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天賦

天賦とは?

 「天賦」とは、天から賦与されているもの、生まれつきのもの…なのだそうです。では「賦与」って何よ?と思いまして辞書引きしますと〝天〟や〝神〟が与えたもの、分け与えるものって意味が出てくるんですね。なんだそりゃ?「賦与」だけでも人が与えるものじゃないんなら、わざわざ「天」」なんてつけなくともいいんじゃね?などと、ひねくれたことを言ってみたりします。
 才能のあるなしに関わらず、皆さん分け隔てなく「天賦」のものを分け与えられているんですよね。足が速いとか遅いとか、背が高いとか低いとか、そんなのは全て天賦のものな訳です。そんで何が言いたいかというと、それを活かすも殺すも自分次第ということなのですね。活かせれば「才能」です。持って生まれたものですから、後からではどうにもならんのです。努力で埋められる差も存在しますが、埋められないものは何をやっても埋められないのですな。
 才能って結局のところ何なの?というと、これは「自分が頑張らなくても出来ること」なんですね。頑張らなくても、他人より少しだけ上手く出来る。何だかわからないけど、気が付いたら出来るようになってた…ってのが才能な訳です。だからスタートから違うんですよ。やろうと思って始めたり、やりたくて始めたりする前に、気が付くと出来るようになってるところからスタートなんだもん。もうすでにアドバンテージがあるんです。これが努力で埋まるアドバンテージなら並の才能なんですが、所謂「天才」という方々は、そもそも凡人が努力して得られるところをすっ飛ばしてますんで、その過程が理解できないんです。
 「え?なんでみんなこんなことが出来ないの?」ってな感じですね。
 これ、妬み嫉みの対象になるし、出来ない人間にはかなり嫌味に聞こえるんですが、かの方々は本気でそう思ってるんですよ。しかも、それを楽しくやるという才能もセットで持ち合わせています。常人なら追いつけないほどの努力も、かの方々にとっては楽しい遊びでしかない訳です。
 ありとあらゆるカテゴリーのものが当て嵌まると思ってるんですが、この「才能」というもの、実は自分のものではないのですね。
 「天賦の才」という言葉があります。だから、それらは分け与えられているもので、〝たまたま〟その個人に降ってきただけなのですよ。だから、その才能は社会のため、その才能を持たない他人のためにある…というのが持論だったりします。
 別にオリジナルの考え方じゃなくて、自分も誰かの書いたものを読んで覚えていただけなので悪しからず。
 自分の持っているものなんて、それほど役に立つものじゃなくて、身の回りのことをこなすのが精一杯なんですけど、例えば社会に貢献するような才能の持ち主だと、もうそれは個人のものじゃないんです。人の世に必要なものは人を介してしか世に出て来ない、だから、個人には有り余るほどの才能であっても、それは特定の個人に賦与されるしかないのだと思うのです。
 その才能を賦与される人間とは、その才能をきちんと使える人間が選ばれている…と思っています。有り余るものに潰されてしまったり、それを自己利益の増大のために使おうとしたりすると、才能はその個人から抜け出して、より適した他者に遷るものだと思っています。要は、社会で能力を発揮する人間など誰でもいいんですよ。〝たまたま〟自分の元に降ってきたものを自分勝手に使っちゃいけません。
 映画「スパイダーマン」のセリフだったかな…「力を持つ者は、その力を使う責任がある」みたいな意味のがあったと思う。予期せぬことで人間を超える力を手に入れてしまった主人公に対する養父の言葉だった気がします。間違ってたらごめんなさい。
 ときに大きな力を手に入れた人間は、その力を自分のために使おうとしますが、その人間は自らの力によって滅びることになっています。なぜかというと、それはそのように使ってはいけないものだからです。
 私たちもいろいろな力を持っています。微力かもしれませんが、たぶんそれは誰かのために使えたときにこそ真価を発揮するのだと思います。

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