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この戦争は、どう始まったか

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ロシアのウクライナ戦争の当事者となった人々のオムニバス
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#戦争犯罪

この戦争は、どう始まったか -Index

順番に読み進めてもらえれば、この戦争について十分な理解を得られるように配置しました 戦争が始まったとき、どのような状況になり、どんな理由で、どう行動したのか 何が生死を分けるのか 様々な立場の人たちの、それぞれの背景と行動、そしてその結果を知ることは、いつか戦争の当事者となることがあれば、必ず役に立つと思います 戦争が始まる直前、直後の判断は最も重要です 開戦直後を切り抜けることができれば、貴方と貴方の大事な人たちが無事に生き残る可能性は大幅に高まるでしょう そして、何をしな

強制連行された子供 -セルヒー(1)

12月30日 ウクライナメディア:(4,110 文字) 「助けて」強制連行され、ウクライナに帰国した十代の子供の話12月下旬のオンブズマン事務所の報告によると、16歳のセルヒーはウクライナに戻ってきた 3月、当時15歳の少年は占領地に強制連行され、ロシア連邦に送還された後、ロシアの里親に預けられた ロシアのオンブズマンが進んでロシア・パスポートの強制配布を進めたのだ 逆にそのお陰で、セルヒーはウクライナに戻ることができた この記事の著者は、ロシア連邦に滞在していた頃のセ

強制連行された子供 -セルヒー(2)

ウクライナへの連絡 携帯電話に位置情報アプリを強制的にインストールされ、一定時間しか会話できず、養親に行動をコントロールされていてコミュニケーションをとる時間はあまりなかった それでも、セルヒーの言葉に迷いは無かった 「ウクライナに帰りたいんです 助けてくれる? お願いします」 祖国を爆撃し、祖国の言葉を敵視し、彼らが全てを決定し、セルヒーはそれを喜ぶべきだと、なぜか信じている外国人たちに囲まれた異国の地で毎朝目覚めながら、少年の言葉はいつも希望を失っていなかった 「

この戦争は、どう始まったか -カチュージャンカ村(1)-13歳の少女ダリヤの物語

(2,213 文字) 6月3日 ウクライナメディア: 2 月末、ロシアの侵略者の部隊が、キーウ近郊のカチュージャンカ村に侵入し、家族が乗ったヒュンダイ・ソナタを銃撃した 13歳のダリヤ(ダーシャ)は、父親と継母と、叔母の家を訪ねた帰り道、カチュージャンカ通りを曲がろうとしたとき、ロシア軍から襲撃された キーウ警察署長アンドリー・ネビトフが YouTubeチャンネルで、少女の悲劇的な話とその恐ろしい事件の現場ビデオを公開した ロシアの人でなしは、あちこちからマシンガンで

この戦争は、どう始まったか -カチュージャンカ村(2)

4月12日 ウクライナメディア:(4,557 文字) 逃げようとした人々は撃たれた:ロシア人は、どのようにしてカチュージャンカ村を恐怖に陥れたかキーウの北47kmに位置するカチュージャンカ村 この地域は本格的な戦争が始まってすぐにロシア軍に占領され、36日間、人々は占領生活を送っていた 「カディロフツィー」はここでビデオを撮影し、「もう一つの戦略的ポイントを占拠するために、ほとんど何も残っていない」と言った このビデオの中には、チェチェン共和国のロスグバルディアの責任者シャ

この戦争は、どう始まったか -ヴィタリー(1)

6月22日 ハルキウ人権団体:(5,151 文字) 児童心理学者のヴィタリー・ステパネンコは、36 日間の被占領期間中、ボランティアとしてディメリフスカ病院を手伝いました 彼は、切断された手足も死んだ人々も、全て見ました - 私の名前はヴィタリーです 私は 22 歳で、キーウ地方のヴィシュゴロディフカ地区のダイマー村に住んでいます。 児童心理学の仕事をしていて、教育心理学者です 映像制作の仕事もしています ドネツク出身で、2017年、子供の頃に引っ越してきました 当時

この戦争は、どう始まったか -ヴィタリー(2)

6月22日 ハルキウ人権団体:(4,255 文字) 児童心理学者のヴィタリー・ステパネンコは、36 日間の被占領期間中、ボランティアとしてディメリフスカ病院を手伝いました 彼は、切断された手足も死んだ人々も、全て見ました - なぜ病院で手伝おうと思ったのですか? - 私は、じっとしていられない人間です 占領下でも、できる限りすべての場所に行きました 何かをしなければならないと思い、乾燥燃料で戦車を爆破したりもしました そしてオリヤが私に言ったのです 「そうだ、私と一緒に

この戦争は、どう始まったか -オレクサンドル・ブレウス(1)

(4,523 文字) ウクライナでは戦争犯罪の疑いが5万件あると言われている そのうちの一つについて調べました 道端で死んだその男の話を初めて聞いたとき、私はその男の名前を知らなかった その話は、ロシアがウクライナに侵攻開始して数日のうちに行われた、戦争犯罪の可能性のある話の一つに過ぎなかったのだ ロシア兵に殺された被害者であるウクライナ人は、ノヴァ・バサンと呼ばれる地の付近で、爆破された車の側に放置されていたという 最初にこの男の話が目についたのは、違いがあったからだ

この戦争は、どう始まったか -オレクサンドル・ブレウス(2)

(4,332 文字) ボブロビッチャの罠 2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した ユリアをキーウ郊外に残し、オレクサンドルは愛犬クリフォードとともに、幼い頃住んでいたボブロビッチャに向かった クリフォードはユリアの犬と仲が悪かった そこで、オレクサンドルの計画は、クリフォードを置いてすぐにキーウに戻り(車で2時間)、ユリアと妹をウクライナ西部へ避難させ、最終的には国外へ脱出させるというものだった しかし、突然、数日間のキーウ夜間外出禁止令が出されたため、実質的にボブ

この戦争は、どう始まったか -オレクサンドル・ブレウス(3)

放置されたオレクサンドルさんの遺体 オレクサンドルが殺された2日後、自転車に乗っていた女性、テティアナ・バリショベツは現場に戻ってきた 彼女は道路に横たわるオレクサンドルさんの遺体を思い、耐えられなかったのだ しかし、彼女の知らない誰かが先にそこに来ていた オレクサンドルさんの遺体には薄い布がかけられ、それを固定するためのレンガがいくつか置かれていたという 彼女はその記憶にとらわれている 「頭から離れないんです、だって......仕事の行き帰りのたびに見ているんです」

この戦争は、どう始まったか -ノヴァ・バサン

(3,316 文字) 8月7日 ウクライナメディア: ロシア軍に占領されながらも生き残ったニジーン地方の村、ノヴァ・バサン 首を蹴られたくないなら、頭を低く下げてはいけない サブタイトルに、ユダヤの古い諺を取り上げたのは理由があります それは、ロシア兵による一時的な占領を免れた別の村、ノヴァ・バサンの住民の礼儀正しい振る舞いによって裏付けられます ビクトル・パブロビッチとタマラ・ドミトリブナ・ロマシェンコの家族の話を紹介します 「私たちの村で惨劇が始まった時、バカげ