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この戦争は、どう始まったか -オレクサンドル・ブレウス(3)

放置されたオレクサンドルさんの遺体

オレクサンドルが殺された2日後、自転車に乗っていた女性、テティアナ・バリショベツは現場に戻ってきた
彼女は道路に横たわるオレクサンドルさんの遺体を思い、耐えられなかったのだ

しかし、彼女の知らない誰かが先にそこに来ていた
オレクサンドルさんの遺体には薄い布がかけられ、それを固定するためのレンガがいくつか置かれていたという
彼女はその記憶にとらわれている

「頭から離れないんです、だって......仕事の行き帰りのたびに見ているんです」

この間に、ロシア軍はノヴァ・バサンを完全に占拠した
住民によると、近くにウクライナ軍はいなかったという
そして、抵抗されなくてもロシア兵たちは残虐行為を行っていたと証言する

ノヴァ・バサンの教師、ニーナ・ナホルナは、ロシア軍が村に入った直後、数十人のロシア兵が庭で、まるで自分たちの所有物であるかのように振る舞っていたと語る

「そのうちの1人が......すでに6人の民間人を殺したと言っていました
それで、私たちが民間人であるかどうかなど、彼らが気にもしていないことが分かったのです
この人たちが、私たちの常識からかけ離れた存在であることに気づきました」

村人によると、ノヴァ・バサンではオレクサンドル以外にも多数の民間人が殺害されている

地元行政官のミコラ・ディアチェンコさんは拘束され、処刑寸前(Mock execution)の経験をしている

村人にとっては、過酷で残酷な時間だった

「奴らは人間じゃない、分かりますか?
彼らは怪物です
彼らは恐ろしい人たちです…恐ろしい」
鶏を殺され、食料を奪われ、家が破壊された86歳のオレクサンドラ・リスカさんは、そう話した

オレクサンドルさんの遺体は、ロシアの占領下の1カ月間、路上に放置されたままだった
彼を回収するにはあまりにも危険だったと家族は話す

オレクサンドルの妹、アーニャさんは言います
「ロシア兵は誰も埋葬することを許さなかったと聞いています
母が言うには、14歳の少年も一人殺されたそうです
その子の母親は、ロシア兵のところへ行き、膝をついて許可を求めました
しかし、彼らは彼女の頭の上に銃を撃ち、追い返したそうです」

それでも、オレクサンドルの母親は、毎日ノヴァ・バサンの町役場に連絡し、遺体の引き取りが許されるかどうか確認した
しかし、ロシア軍は移動に厳しい制限を加え、道路から車や民間人を排除するために発砲することもあった

そして4月上旬、激戦の末にウクライナ軍がノヴァ・バサンに戻ってきた
ようやくオレクサンドルさんの遺体を回収することができた

オクサナ・ブレウス

「遺体を回収することが、私の戦争への貢献なのです」
そう話すのはセルヒイ・ツィバさんだ

「怖くはありません
父から、死者は恐れなくていいと教えられていました
生きている者を恐れなさい、と
私は兵士たちの助けになれません
だからこうして人々の手助けを続けるつもりです
…彼らが最後の旅に出るために必要な事を」

4月4日、ツィバの任務は解放されたばかりのノヴァ・バサンに行くことだった
呼び起こした記憶で、彼の手は震え始めた
この時、ツィバさんと同僚たちは誰を迎えに行くかを知っていた
「サーシャ」とニックネームで呼んでいた友人、オレクサンドルだということを
二人は、近くのボブロビッチャで一緒に育ったのだ

「向かう車中で、同僚が誰を迎えに行くのかを教えてくれました
私はサーシャをよく知っていて、だからこそ、とても辛いと同僚に話しました」

ツィバは、現場の写真撮影を担当した
すでに、野生動物がオレクサンドルさんの遺体を引き裂いていた
ツィバさんは棺桶に入れる作業を手伝った

悲しみに打ちひしがれたオレクサンドルの母親、オクサナさんが現場に到着したときの写真もある

オレクサンドル・ブレウスは、育った家と細道でつながる小さな墓地に運ばれ、2022年4月6日に埋葬された
1ヵ月間、寒さの中で横たわっていた友人の死の姿が、ツィバの中でいつまでも無くならない何かを呼び起こすきっかけとなった

