。
「こりゃ、たまるか!」
大きな声で僕は叫んだ。いや、僕じゃない。僕の口を使って男が叫んだのだ。
「ひさしぶいに味噌汁がこげんうまか!」
「おい、岡田、どうした? そんな大きな声で。そんなに味噌汁が美味かったのか?」
驚いた課長がまた尋ねる。僕は混乱し、その場を取り繕うしかできない。
「いや、なんでもありません。ホテルの味噌汁はさすがに美味しいですね」
「そうか? お前は実家からじゃなくて寮に入っているんだったな。寮の味噌汁はそんなに美味しくないか? 味噌汁にそんなに感動するくらいなら、早く結婚した方がいいぞ」
 課長は僕が味噌汁が美味しくて感動したと思っている。そりゃ、そうだろうと今度も冷静に自分のおかれた状況を分析する。

「ちょっとトイレに行って来ます」
 一緒にいるとまた失態を晒してしまいそうなので、逃げるように僕は席を離れた。まるで傍から見れば、我慢が限界にきた者のようにに慌ててトイレに駆け込み、手洗い場の洗面台に向かい自分の顔を覗き込む。普段と特に変わりのない顔だ。それでも自分の身体に異変が起きているとの確信がある。僕は目をつぶり、頭の中で誰かも解らない頭の中の男に心の中で尋ねる。
(おい、お前はいったい誰だ?)
返事はない。あっても困る。
「答えろ」
今度は洗面所の鏡を見ながら声を出して鏡に映る自分に話しかけてみる。
「お前はいったい誰だ。俺の頭の中にいるのか?」
返事があることと無いことのどちらを期待しているのか自分でも良く分からない。
「……わしか? わしはお前の頭の中にいるんか?」
声が聞こえた。怖かった。でも間違いなく僕が発した声に対する返事であった。
 もう一度、今度は声に出さずに頭の中で念じてみる。
(お前は誰だ?)だが、返事はない。
「ザー、」
その時、大便用のトイレのドアが開き、レストランの利用客であろう男が出てきた。
「ああ、食べ過ぎた。やっぱバイキングにすると貧乏性が出るから駄目だな。あぁ、気持ち悪い」ひとりごとをしゃべりながら、洗面台で手を洗う。
 そして、僕の方を怪訝そうな目で僕を見る。男は僕が誰かとしゃべって思っていたのだろう。洗面台に僕ひとりしかいなことを不思議に思ったのか、首をかしげながら外へ出て行った。
 今度はトイレの中に誰もいなくなったことを確認してから、再び鏡を見ながら話しかけてみる。
「お前は誰だ?」
(わしは坂本龍馬ちゅうもんや)
 男が返事を返したことより、言葉の意味に耳を疑った。こいつはやはりあいつだ。ぶつかった男だ。やはりあいつは龍馬さんの恰好をしていたのだと確信した。仮装をすることは否定しないが、この状況で自分のことを坂本龍馬と名乗る男のことを笑って許せる程、僕の心には余裕がなかった。
「ふざけるな! 龍馬さんの名前をぬけぬけと使うんじゃない。そしてお前はいったい誰なんだ。俺はもう訳が分からなくておかしくなりそうだ」
(わしもよくわからんき困っとるがじゃ。朝、気がついたら海岸におっての。人がぎょうさん集まってきたもんで、おどろいて松林の中に隠れておったがじゃ)
 僕の困っていることなどお構いなしに自分の事情を一方的にしゃべり始めた。
(そしたら、おまんがいきなり追いかけてきて、逃げて、崖で行き止まりになったき、振り返ったらおまんがぶつかってきて、一緒に落ちて……、そこから先はなんも覚えておらんきに。気が付いたら、ここにおるがじゃ)
 冗談みたいな話だ。僕も追いかけていた男と一緒に崖から落ちたことまでは覚えている。じゃ、なにか。僕とこの男は、崖に落ちて合体したっていうのか? 課長が助けてくれた時、僕ひとりしかいなかったと言っていたが、その時には合体していたということか。
(おまんこそ誰じゃ? いったいわしはどこにいるんじゃ? 悪いが、ちくと教えてくれんか?)
 男は自分の話がある程度終わったと思ったのか、今度は僕のことを問うてきた。

「ち、ちょっと待ってくれ。お前は自分のことを坂本龍馬と名乗っているが、本当かどうかを試させてもらう」
 咄嗟の思いつきだった。この男が坂本龍馬であることをどうしても否定したかった。尊敬する龍馬さんを名乗ることが許せなかった。
(あぁ、ええがぜよ)男は了承した。
「坂本龍馬の姉は何人いる? そして名は?」
 この場面で自分が龍馬さんに関する質問をとっさにしたかが不思議であったが、学生時代から龍馬が好きな友人たちと機会あるごとにしていたクイズから思いついたことであった。
(わしの姉貴か? わしには三人の姉貴がおるがぜよ。上から千鶴、栄、そして乙女じゃが、おまんはわしの家族を知っちょるのか?)
 こんな問題は坂本龍馬オタクの人間なら誰でも知ってる簡単なものだ。こいつがどの程度龍馬さんのことを知っているのか分からないが僕はもっと知ってるという自信があった。
「乙女さんが嫁いだ先は?」
(樹庵先生か? 乙女姉は岡上樹庵先生のとこへ嫁いだんじゃがのぉ、離縁されてのぉ、まぁされたというより乙女姉が離縁したみたいなもんだったがのぉ)
「なら、龍馬さんが脱藩したときに姉からもらったものは何か?」
(刀をもらった。肥前、肥前なんじゃったかな。権平兄ぃのもんじゃったんじゃが、わしにこっそり手向けてくれたんじゃ。後に以蔵にやったんじゃが、以蔵も人斬りに使うとは思いもよらんかったじゃ)
「坂本龍馬が使った偽名で龍馬さんの本家である商店の名を使ったものは何か?」
(才谷梅太郎かぇ?)
「龍馬さんの妻である嫁さんの名は?」
(お龍かぇ? ひさしぶいに会いたいのぉ)
「そのお龍さんの、お父さんの職業は?」
(これも医者じゃったち、聞いちょるがのぉ)
 答えは全て正しかった。自分で問題を出して同じ自分の頭の中にいる別人が答える。続けていると自分がおかしくなってくる。問題にも困っていいかげんになってくる。
「じゃ、簡単な問題……坂本龍馬の墓は京都のどこにある?」
(おいの墓? いったいどういうことじゃ?)
しかし、その簡単な問いに対しては予想に反して男は答えずに黙り込んだ。そして、静かな口調で(わしは死んだがか?)とつぶやいたのが聞こえた。明らかにとまどっている。
「何を言っているんだ? 龍馬さんは中岡慎太郎と一緒に京都の伏見屋で刺客に襲われて暗殺されたのを知らないのか?」
「…………」再びの沈黙。
(わしは死んだんか?…あの時、確か額を切られて…そうじゃ)
「中岡、中岡はいったいどうなったがぜよ?」
 男は急に声を荒げ、雄たけびをあげた。
「そうか、わしは死んだがか?」
 そして、今度はため息をつくと「まあ仕方なか」とつぶやいた。
 声をかけづらかったが、坂本龍馬は幕府や薩摩藩に狙われていたこと。そして、それらの刺客に襲われたんじゃないかと現代で論じられていることを伝えた。
(すまんが、わしのことをちくと教えてくださらんか?)
「坂本…龍馬さんのことをですか?」
(そうじゃ、わしのことをじゃ)   

第三章へつづく

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