「怒りです
こんな気持ちは、初めてのものです
恐怖が怒りに、そして憎しみに変わりました
私たちは人を襲うこともなく、ただ生きていただけだったのに…」

加害者

ノヴァ・バサンの事件の目撃者を探しているうちに、オレクサンドルが殺害された日の、ロシア軍が村を通過する様子を映したビデオがもう1つ見つかった
Facebookに投稿した人物に連絡を取ったところ、彼女の母親が撮影したものだった

こうして私たちは、オレナ・ボンダレンコさんが店長を務めるキーウの家具店に足を踏み入れることになった
戦争が始まったとき、ボンダレンコさんは首都を離れ、小さな村であるノヴァ・バサンの親族の持ち家へ向かった
オレクサンドルが死んだ朝、装甲車が通り過ぎる中で、彼女はショック状態のまま外に立っていたという

ロシア軍が通り過ぎる様子を撮影した、別の映像も彼女は見せてくれた
画面に武装した兵士が現れ、ライフルを向けてくる、彼女が息をのむのが分かる、彼女に向かって発砲する
ボンダレンコさんは床に倒れ、父親に引っぱられてその場を離れようとする

その後、彼女はビデオに写る車両の奇妙な点に気づいた

「『O』の文字が入った新型の戦車だったんです
テレビでは、『Z』と『V』のことばかり話していました
私はウクライナ軍に、この 『O』の車両について伝えました
他とは全く違いました
違うタイプの装甲車両で、違う色の制服を着ていたんです」

当時、私たちは知らなかったが、オレナ・ボンダレンコさんのビデオは、どのロシア部隊がその地にいるのかを理解する上で極めて重要なものだった

最初の手がかりは、 『O』のマークだった

ウクライナの諜報機関、警察、検察官に構築したコネクションを使い、私たちの調査の成果を見せた

彼らでも、事件のあった日に、ノヴァ・バサンにどの部隊がいたのか、決定的なことは言えなかった
しかし、『O』の文字はロシア中央軍管区の部隊を意味すると教えてくれた

注:『Z』『V』『O』についてもう少し詳しく解説された記事

オレクサンドルさんが殺害された時に、ノヴァ・バサンにいた可能性のあるロシア軍部隊のリストも見せてくれた

そこで、公開されている情報を精査し、状況を追跡している人たちに話を聞いた
世界中の軍隊を監視しているジェインズ社の元アナリスト、トム・ブロック氏と、ISWのアナリスト、ジョージ・バロス氏だ

目撃者の証言では、ノヴァ・バサンのロシア軍は、彼らが誰であるか、どこから来たかを特定できるような記章やワッペンをつけていなかったという

しかし、ブリックとバロスは、ボンダレンコのビデオにはBTR-82Aと呼ばれる種類の装甲車が映っていると指摘する
この装甲車の車種が決定的な手がかりとなった
情報源から提供された部隊リストの中では、この装備があるのはごくわずかだった

BTR-82A

BTR-82A:30mm機関砲を装備したBBPU砲塔を搭載したタイプのBTR

4月1日、ノヴァ・バサンで確認された、破損したロシアのBTR-82

「BTR-82A型だと確認できたことは重要です
(ロシア中央軍管区で)この装備を実際に使用している二つの旅団しかないからです
第15旅団と第30旅団です」
とバロス氏は言う

ロシア軍のドクトリンでは、これらのBTRと第15旅団および第30旅団は掃討作戦に使用されることになっている

「掃討とは、軍が紛争地域に入るときに、安全を確保するために行う作業です」とバロスは説明する
バロス氏は、ボンダレンコさんの映像で掃討作戦であると分かるという

「村の大通りを歩きながら、一軒一軒をチェックしている
フェンス越しに中を覗いている
ですから、彼らがやっているのはおそらく掃討作戦だろう」

ノヴァ・バサンにいる可能性が高い部隊を二つに特定したことで、容疑者の数を劇的に絞ることができた
ロシア軍は最初の侵攻で、約12万人の地上軍をウクライナに展開していたのだ
それに比べれば、特定した2つの部隊、第15旅団と第30旅団は、約4000人とはるかに少ない兵士だ、とバロス氏は言う

私たちの目撃者ホロドさんは、オレクサンドルが殺されたとき、近くに 5両のBTRを見ている
各車両には10人の兵士が乗れる

よって、私たちの調査が正しいとすれば、犯人は2月28日午前9時から10時の間にノヴァ・バサンの交差点を通過した、第15旅団か第30旅団の約50人の部隊の中にいた者ということになる
その男は背が高く、アサルトライフルを所持していた

しかし、もう限界だった
その50人の実名は分からないし、ましてやライフルを持った背の高い人物の実名など分かるはずがなかった

しかし、戦争犯罪の被告になりうる人物の名前を挙げることはできた
そこにいた部隊の責任者であるロシア軍将校である

公開情報から、「その時、ノヴァ・バサンで、アレクサンダー・ラピン将軍が指揮していたであろうといえる重要な要素が分かったというのは明らかです」とバロス氏は言う
アレクサンダー・ラピンがオレクサンドルさんを殺害し、彼の車を爆破したと思われる男達の指揮官だった

この名前が分かったのは重要な事かもしれない
ノヴァ・バサン周辺での殺害と銃撃がすべてまとめられ、残虐行為が組織的で広範囲に及んでいると捜査当局が主張できれば、その犯罪の責任を指揮官に追求することができるだろう
戦争犯罪で起訴することができる

まだ解明されていない証拠もある
たとえば、数ヶ月前に会った、オレクサンドル事件の担当捜査官は、彼の携帯電話と周辺にいたロシア軍兵士の携帯電話の記録の両方を調べていると言っていた

もしかしたら、交差点に誰がいたか分かる記録が他にもあるかもしれない

https://civilmplus.org/organizations/truth-hounds/

ローマン・アブラメンコは、戦争犯罪を記録し調査するウクライナの非政府組織「トゥルース・ハウンズ」の代表者だ
「一年後か10年後かに、ロシアが崩壊し、ウクライナの調査団が各地に配備された兵士の全リストを手に入れることもあるかもしれない」とアブラメンコは言う

オレクサンドルがフランスの永住者であることで、フランス政府がこの件を調査するかどうか、人権派の一流弁護士に尋ねてみた
彼女は、オレクサンドルは市民権を持っていないので、フランスで戦争犯罪の捜査を受ける資格はないと言った
フランス外人部隊は、彼が2021年に外人部隊を脱退したと言う以外、この件について会って議論したいという私の要求を無視しました

私たちは、国際刑事裁判所がこの事件を担当する可能性を検討しました
国際法は非武装の民間人を殺害することを明確に禁じています
しかし、ICCは通常、オレクサンドル氏のようなケースを追求しないことがすぐにわかった

「通常、彼らは命令を下す高位の指揮官や機能者に焦点を当て、(著名または多数の)犠牲者がいるケースや大量破壊に焦点を当てます
だから、おそらくICCはこの事件を扱わないだろう」とアブラメンコは説明した

個々の戦争犯罪がより大きなパターンの一部であることを示すのは、ウクライナの捜査当局の仕事である
それが、ウクライナ国家捜査局の幹部であるヴァディム・プリマチョク氏のようなウクライナ人の目標である
彼は、「組織的戦争犯罪」を示すことによって、いずれ裁きを受けさせたい当局者としてロシアの防衛大臣、大統領、将軍の名前を挙げている

しかし、ウクライナの体制は沼地に嵌まっている

私たちは数カ月かけて100件近いインタビューを行い、ノヴァ・バサンとウクライナ政府全体の情報源を開拓してきた
そして、少なくとも今のところ、これ以上絞り込むことはできなかった
オレクサンドル氏の死は戦争犯罪の一つに過ぎない
ウクライナ全土で5万件ほどが調査中なのだ

長年、戦争犯罪の捜査に取り組んできた人たちでさえ、完全な正義を見出すことはできないと悲観している
「率直に言って、全面的な侵略の過程で行われた戦争犯罪のすべてのケースについて、正義を確立することは不可能だと思う」とアブラメンコは言った

オレクサンドルが殺されてから4カ月後、彼の姉と母親と一緒に墓参りに行った
遺体が眠る土塁の周りには、スミレが咲いていた
その日、オレクサンドルさんのお母さんは、もうひとつ、息子さんのことを話してくれた
昨年、飛行機でウクライナに帰る途中、オランダで乗り継ぎがあったそうだ

「私がお花が好きなのを知っていて
私が花を好きなのを知っていて、暇なときにチューリップの種を買ってきてくれたんです
昨年の秋に植えたのですが、今年は10本中10本が咲いたんです」

オレクサンドルが亡くなってから約2ヶ月後の母の日に、正確に咲いたという

(終わり)

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